万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

デジタル投資拡大は日本経済を救うのか?-予測される不安要因

2019年01月23日 13時20分50秒 | 国際政治
本日の日経新聞朝刊の第1面には、アメリカ企業が知識集約型産業への転換を図った結果、全世界企業の純利益の4割をも占めるに至った現状を報じる記事が掲載されておりました。論調としては、アメリカに倣って日本経済も製造・販売を中心としたモノ中心の従来型から‘知識集約型への転換を急ぐべし’なのですが、この転換には不安がないわけではありません。

 第1に指摘すべき点は、米企業の順調な業績は、必ずしも貿易収支の改善を意味しない点です。米国内での巨額なデジタル投資は、知的財産権による莫大な収益を生み出しましたが、その反面、モノづくり軽視の姿勢は製造拠点の海外移転を促し、一般のアメリカ国民は、日用品や家電等の消費財の大半を輸入に頼ることとなりました。輸入依存率上昇の結果、アメリカの貿易赤字の拡大に歯止めがかからず、トランプ政権の誕生とそれに続く米中貿易戦争の一因ともなったのです。米ドルは今なおも国際基軸通貨であるため、巨額の貿易赤字を計上しても米経済は耐えられますが、日本国の円はハードカレンシーではあっても国際決済通貨としての実力は米ドルには遥かに及びません。従いまして、製造業の放棄によって貿易収支が大幅な赤字に転じれば、日本経済はやがて深刻な外貨不足に陥るかもしれません(しかも、エネルギー資源の輸入も不可欠…)。つまり、知識集約型への転換が同時に輸入依存型への産業構造の転換を意味するならば、日本経済は、やがて‘輸入したくてもできない’という袋小路に入ってしまうかもしれないのです。

 第2の不安点は、日本企業が米企業レベルの資本効率に達するためには、世界トップレベルの先端技術を育成する必要がある点です。アメリカには先端技術の開発拠点としてシリコンバレーが存在しており、中国の深センも同様の機能を果たしています。IT、AI、ロボットといた近未来型の産業に関する基礎技術が両国企業に押さえられつつある中、日本企業が収益増に繋がる成果を得うる領域は狭められています。また、仮に、日本企業が、研究・開発の場で画期的なイノヴェーションを成し遂げたとしても、‘ガラパゴス化’を怖れて実用化には二の足を踏むかも知れませんし(米中企業から潰される可能性も…)、端から基礎研究そのものを放棄してしまうかもしれません。同分野での研究・開発に巨額の資本投下、即ち、デジタル投資が必要であるならばなおさらのことです。

 第3に指摘しうるのは、IT分野は、他の分野と比較して専門性が極めて高く、必要人材が少数に限定されている点です。周囲を見回しましても、同分野で世界の第一線で活躍できる人材は殆ど見当たらないはずです。このことは、デジタル投資の拡大と比例して、国民、並びに、国家間で‘デジタル格差’が拡大することを意味します。中間層の崩壊や所得格差の拡大、さらには、上述した米企業への利益集中もこの点から説明できるのであり、アメリカの真似をすれば、日本国もまた‘デジタル格差’の問題に直面せざるを得なくなります。日本国の場合、アメリカよりも社会保障制度が行き届いていますので、貧困層の増加による財政悪化が同時進行することでしょう。

 そして、日本国のみならず世界経済全体として懸念すべき点は、アメリカの製造業軽視が中国の製造業重視と組み合わさった場合、全世界の経済は、両大国間で成立した‘二国間国際分業’によって凡そ独占されてしまうリスクがあることです。もっとも、経済分野での‘米中新時代’のシナリオは、中国が「中国製造2025」を発表して知財産業も製造業も独り占めしようとしたため、アメリカの反発を買って頓挫寸前にあります。何れにしましても、日本国は、徒に米中の後追いをするのではなく、グローバル化がもたらす変化を見据えつつ、そのマイナス影響を被る国、企業、個人のために制御面での役割を果たすと共に、中規模国家として独自の路線を見出すべきなのではないでしょうか。

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コメント (2)
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