万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

移民問題は‘サイレント・キラー’か?-移民増加は国際秩序崩壊の危機でもある

2019年01月30日 15時14分13秒 | 国際政治
昨年末、入国管理法改正案が国会で可決成立され、日本国内でも、生活空間における外国人の増加が身近な問題となりつつあります。審議時間も十分ではなく、国民的な合意形成なきままの‘見切り発車’となったこともあり、一般国民の間には漠然とした不安感が拡がっております。

 日本政府もマスメディアも、声を揃えるかのように国民に対して一方的に‘多様性の尊重’や‘受け入れ態勢の整備’を求めているのですが、移民の増加による変化は国内秩序に留まるわけではありません。国際秩序をみれば、今日の国民国家体系の崩壊を招きかねないリスクをも孕んでいます。

 地球儀を一回転させてみますと、その表面には、国境という領域を画する線が無数に引かれています。地表を画する線は時代によって変化しており、1000年前のそれとは大きく違っています。それでは、これらの曲線がどのような基準で引かれているのかと申しますと、それは、現代の国際社会において、各民族に一つの国を持つことを認める原則が成立しているからに他なりません。今日の国境線は、ナショナリズムの賜物なのです。

19世紀から今日に至るまで、ヨーロッパでは、同原則の比較的厳密な適用により各民族がオーストリア・ハンガリー帝国やトルコ帝国から独立しましたし、植民地独立が相次いだ第二次世界大戦後にあっては、国家なき民であったユダヤ人を含めてアジア・アフリカ諸国も同原則の恩恵を受けています。もっとも、一民族一国家の原則の例外も多く、(1)植民地時代に西欧列強が人工的に線引きされたアフリカの諸国、(2)‘新大陸’と見なされて多数の民族が移り住んだ移民国家、(3)周辺民族の征服によって多民族を包摂するに至ったロシアや中国などの帝国型国家、(4)遊牧民族の定住化によって多民族混住となった中央アジア諸国、(5)インドとバングラデシュなどの宗教の違いなどがあります。例外も少なくはないものの、これらの諸国にあって独立運動が起きる時には、民族的なまとまりが独立を主張する正当な根拠ともなるのです。

グローバリズムの急速な拡大によって無視されがちな一民族一国家の原則が確立した理由は、民族自決の原則と結びつくことで、国家の独立性を一層強化する方向に働くからです。これらの原則が存在しない時代こそ、軍事大国による征服や侵略が許され、異民族支配や植民地化が横行した時代であったとは歴史的な事実もあります。そして、民主主義もまた、民族の枠組が消滅したのでは自治権という意味での意義を失うことになりましょう。言い換えますと、強く意識はされていないものの、今日の国際秩序も国内秩序も、その多くを民族という集団的な枠組みに依拠しているのです。

こうした事実に思い至りますと、移民増加が、経済的な要因としての人手不足解消や、リベラル派が主張するような外国人の人権保護や多様性の尊重といった問題に単純には矮小化できないことが分かります。移民の増加によって国内の人口構成が変化すれば、今日の人類社会の秩序を内外から支えてきた大前提が崩れるからです。この視点からしますと、移民問題は、国家や国民国家体系に対するいわば‘サイレント・キラー’なのです。

移民推進派の政府やメディアは、受け入れ側の国民に対して変化の受容を求めますが、その変化こそ、国内外の秩序の崩壊であった場合、素直に首を縦に振ることはできないはずです。最悪の場合には、国際レベルでは企業を主体とした植民地主義の犠牲となるか、あるいは、国境の消滅に乗じた現代の帝国、即ち、軍事大国によって侵略されるかもしれないのですから。また、国内にあっても、民族間の軋轢や対立による社会的分裂や治安の悪化に苦しむかもしれません。移民問題を過小評価してはならず、真に直視すべきは、同問題が引き起こす、各民族に集団的な国家に関する諸権利を認めた国民国家体系そのものの崩壊危機ではないかと思うのです。

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コメント (2)
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