国民の多くが不安視する中、日本国政府は、レプリコン型ワクチンの接種を予定通りに10月から開始するそうです。今般の接種では、接種者が選択可能な5種類のワクチンの内の一つとされ、他に選択肢がないわけではないものの、同ワクチンの主たるリスクは、自己増殖性と非接種者へのシェディングにありますので、一人でも同ワクチンを接種すれば、その影響は広範囲の人々に及びます。事実上、‘強制摂取の効果’が生じますので、国民の不安は募るばかりなのです。
レプリコン型ワクチンの危険性を国民皆が共有すれば、同ワクチンを打つ人は現れるはずはない、とする楽観的な見方もありましょう。しかしながら、世の中には、自己中心的な人も存在します。最悪の場合には、自殺願望者の人が、自分一人で死地に赴くのは怖いので、他の人を道連れにするために意図的に同ワクチンを選択することも十分に予測されます。あるいは、社会に恨みを持つ人が、復讐心から同型のワクチンを打つというケースも考えられます。その一方で、特段に悪意はなくとも、政府を全面的に信頼している、ネット情報に疎い、もしくは、認知症を患っている高齢者の人々が、レプリコン型ワクチンの危険性を知らずに打ってしまったり、‘国産の新型ワクチン’という謳い文句に釣られてしまう人が絶対にいないとも言えません。10月に接種開始が始まれば、一定数の人々が同ワクチンを接種してしまうことでしょう。そして、同ワクチンに対するリスクが紛れもない事実であれば、ワクチン接種によって人類が滅びるというシナリオも絵空事ではなくなるのです(考えてもみますと、全人類を滅亡させる決定権を、一般の人々の一人一人が持つという恐ろしい事態に・・・)。
かくして接種の始まる10月を前にして、日本国民は戦々恐々の状態にあるのですが、同時期は、まさしく自民党総裁選の選挙期間と凡そ重なっています。このため、国民の主たる関心は、事実上、日本国の首相を決定することとなる同選挙の選挙模様に向かいがちなのですが、ワクチン問題も、全国民の命が関わるだけに極めて重要です。しかも、同問題は、まさしく政治問題でもあります。中国の武漢において新型コロナウイルス感染症が報告されたときから、同感染症対策は各国政府の責任とされ、日本国でも、ワクチン事業は政府主導で推進されてきたのですから。日本国民の感染率は極めて低レベルであったにも拘わらず、ワクチン事業推進大臣のポストも新設され、管政権下では、急遽、‘全国民接種体制’が構築されたのです。
ワクチン接種事業とは、壮大とも言える政治家主導の国家プロジェクトであったのですから、その責任は、日本国政府にあります。この点を考慮しますと、自民党総裁選挙にありまして、真っ先に質問すべきは、レプリコン型ワクチンの接種事業を含めたワクチン事業に対する見解や今後の政策方針なのではないでしょうか。レプリコン型ワクチンの危険性については科学的な根拠もありますし、外部からせかされるかのように接種を急ぐ厚労省を含めた政府の態度も不自然です。上述したように、非接種者にも接種効果が及ぶ怖れもありますので、相当数の国民が、同ワクチンに対して命の危険性を認識するのも当然です。SNSやウェブ上でも、‘治験大国化のための日本人のモルモット化’やゴキブリ駆除剤の‘コンバット方式によるジェノサイドなのではないか’とする声も聞かれるのですから、政府主導でワクチン事業を開始した以上、何れの候補者も、時の政権与党の一員として誠実に回答すべき責任があるとも言えましょう。とりわけ、ワクチン事業推進大臣の座にあった河野候補の責任は重大です。
もっとも、同質問に対する回答は大凡予測が付きます。9人の立候補者が揃って出演したテレビの討論番組にあって、旧統一教会問題に関する再調査の必要性の有無に関する質問されたところ、全員が手を挙げずに押し黙ってしまった一幕があったそうです。これと同様に、ワクチン接種事業についても、河野候補はもちろんのこと、誰一人として反省の弁を述べることはなく、誰一人としてレプリコンワクチン型の接種中止を公約とする候補者は現れないことでしょう(世界権力による傀儡化の証では・・・)。
‘○○ウィルスに感染した植物は、治療方法がないので処分するしかない’する説明文も、以前でしたならばガーデニング情報の一つとして気にも留めなかったのですが、レプリコン型ワクチンに潜む'感染リスク'を前にしては心穏やかではいられなくなります。国民の命を護る責務を担い、使用中止を決定し得る立場にありながら、政治家がレプリコン型ワクチンの接種を放置するとなりますと、これは、未必の故意による国民殺害の罪ともなりかねないと思うのです(たとえ国民の懸念が杞憂であったとしても、最低限、安全性が証明されるまでは中止すべき・・・)。