土岐光定の母は東胤頼の娘。
妻は北条貞時の娘である。
①
②
北条貞時の娘に「北条師時に嫁いだ娘・土岐隠岐守光定に嫁いだ娘がいた。」
③
北条宗政の息「師時」の母を見ると「北条政村」の娘である。その娘から見ると「伊賀の方」は祖母である。同じ母から「貞時の室」も生まれている。
④
北条師時は、浅小井氏から猶子を取っている。師方である。
以上をまとめると、
北条氏を中心に伊賀氏・土岐氏・浅小井氏が繋がっている。
土岐氏に「乾氏」・浅小井氏にも「乾氏」が出ている事が不思議である。
金沢時秀の妻となった人物も浅小井氏(師方の妹)となっている。(義時の孫)
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義時の妻たちとこどもたち
伊賀の方の娘の嫁ぎ先であった「一条実雅」伊賀の変の後のことになると思うが「唐橋通時の室」となって通清を産んでいる。