万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

小選挙区制は国政選挙に不向き

2024年11月01日 10時49分07秒 | 統治制度論
 日本国の衆議院選挙では、1996年10月14日に実施された第41回衆議院選挙以来、小選挙区制が採用されてきました。小選挙区制度の最大のメリットは、選挙区を人口割りで設定し得るため、一人一票同価値が実現することです。また、二大政党制の国では、議会選挙と同時に選挙後の政権の選択ができるとするメリットもあります。しかしながら、こうした諸メリットは、少なくとも日本国には当て嵌まらないように思えます。

 上述したように、各選挙区の人口がおよそ同数となる小選挙区制では、議員の選出に際して一人が投じる一票は同価値を持ちます。各自の選挙権の価値を基準としますと、平等原則が徹底されているとも言えましょう。その一方で、選挙に立候補する権利、すなわち、被選挙権の側面に注目しますと、日本国は著しい多党制ということもあり、平等原則からはおよそかけ離れています。被選挙権には、年齢等による要件に加えて供託金等による事実上の制限もあるのですが(個人レベルにおける機会の不平等・・・)、政党政治の現実に照らしますと、中小の政党を含む全ての政党が、全国の全ての小選挙区に候補者を擁立することは凡そ不可能であるからです。小選挙区制は、一選挙区から最大の票数を獲得した人のみが当選者となりますので、資金力や組織力に優る大政党に有利とされています。政党間の機会の平等という観点からしますと、決して平等とは言えないのです(政党レベルにおける機会の不平等・・・)。ここに、選挙権の平等は、必ずしも被選挙権の平等を意味しないという問題を提起することができましょう。

 そもそも小選挙区制とは、17世紀の名誉革命以来、二大政党制をもって国政を運営してきたイギリスを発祥の地としています。その出発点にあって、小選挙区制には2者択一的な政権選択の意味合いが含まれることにもなったのです。こうした歴史的背景を踏まえますと、中小の政党がひしめく多党制である日本国では、上述した政党間における機会の不平等の問題が深刻であることがわかります。先月10月27日に実施された今般の衆議院議員選挙でも、大政党優位の制度的特徴が選挙結果に歪な形で現れたとも言えましょう。自民党と立憲民主党の二つの大政党が小選挙区にあってそれぞれ100を超える議席を獲得しながらも何れも過半数に過半数を超えないため、今後の連立政権の組み合わせの如何が不透明となり、どのような政策を行なう政権となるのかが、国民には予測のつかない混乱した状況をもたらしているからです。言い換えますと、多党制の国においては、政権交代、政策変更の容易性という小選挙区制のメリットも失われてしまうのです。

 加えて、より根本的な問題としては、小選挙区制は、国会議員を選ぶ選挙制度として適切であるのか、という問いもありましょう。何故ならば、国会議員とは、国家レベルでの政策や法を制定する機関ですので、人工的に区割りされた極めて狭い地縁集団、すなわち、小選挙区から選ばれた人物が必ずしも国民を代表しているとは言えないからです。この問題は、居住地を唯一の基準としたグルーピングである選挙区というものが、果たして政治家の選出に適してるのか、という、統治機関の諸機能と選挙制度(人事制度)との間の合理的適応性をも問うているのですが、少なくとも、小選挙区制と国政との間には、政治の枠組みにおいて著しい不整合性が認められるのです。

 同不整合性は、国会議員の世襲問題の一要因でもあります。その理由は、選挙区の地理的範囲が狭いほど、自己の地盤としての相続的な選挙区の継承が容易になるからです。親兄弟など、世代を越えて同一の場所を居住地とすれば、地縁のみならず様々な血縁や社会的な繋がりが集票力としての力を発揮します。この現象は、必ずしも小選挙区制に限ったものではありませんが、地元密着型の政治家の選挙での強さは、大多数の国民から落選を期待されながらも、地元の支援団体等に支えられて当選してしまう議員達の姿からも容易に理解されましょう。また、地域密着度が高いほど自らの選挙地盤への利益誘導も強まりますので、国政が歪められてしまう原因ともなるのです。

 以上に現状における小選挙区における主たる問題点を挙げてみましたが、国政レベルの選挙であれば、合理的に考えれば最も相応しいのは全国区であるのかもしれません。全国区では、一人一票同価値も実現するからです。もっとも、比例代表制や混合型等を含む何れの選挙法であれ、現行の465議席の全てを全国区で選出するには数が多すぎますので、議員数の削減を伴う改革となりましょう。そして、昨日の記事で述べた政策別選択への制度的移行の方向性を考慮しますと、たとえ段階的とはなっても、複数議院制を組み合わせてゆく必要もありましょう(首相公選制、国民投票、国民発案などの制度も加えて・・・)。全国区制に変更したとしても、連立政権の組み合わせ等に関する混乱と予測不可能性の問題は解決しないないからです。何れにしましても、日本国の政治がグローバリストの手に落ち、民主主義から遠のいている現状からしますと、国民が真の主権者となるためには、新たな統治制度に関する議論を始めるべきではないかと思うのです。

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