万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自由貿易主義が依拠する比較優位説こそ時代遅れでは?

2019年01月22日 13時37分10秒 | 国際政治
昨年の2018年は、アメリカのトランプ大統領が本格的に対中通商政策を転換させた年として記憶されることでしょう。TPPからの永久離脱やNAFTAの再交渉に続いて、アメリカの貿易赤字の最大要因とされる中国からの輸入品に対しては高額の関税が課せられたのですから。自由貿易主義を理想視し、その堅持を訴える立場からしますと、トランプ大統領の保護主義への傾斜は時代の流れに逆行する愚かしい行為のように見えるかもしれません。しかしながら、保護貿易主義を批判する自由貿易主義の理論が前者よりも先端的理論であるのかと申しますと、そうでもないように思えます。

 そもそも、自由貿易主義が依拠する比較優位説は、今日のグローバル化の時代にあっては説明力を失っております。何故ならば、モノのみならず、サービス(製造拠点を含む…)、資本、労働力、そして知的財産までもが自由に国境を越える時代には、如何なる国であっても、比較優位を保つことは難しくなるからです。例えば、グローバリズムの拡大と共に移民が増加し、かつ、先進国にあって失業者も増えた理由は、製造拠点や労働力の国境を越えた移動を自由化したためであり、労働コストにおいて劣位にある側は、低賃金で外国人労働者を雇用する、あるいは、安価な労働力が豊富な国に製造拠点を移すことができます。つまり、要素移動によって相手国の優位性を帳消しにすることで、自らの劣位要因を容易に克服することができるのです。

資本コストも同様であり、資本の調達力において劣位する国は、積極的な外資導入によって自らの劣位を挽回することができます。高度先端技術などの知的財産権も、それが産業スパイといった不正な手段であれ、企業の国境を越えた買収・合併等や特許料の支払い、あるいは、専門知識を有する高度人材の採用等の合法的な手段であれ、如何なる国でも自由に入手できるのです。グローバルな時代には、これらの要素はもはや国際競争上の優劣を決する要因とはならないのです。仮に、グローバリズムを徹底した場合、地球上に優劣を決する要因が残るとすれば、それは、特産品の生産に関わる地理的条件や気候など、自然的な要因となるかもしれません。

すなわち、モノのみを取引対象としていた時代において唱えられた比較優位説は、サービス、資本、労働力、知的財産等が国境を越えて自由に移動するグローバルな時代には、逆に、時間の経過とともに国家間に存在してきた各要素の優劣を消滅させ、格差を収斂させ、世界レベルで平準化させる方向に強力に働きます。端的に述べれば、自由貿易主義の相互利益を説く比較優位説を過去の遺物としてしまったのは、グローバリズムに他ならないのです。グローバリズムの理想を貫き、あらゆる要素の自由移動を認めれば、比較優位説はもはや成立しなくなる、あるいは、狭い分野でしか成立しないのです。となりますと、自由貿易主義とグローバリズムを凡そ同義として扱い、後者を正当化するために前者の正当化理論である比較優位説を持ち出すことはできないはずです。

もっとも、全ての移動を自由化して単一のグローバル市場を出現させるというグローバリズムの理想は現実の壁にぶつかり、上記の如くには全世界を平準化せず、政治分野では国家戦略も渦巻く国民国家体系が存続している現実世界において、‘グローバリズムはどのような結果を人類にもたらすのか’という問題については、別途考察を加える必要がありましょう(もっとも、グローバリズムは、格差が存在している間はイノヴェーションや質的な発展がなくとも利益を上げることができる…)。しかしながら、比較優位説が正当化してきた自由貿易主義がグローバリズムによってその理論上の基盤が切り崩されているとしますと、グローバリズムが齎す諸問題に対しては、両者を明確に区別した上での対応が必要なように思えるのです。

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コメント (2)
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