万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新幹線殺傷事件と憲法第9条-無抵抗主義は正しいのか?

2018年06月23日 15時22分31秒 | 国際政治
先日、東海道新幹線の車内において、乗客として乗車していた男が突然に凶器を振りかざして隣席の女性に切りかかり、男女3名が死傷するという痛ましい事件が発生しました。被害者の内、男性一人は、女性達を逃がすために犯人を押さえにかかったものの反撃を受け、全身60か所を刺されて命を落とされております。自らの命を賭して他者を護ろうとした勇気には、頭が下がる思いがいたします。この場を借りて、心よりご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
 
 同事件に関しては、現場の状況の詳細が明らかになるにつれ、犠牲となられた男性の果敢な行動こそ死傷者の拡大を防いだとするコメントが、ネット上に多数寄せられるようになりました。仮に、誰一人として犯人の凶行を制止せず、全員が逃げるのみであったならば、逃げ遅れた女性や子供たちが次から次へと犯人の刃に掛かっていたことでしょう。犯人に立向かう人があってこそ、多くの人々の命が救われているのです。犯人には精神疾患があったとはされていますが、他者の命を虫けらのように扱うその冷酷さと残忍性には言葉を失います。命に対する感覚は犯人と被害男性とでは正反対であり、両者は全くの対称を成しているかのようです。一方は利己的な動機から他者の命を奪い、もう一方は利他的な心から他者の命を守るために行動したのですから。

そして、こうしたリスクは、一般社会のみならず、国際社会においても見られます。まことに残念なことに、国際社会においても、利己的な理由から他国に一方的に暴力を以って危害を加えようとする国が存在するからです。仮に、他国が軍事侵攻を開始するような事態が発生した場合、攻撃を受ける国々は、果たして、どのように行動すべきなのでしょうか。反撃を一切試みない無抵抗主義こそ、唯一の正しい対処法とすべきなのでしょうか。少なくとも日本国憲法第9条は、平和主義の名の下でこうした態度を肯定しているようにも読めますし、実際に護憲派の人々も、日本国が無防備、かつ、無抵抗であることを望んでいるかのようです。

しかしながら、新幹線殺傷事件は、平和と云う善意を看板にした無抵抗主義こそ、犯人の悪意に満ちた利己的野望を満足させてしまうという、護憲派が認めたくない現実を人々に突き付けています。‘国民が虐殺されても抵抗すべきではない’とする主張は、たとえそれが誰もが希求する平和の名を付していたとしても、善悪が倒錯している、あるいは、間違っているとしか言いようがないのではないでしょうか。戦争に限らず、他者の命を奪うのではなく、他者の命を護るためにこそ命がけで戦わなければならない時、こうした時は、この世にはあるのではないかと思うのです。

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コメント (4)
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