現体制への怒り渦巻く=ムバラク政権打倒デモ2年―エジプト(時事通信) - goo ニュース
2011年、エジプト国民は、長期にわたって君臨してきたムバラク政権を倒すことで、独裁体制から決別したはずでした。ところが、民主化されたにも拘わらず、新たに選出されたモルシ大統領に対して、再び国民の間から、独裁反対の声が沸き起こっています。
民主的な体制とは、統治過程に国民が参加することができる体制を意味していますが、今日の制度においては、参政権を持つ国民が、自らの自由意思に基づいて公職に立候補したり、政治家を選ぶことに力点が置かれています。民主的選挙制度そのものは、権力の分立を定めているわけではないのです。このため、憲法において権力分立を制度化しませんと、常に、独裁に回帰する危険性があります。この状態では、集権的な独裁権力を抑制する仕組みを統治機構に組み込まない限り、何度でも独裁者が誕生するのです。つまり、独裁者の顔が入れ替わるだけであり、独裁体制そのものは、変わらないのです。このことは、民主化だけで満足してはならず、エジプトは、その先の権力分立の実現に取り組むべきことを示唆しています。権力分立が実現すれば、議会機能が強化され、国内の利害調整が円滑化されますし、独立性を保障された司法機関があれば、不当な政治介入などから国民の自由と権利が保護されます。権力分立は、民主主義と並ぶ重要な価値、すなわち、自由、法の支配、基本権の尊重といった、他の諸価値を実現するためには、不可欠な制度的な仕組みなのです。
エジプトについては、分裂含みのアラブ諸国の実情を考慮すれば、強権的な独裁体制の方が相応しいとする意見もあります。しかしながら、アラブの春の勝利を自負するエジプト国民が、独裁体制の再来を許すとは思えず、再独裁化は、政情不安を深めるばかりです。エジプトが、真に安定した国家を築くためには、越えてゆくべき山が、もう一つ、聳えているのです。エジプト国民の勇気をもってすれば、必ずや、この山を越えてゆくものと、信じたいと思うのです。
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2011年、エジプト国民は、長期にわたって君臨してきたムバラク政権を倒すことで、独裁体制から決別したはずでした。ところが、民主化されたにも拘わらず、新たに選出されたモルシ大統領に対して、再び国民の間から、独裁反対の声が沸き起こっています。
民主的な体制とは、統治過程に国民が参加することができる体制を意味していますが、今日の制度においては、参政権を持つ国民が、自らの自由意思に基づいて公職に立候補したり、政治家を選ぶことに力点が置かれています。民主的選挙制度そのものは、権力の分立を定めているわけではないのです。このため、憲法において権力分立を制度化しませんと、常に、独裁に回帰する危険性があります。この状態では、集権的な独裁権力を抑制する仕組みを統治機構に組み込まない限り、何度でも独裁者が誕生するのです。つまり、独裁者の顔が入れ替わるだけであり、独裁体制そのものは、変わらないのです。このことは、民主化だけで満足してはならず、エジプトは、その先の権力分立の実現に取り組むべきことを示唆しています。権力分立が実現すれば、議会機能が強化され、国内の利害調整が円滑化されますし、独立性を保障された司法機関があれば、不当な政治介入などから国民の自由と権利が保護されます。権力分立は、民主主義と並ぶ重要な価値、すなわち、自由、法の支配、基本権の尊重といった、他の諸価値を実現するためには、不可欠な制度的な仕組みなのです。
エジプトについては、分裂含みのアラブ諸国の実情を考慮すれば、強権的な独裁体制の方が相応しいとする意見もあります。しかしながら、アラブの春の勝利を自負するエジプト国民が、独裁体制の再来を許すとは思えず、再独裁化は、政情不安を深めるばかりです。エジプトが、真に安定した国家を築くためには、越えてゆくべき山が、もう一つ、聳えているのです。エジプト国民の勇気をもってすれば、必ずや、この山を越えてゆくものと、信じたいと思うのです。
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