万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政党選択から政策別選択への移行を

2024年10月31日 11時43分32秒 | 統治制度論
 現代の民主主義国家では、各政党が公約を掲げて選挙に臨むスタイルが定着してきています。選択の基準がパーソナルな個人から政策リストとして公約に移行した点においては民主的選挙制度を進化させているのですが、公約には、一括選択方式、重大事項の公約外し、果ては外部勢力によるコントロール手段となるといった諸問題があります。特に日本国は中小政党も乱立するために政党政治の限界も見えてきているのですが、この問題に対する解決方法は存在しているのでしょうか。

 少なくとも現状の形式では、政権発足後に民意から離れた政策が実行されてしまうリスクから逃れることは困難です。政治家も政党も、自らの政治信条や支援団体の意向等に基づく政治的な偏りがありますし、民意を100%表すパーフェクトな政策リストの作成は殆ど不可能なことです。その一方で、国民の側にも多様な立場や利益があり、ある一つの政党が提示した政策リストを全面的に支持するという国民も皆無に近いことでしょう。こうした現実が示す改革あるいは改善の方向性とは、国民の各自が、政策毎に選択し得る制度への転換のように思えます。

 そこで考えられる第一の方法は、国民投票制度の導入です。現行の制度では、国民投票は憲法改正手続きに限定されていますが、これ以外の一般の法案にも広げるのです。国民投票の形態ですと、国民が自ら是非の意思表示すべきアジェンダは限定されていますので、民意に従った結果を得ることが出来ます。もっとも、全ての法案を国民投票に付すことは不可能ですので、国民の基本権や利害等に直接に関わる重要な問題に絞る必要はありましょう。昨今の事例としては、選択的夫婦別姓の導入などの家族法の変更は、国民自身の問題ですので、本来であれば国民投票によって決定すべき事項であるのかも知れません。

 もう一つの方法としては、議会の政策別複数議院制への改革です。今日の議会は、一院制であれ、二院制であれ、全ての政策領域の法案を扱う包括・総合型です。歴史的に見ますと、中世ヨーロッパの諸国に見られる身分制議会の主たる役割とは、君主による課税要求に対して各身分が同意を与えることにあり、財政政策に関する利害調整並びに合意形成の機能を果たしていました。長い目で見ますと、議会とは必ずしも包括・総合型である必然性はなく、政策領域別に複数の議院、あるいは、立法機関を設置するという方法もあり得ないわけではないのです。

 複数議院制度の下では、政策領域毎に選挙が実施されることになりますので、国民は、政策を選ぶことが格段に容易となります。その一方で、政党、あるいは、政策提案者の側は、今日のように包括的な政策リストをもって‘抱き合わせ販売的’な手法を用いることが難しくなります。現行の制度にあって衆議院議院選挙(小選挙区と比例代表区)と国民審査の三者を同時に実施するように、政策領域毎に分けられたこれらの複数の議院の選挙も一回の選挙で行なえば、国民の負担も軽減されましょう。

 もっとも、同制度を導入するに当たっては、複数の政策領域をどのように分けるのか、といった政策領域の分け方並びに議院数の問題もありましょう。大きくは内政と外政とに分けることができますが(内政については、予算を要する公益実現系と刑法や民法等の共通ルールを制定する自由・権利保護系を分けるべき・・・)、細かく分けようとすれば切がありませんので、適切な政策のグルーピングも必要となりましょう。あるいは、首相公選制が導入されれば、防衛、安全保障、外交と行った対外的な政策分野は、同選挙をもって適任者を選出すべきなのかも知れません。また、憲法改正を要さない形で同制度に近づけるためには、衆議院と参議院の役割を政策分野別に割り振るという方法もありましょう。

 本提案は試案に過ぎませんが、真の政治改革とは、国民本位の政治を実現するために民主的制度を発展させることに他なりません。現行の制度は完璧ではなく、数多くの欠陥に満ちているのですから、政治家も国民も、外部勢力の圧力に屈する、あるいは、世界権力に絡め取られることなく、民意に応え得る選挙制度、政治制度、そして統治制度の構築にこそ努めるべきではないかと思うのです。

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