万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

エストニアから読む‘オンライン国家’の少し怖いお話

2019年01月10日 13時55分27秒 | 国際政治
ここ数年、デジタルを中心としたテクノロジーの急速な発展が、既存の仕組みを大きく揺さぶっています。今年も様々な局面でテクノロジーが人々に変化を迫ることとなりそうなのですが、1月6日の日経新聞朝刊に、「「国境」決めるのは自分」とする見出しで興味深い記事が掲載されておりました(1面と7面)。

 サイバー空間とは土地から遊離した存在であり、このため、人々は、地球の表面に引かれた国境線を瞬時に難なく超えることができます。同記事が銘打つように‘デジタルで距離ゼロ’なのです。同記事は、「Tech2050新幸福論」の連載記事の一つであり、日経新聞の論調は国境なきサイバー空間に対しては好意的です。もしかしますと、こうした‘超グローバル化’を人類の究極の理想と見なしているのかもしれません。しかしながら、記事の内容を読みますと、そこには人類の行く末に関わるいささか怖いシナリオも見えてくるのです。

同記事に登場してくる先駆的な試みの大半は、難民、あるいは、難民予備軍の人々です。最初に紹介されたマレーシアの首都クアラルンプールに居住する起業家、ムハンマド・ヌール氏はロヒンギャ難民の一人です。同氏曰く、仮想通貨の基礎技術であるブロックチェーンを活用すれば、国籍を持たない難民でも自らのIDを確認でき、銀行口座も開設して就職できるそうです。そして、この技術は既にエストニアにおいて実用化されており、納税、出生証明、事業所の開設等がブロックチェーンで管理されているというのです。言い換えますと、デジタルは、特定の領域を持たなくとも‘オンライン国家’を造ることを可能とする技術なのです。

現行の国際法における国民国家の成立要件は凡そ主権、領域、国民の三者ですので、仮に‘オンライン国家’が登場するとすれば、国際法上の国家の資格要件にさえ変更を迫ることとなりましょう(もっとも、既存の国家からは国家承認を得られないかもしれない…)。領域なき国家は、主権と国民の2要件のみで成立する新たな国家モデルともなるのですが、‘オンライン国家’が誕生したとしても、それが、国際社会に平和をもたらし、人々の生活に安定を与えるとは限らないようにも思えます。

第1に、‘オンライン国家’の国民とは誰なのか、という問題があります。グローバル化とは、人種、民族、国籍、宗教等の違いを消去する方向に向かっていますので、いざ、‘オンライン国家’を建国して国民を造ろうとしても、誰が国民としての資格を有するのか、という国籍要件設定の困難性という壁に直面するのです。同記事が、特にロヒンギャ難民やエストニア人を事例として挙げているのは、これらの人々が、既に民族という括りと連帯意識で強く結ばれているからなのでしょう。仮に、既存の国民国家体系を廃止して、全世界を‘オンライン国家’で再編成しようとすれば、一人で複数のオンライン国家に所属する多重国籍者、あるいは逆に、どの国家からも資格認定を受けることができない‘オンライン難民’が大量に発生するかもしれません。

第2に、‘オンライン国家’には、完全なる主権が備わっていないことです。同記事によれば、オンラインで政府が提供する行政サービスの主たる内容は、証明書の発行や行政手続きといった国民の維持管理に関する業務が中心です。ところが、既存の国家の政府は、この種の行政サービスのみならず、国防、国土保全、治安の維持といった領域と結びついた統治機能を国民に提供しています。領域を有さない‘オンライン国家’では、国民保護の観点から特に重要となるこれらの統治機能を提供することはできず、統治機能上の重大な欠落があるのです。言い換えますと、‘オンライン国家’の国民は、たとえ‘オンライン政府’を設立し、多額の税金を納めても、自らの安全を政府に守ってもらうことはできないのです。

加えて第3に挙げるべき点は、‘オンライン国家’が成立したとしても、既存の国家が併存していることです。既存の国民国家体系が廃止されるに際して予測される混乱については先に触れましたが、現実には、‘オンライン国家’の誕生を以って国民国家体系が消え去るわけではありません。領域を持たない‘オンライン国家’や‘オンライン国民’が無防備な一方で、領域を有する既存の国家は、物理的な強制力ともなる軍事力や警察力を備えています。つまり、‘オンライン国家’の国民は、有事であれ平時であれ、力を要する局面では、既存の国家に依存せざるを得ないのです。

同記事の最後は、「エストニアは大国に翻弄される歴史を歩み、第2次大戦以降はソ連やドイツの支配を受けた。仮に国土が占領されるような事態になってもオンライン上で国家を保てる可能性が拡がる」という一文で結ばれています。この一文と、上記の諸点を考えあわせますと、‘オンライン国家’とは、未来の理想と云うよりも、他国による侵略によって国土を奪われた諸民族のための‘難民国家モデル’なのかもしれないのです(既存の国家による行政サービスのオンライ化は別に問題では…)。

このモデルの発想の起源は、歴史的には国土を失い、流浪の民と化したユダヤ人の国家願望に求めることができるかもしれません。しかしながら、今日、‘オンライン国家’の必要性や実現性が強く説かれるほど、エストニアが警戒するロシアのみならず、強大な軍事力を背景に世界支配を目指す中国による軍事侵攻のリスクが現実味を帯びてくるのです。あるいは、現在においても華僑ネットワークが半ば‘オンライ国家’化しており、サイバー空間とリアルな世界の両面において、人口に優る中国が二重支配を試みるかもしれません。何れにしましても、時代の先端をゆくが如き‘オンライン国家’の登場も、必ずしも人類にとりまして朗報とはならないように思えるのです。


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コメント (2)
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