万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ヤルタ協定がロシアの北方領土領有の法的根拠になり得ないもう一つの理由

2019年01月06日 14時22分23秒 | 国際政治
1月4日、年頭の記者会見に臨み、安倍晋三首相は、今年一年の対ロ外交の基本方針として「北方領土問題を解決して、平和条約を締結する」と語っております。具体的な解決策につきましては詳らかにはされておりませんが、今年は、戦後の70年余年に亘って凍結状態にあった北方領土問題が、俄かに緩み始める年となるかもしれません。

 ソ連邦の時代より、ロシアは、一貫して北方領土は第二次世界大戦の対日勝利によって自国領となったとする立場を維持しています。プーチン大統領に至っては開き直って‘戦利品’と見なしているのですが、同国は、しばしば自国領有の法的根拠としてヤルタ協定を挙げています。ヤルタ協定とは、1945年2月11日にヤルタにおいて開かれたクリミア会議の場で、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、並びに、ソ連邦のスターリン元帥の3首脳の間で合意された協定の名称です。

 同協定については、ロシア側は拒絶しつつも、当時の慣習国際法に照らしても無効とする説が有力です。その理由としては、これまで、(1)秘密裏に締結された‘密約’であった(2)当事国(日本国)の同意なき合意であった、(3)ソ連の対日侵略行為は強行放棄(ユース・コーゲンス)に違反する、(4)ソ連の領土拡張は連合国間の不拡大方針の合意(大西洋憲章)に反する、(5)米国務省が無効の公式声明を出している、などといった諸点が指摘されてきました。そして、もう一つ、同協定がロシアの法的根拠となり得ない理由があるとしますと、それは、同協定に含まれる対中要求に見出すことができます。

 常々北方領土問題と絡む形で論じられるため、日本国内では、ヤルタ協定のターゲットは日本国であると見なされがちです。しかしながら、その内容をよく読んでみますと、戦後処理の対象は日本国に留まらず、満州、並びに、中国の権益に及んでいます。同協定における満州・中国関連の合意とは、(1)外蒙古の現状維持、(2)大連商港の国際化とソ連の優先的権利の擁護、(3)ソ連海軍基地としての旅順国の租借権回復、(4)南満州鉄道の中ソ合弁会社による共同運営、(5)満州における中華民国の完全な主権保有です(ソ連邦の論理的根拠はソ中協力による日本国の脅威への対応…)。ただし、満州・中国関連の合意が実現するには、中華民国の蒋介石総統の合意を要するものとしたのです。

 それでは、その後、満州・ヤルタ協定が定めた中国関連の合意事項はどのような運命を辿ったのでしょうか。実のところ、ヤルタ協定の最後の部分には、ソ連邦には、中華民国と軍事同盟を締結する準備がある旨の記述が置かれています。国共合作の最中にあるとはいえ、中国大陸では国民党と共産党との対立関係を考慮しますと、同協定は、対中要求としては、‘ソ連邦が国民党を支援する見返りに上記の諸権益をソ連邦に認めよ’と読むことができるかもしれません。そして1945年8月14日には、ソ連邦と中華民国との間で中ソ友好同盟条約が締結されるのですが、その付属協定においてヤルタ協定での合意事項が明記されたのです(外モンゴルについては、スターリンはさらに踏み込んで蒋介石に独立を認めさせる…)。

しかしながら、同条約は、ソ連邦が中華民国との軍事同盟をよそに、秘かに中国共産党を支援したために、全く機能しなくなります。1949年10月1日に国共内戦に勝利した毛沢東が中華人民共和国を建国すると、ソ連邦は、中ソ友好同盟条約を破棄して同国との間で新たに中ソ友好同盟相互援助条約を結ぶのです。そして、同条約の付属協定として、「中国長春鉄路、旅順口および大連に関する中ソ間協定」並びに「ソ連から中国への借款供与に関する協定」が締結され、ソ連邦は、前条約において蒋介石が承認した権益を返還することとなるのです。なお、中ソ友好同盟相互援助条約も中ソ対立時代を経て1980年には期限終了で失効しています。

ヤルタ協定をめぐる上記の経緯の背景には、中国情勢をめぐる米ソの駆け引きや共産主義勢力の思惑等も絡んでいるのでしょうが、少なくとも現時点にあって、ヤルタ協定に記された対中合意事項は既に空文化しています。乃ち、ヤルタ協定は、第二次世界大戦末期における連合国諸国間の一時的な政治的合意文書に過ぎず、中国のみならず、日本国に対しても、領土割譲を要求し得る絶対的な法的根拠とはなり得ないと考えられるのです。況してや、ソ連の軍事協力を得るために権益を譲渡した中華民国の蒋介石とは違い、日本国は、一度たりともソ連に対して北方領土の割譲を認めたこともありません。今後の対ロ交渉にあって、日本国側の妥協的な譲歩が懸念されておりますが、ロシア側には北方領土に対する正当なる法的根拠が存在しないことを、まずは再確認すべきではないかと思うのです。

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