万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米朝首脳会談の評価-‘会うことに意義がある説’への疑問

2018年06月20日 15時15分42秒 | 国際政治
朝鮮戦争時の米兵遺骨返還 数日内に開始か
今月12日は、朝鮮戦争で干戈を交えた米朝の首脳が歴史上初めて直接に顔を合わせたと云う意味において特別な日となりました。しかしながら、その評価は、公表された共同声明文の曖昧さ、北朝鮮の煮え切らない態度、そして、中国の思惑なども絡み、未だに定まってはいません。

 こうした中、同首脳会談については、その結果はともかくとして、両者が直接に対話したことを以って無条件に評価すべきとする主張も聞こえています。いわば、‘会うことに意義がある説’なのですが、この説は、いささか楽観的に過ぎるようにも思えます。何故ならば、歴史は、必ずしも直接会談が望ましい結果、即ち、平和をもたらすとは限らないことを人類に対する教訓として残しているからです。

 その最たる事例は、1938年9月のミュンヘンの宥和です。ミュンヘン会談とは、ナチスドイツがチェコスロバキアのズデーデン地方を武力併合する動きに出た際に、同問題の平和的解決を目指して開かれたドイツ、イギリス、フランス、並びに、イタリアの四か国による首脳会談です。この会談には、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統をはじめ、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相、そして、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相が参加しました。ズデーデン危機が戦争へと発展するのを回避すべく、同会談では、二日に亘って首相達が角を突き合わすトップ会談が行われたのです。その結果は、と申しますと、他の三か国によるドイツの要求の丸のみでした。この凡そ1年後にヒトラーはポーランド侵攻を敢行したわけですので、ミュンヘン首脳会談は、長期的スパン、すなわち、歴史的に見れば失敗であったと評されているのです。

 それでは、何故、首脳会談を開催したにもかからず、問題解決には至らなかったのでしょうか。‘会うことに意義がある説’に従えば、ミュンヘン会談も肯定的な評価を受けるはずです。しかしながら、国際社会のみならず、一般社会でもしばしば散見さえるように、‘対話’には、幾つかのリスクがあります。

第1のリスクは、対話の参加者が、必ずしも誠実な人柄ではない場合があることです。対話の参加者が、常に自らの本心を晒す、あるいは、真の目的を正直に語るとは限らず、得てして、これらを巧妙に隠しているケースが見られます。ミュンヘン会談でも、ヒトラーはズデーデン地方の併合を‘最後の要求’と説明し、他の参加国の首相達を安心させています。

第2のリスクは、海千山千の政治家とはいえ、対話の参加者には、こうした相手の不誠実さを見抜く能力に乏しい人もいることです。ミュンヘン会談では、イギリスのチェンバレン首相は、「ヒトラーの人格を信頼するようになった」とされており、直接対面を介した信頼醸成は全く以って裏目に出たことになります。独裁者とは、しばしばその陰険なイメージとは違って、実際に会ってみると朗らかで人当たりが良かったと評されるケースも少なくありません(独裁者は、自らを演じるのに長けている…)。後に隠されていた真の人格が露呈し、‘見損なった’あるいは‘裏切られた’と憤っても、‘後の祭り’となってしまうのです。人とは、騙され易い生物でもあります。

第3のリスクとは、実際に会って対話を行ったとする安心感が、油断を呼んでしまうことです。乃ち、敵対してきた相手との直接対話には、相手に対する警戒心を解く効果があるのです(もちろん、実際に会ってみて、なおさら警戒心を強めるケースもありますが…)。況してや、一定の合意に達したともなりますと、相手に対する好感度は一気に上昇します。そして、この警戒心解除の効果は冷静な判断力を曇らせ、その後、相手が不審な行動をとったとしても、好意的な解釈をもたらしてしまうのです。

以上に述べてきましたように、直接対話には、誰もが持つ人の心理的な弱点に基づくリスクがあります。今般の米朝首脳会談の評価が分かれるのも、こうしたリスクが懸念されるからに他なりません。同会談については‘会うことに意義がある説’のように直接対話の実現を手放しに歓迎するよりも、リスク管理の側面から、金正恩委員長が‘ヒトラー化’する可能性を考慮した対策を講じておくべきではないかと思うのです。

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