万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

第三次世界大戦計画は存在するのか

2024年04月30日 14時38分47秒 | 国際政治
 ‘陰謀論’という陰謀説封じの作戦は、一般の人々の合理的な思考に基づく疑問を口にさせないところにその目的があります。即ち、理性をもってすれば誰もが疑問を抱かざるを得ない出来事であっても、それを‘理性のある人であればそのような疑問を抱くはずはない’とする方向に、世論を強引に引っ張って行こうとするのです。いわば、‘理性’を逆手に取った高等戦術とも言えましょう。周囲から‘愚か者’と見なされるぐらいならば、疑問を心の中に無理矢理にでも閉じ込めて沈黙してしまうのです。

 もっとも、陰謀論作戦の目的は事実隠しにありますので、同作戦の網に絡め取られますと、何時まで経っても事実には行き着かないことになります。それでも実害がなければ、人々は事実を知らないことに対して然して不都合を感じることはないのでしょうが、得てして人とは、他者に害を与えることを知りつつも、自らにとっては利益となるからこそ、隠蔽を欲する傾向にあります。ホワイトライにも通じる利他的な動機による場合もないわけではないものの(‘知らない方が本人のためになる’として、一方的に情報を与えないような場合・・・)、陰謀論作戦の目的は、自らの謀略、すなわち利己的他害性を本質とする自己の‘隠れた悪事‘の存在否定にありますので、陰謀論作戦を仕掛けた側に非があることは疑いようもありません。

 前置きが長くなってしまった理由は、第三次世界大戦計画に警鐘を鳴らし、そのリスクへの対応を主張する場合、常々、その行く先には‘陰謀論’が待ち構えているからです。もっとも、陰謀や謀略は、人々の目に触れないところで計画が練られ、かつ、実行されますので、その存在を証明することは極めて困難です。この秘密性こそ、陰謀の実在証明に伴う困難性の主因であると同時に、陰謀論が効果を発揮する要因ともなります。言い換えますと、秘密性故に、陰謀論は絶対的な有利性を確保することができるのです(完全犯罪の心理・・・)確かなる存在証明を求めればよいのですから。

 しかしながら、逆は必ずしも真ならず、とも申しますように、‘証明できないことは全て事実ではない’とも言えないはずです。むしろ、論理的には、‘証明できないことの中にも事実がある’が正しい命題となりましょう。犯罪事件でも、しばしば証拠不十分で検察が不起訴にしたり、裁判所で無罪判決が下されるケースは少なくありません(限りなく黒に近いグレー・・・)。こうした場合、起訴の有無や無罪判決と真偽との関係性は絶対ではないのです。

 また、陰謀の実在証明が困難なのと同様に、陰謀の不在の証明も簡単ではありません。とりわけ、極めて不自然であったり、陰謀の実在を前提としなければあり得ない行動や現象が見られた場合、これらの不審点について、合理的に説明することができないケースが多々あるからです。陰謀論を主張する人々が現れた場合、逆に、不在証明を求めるのも一つの有効な対処方法であるのかも知れません。

 それでは、第三次世界大戦計画についてはどうでしょうか。仮に、陰謀論作戦が成功し、その存在が完全に否定され、可能性を指摘することさえできないとしますと、そのリスクは甚大です(暴走するバスに同乗させられ、降りられないようなもの・・・)。過去における二度の世界大戦を遥かに上回る人的、物的被害も予測されますので、犯罪一般の比ではありません。戦争ビジネスが繁栄するのみならず、戦争の勝敗に拘わらず、世界権力による地球規模の人類支配体制が確立するかも知れませんし、また、それに失敗したときには、人類は核戦争によって滅亡の道連れにされる可能性もありましょう。

 そして、ここに、陰謀論作戦に取り込まれて陰謀説を無視するリスクと、陰謀の実在を想定して対応した場合のリスクとを、冷静に比較考慮する必要性が生じます。前者の場合には、陰謀がシナリオの通りにスムーズに進み、疑問も投げかけられませんので、第三次世界大戦は現実のものとなり、被害や損害は天文学的なものとなることが予測されます。各国の政府とも謀略の協力者ですので、国民など眼中になく、命じられた指令通りに第三次世界大戦へと突き進んでゆくことでしょう。

 その一方で、前者と比較しますと、後者の方が遥かに被害は小さくて済みます。第三次世界大戦において想定される惨事を予測すれば、ゼロではないにせよ、陰謀阻止に際して生じるリスクや損害は限定的であるからです。もっとも、政府は共謀者の立場にありますので、政府にこの役割を求めるのは困難です。そこで、第三次世界大戦を回避しようとすれば、戦争への流れをどこかで誰かが止めなければならなくなるのです。

 この役割は、それが一部であれ、国民を置いて他にないように思えます。陰謀論作戦を見抜き、戦争に反対する国民が多くなるほどに、政府は、計画通りの行動はとれなくなるからです。もっとも、陰謀論作戦を遂行する側、即ち、陰謀を企む側が、脅迫や暗殺などをもって言論を封じようとする可能性もあります。悪事は悪人によってなされるのですから、血も涙もないものと想定した方がむしろ後悔せずに済みます。こうした危険性がある場合、特に世界権力や政府の内部者や、協力を強要されている人々は、表面的には陰謀はないものとして振る舞いつつも、第三次世界大戦への誘導路線に乗らない、もしくは、騙された振りをしながら、同計画を陰ながら阻止するという方法もありましょう。なお、こうした暴力的な手段によるリスクも、国民の多くが陰謀の実在に気がつき、政府に対する視線に厳しさが増すほどに自ずと低下してゆくことでしょう。

 最近の国際情勢を観察しますと、第三次世界大戦への導火線と推測されるような事柄が相次いでいます。過去にあって、人類は二度も世界大戦に巻き込まれたのですから、今度こそ三度目の世界大戦の道から逃れるべく、知恵を絞る必要があると言えましょう。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本国の政策は誰が決めてい... | トップ | 第三次世界大戦計画と日米軍... »
最新の画像もっと見る

国際政治」カテゴリの最新記事