政治家サイドよりも国民の知的レベルが高いことは、今般の自民党総裁選挙においても顕著に観察されます。同選挙における勝利者が既に大凡決められており、選挙そのものが事前に造られたシナリオに従って動いている可能性に、多くの国民が気付くという現象が起きているからです。
もっとも、最初に作成された計画では、自民党総裁選挙の勝利者は、‘先兵’としての実績を積んできた河野太郎氏であったのでしょう。しかしながら、無責任極まりないコロナ・ワクチン事業の推進やデジタル化で見せた強引な手腕から、同氏に対しては、国民の間でアレルギー反応とも言えるほどの反発が起きてしまいました。そこで、早々に河野路線を断念し、同氏は新政権発足後に重要ポストに配置するものとして、小泉進次郎候補を当選させる作戦に変更したものと推測されます。
ところが、同候補は年齢が43歳と若い上に、今般、問題視されたように知的能力にも疑問符が付されていました。党員の間での評判も芳しくなく、従来の少数が競う選挙スタイルを踏襲したのでは、当選はおぼつかなくなります。そこで、これらの障壁を乗り越えるために急遽作成され、実行に移されているのが、目下、国民が目にしている‘小泉作戦’なのでしょう。
先ずもって年齢と知的能力不足の問題への対応として策定されたのが、(1)若さを積極的にアピールし、不安要因を期待要因に変える、(2)知的能力の問題を隠すために、感情やイメージに訴える、(3)党内の有力者を後ろ盾に付ける・・・といった対策です。マスメディアの中には、‘小泉人気’を演出し、既に‘世論調査’の結果を挙げて、小泉政権誕生が決定されているかのような情報を流すケースもあり、多額のマスコミ対策資金が投入されている様子が窺えます。‘小泉優勢’の情報シャワーを浴びせれば、国民の多くは、小泉政権の誕生を‘当然の結果’として受け止めると信じているのでしょう。また、小泉候補自身も、「決着 新時代の扉をあける」といったキャッチフレーズをもって自己アピールに務めると共に、‘身の上話’を披露するなど、有権者の感情に訴える一幕もありました(もっとも、実母との再会のお話は、選択的夫婦別姓導入の文脈における事例紹介とも・・・)。そして、‘キング・メーカー’とも囁かれる菅義偉前首相がしっかりと背後から支える体制を整え、古老との一体化による‘安定感’を醸し出そうとしたのです。
その一方で、選挙スタイルに関しては、立候補者乱立作戦が採用されました。総裁選挙での立候補者が二人や三人と言った少数となりますと、小泉候補が当選する確率は極めて低くなります。また、小林鷹之候補のように、小泉候補よりも若い年齢の政治家が立候補すれば小泉候補の若さも目立たなくなり、一石二鳥です。この点、自民党の総裁選挙では、フランス大統領選挙のように一回目の投票で過半数を得る候補者がいない場合(ただし、党員票と議員票は各々同数の367票で一票の価値に著しい格差がある・・・)、上位2名による決選投票が行なわれる仕組みとなっていますので、票が複数の候補者の間で分散すればするほど、党員の支持の低い候補者でも総裁に選出される確率が高くなるのです。つまり、小泉候補は、20%や10%台の得票率でも一位か二位であれば、決選投票に残ることができます。しかも、決選投票は、国会議員票367票と都道府県連票の47票で構成されており、事実上、国会議員に決定権があります。つまり、自民党内の現在の勢力図からしますと、小泉支持が石破支持を上回りますので、党員票において石破茂氏が一位となったとしても、小泉候補は、国会議員票において石破候補を逆転できるのです。
かくして、‘小泉作戦’は進行中なのですが、この作戦、誤算があったとしますと、国民に見抜かれてしまっていることです(もっとも、他の候補者に対しても既に‘取り込み’は行なわれているはず・・・)。小泉候補の正体が分かってきた結果、同候補に対しては、河野候補に対する国民的反発に匹敵するほどに、国民の間で強い忌避感が広がってきているのです。そして、この忌避感は、真の‘キング・メーカー’に対する疑いにも及んでいます。上述したように、小泉候補の後ろ盾は管前首相なのですが、当の前首相自身も、さらにその背後に潜む‘キング・メーカー’に擁立された疑いがあるからです(二重のマスク・・・)。管前首相も、時の官房長官として令和の年号を掲げた瞬間から、あれよあれよという間に首相の座に上り詰めたのですが、この‘立身出世’も本人の実力のみによるものとも思えません。
おそらく、管政権誕生のキーパーソンとなったのは、新自由主義者の推進者にして世界経済フォーラムの理事を務める竹中平蔵氏であったのでしょう。そして同人脈から、日本国の真のキング・メーカーは世界経済フォーラム、即ち、世界権力であるとする説が、俄然、信憑性を帯びてくるのです。言い換えますと、特定の候補に白羽の矢を立てて支援するのではなく、選挙全体を外部から仕切り、自らの傀儡に最も適した特定の候補者を勝者に導いているのは世界権力であり、この茶番的な手法は、政党レベルのみならず、地方自治体から国政に至るまで、あらゆる選挙を舞台に実行されている疑いがあるのです。今般の自民党総裁選挙は、日本国民が‘グローバル勢力が行なってきた選挙全体をコントロールの手法(‘場の支配’)を見破る機会となったとも言えましょう。そして、ここで得た知見は、相手の手法を知るという意味において、世界権力の頸木からの脱出策を考案するに際して、貴重な基礎知識となるのではないかと思うのです。