万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自民党総裁選挙に見る首相の閣僚人事権問題

2024年09月23日 12時01分34秒 | 日本政治
 政党内の選挙でありながら、今般の自民党総裁選挙ほど国民の関心を集めたケースは過去にはなかったかもしれません。そして、国民が政治家に対して警戒心を高めたことも。おそらく、多くの国民が日本国の民主主義の危機を敏感に感じとったのではないかと思います。それ程までに、今般の自民党総裁選挙は、あたかもパンドラの箱を開けたかのように政治家達の醜態を晒してしまった観があるのです。

 民主的制度が国民から離れる、あるいは、国民ら政治から排除されてしまう主たる原因は、制度設計の悪さや不備にあります。本日の記事では、首相の閣僚人事権、すなわち、議院内閣制においては政権与党のトップが握る人事権の問題を見てみることにしましょう。現行の制度では、首相が組閣の権限を独占しているからです。

 混戦状態に陥った今般の自民党総裁選挙では、ネットやSNSの普及もあって、世論の動向を多くの国民が追っています。これまでの選挙では、世界権力のコントロール下にある大手マスメディアが‘’人気を演出すれば、否定的な世論もかき消されるか、霞んでしまったものです。ところが今回だけは違っており、これらの候補者に対する世論の反発や批判が収まらないのです。おそらく、立候補者9人の個々を対象に、公平・公正な世論調査を実施すれば、何れの候補者も支持率は30%にも満たないことでしょう(立候補者間の比較による相対的な支持率と立候補者個人に対する絶対的な支持率は違う・・・)。とりわけ、新自由主義者にしてグローバリスト勢力との繋がりの深い小泉進次郎候補並びに河野太郎候補に対する逆風は、過去に類を見ないレベルに達しているのです。

 かくも国民からの拒絶反応が強いのですから、小泉内閣並びに河野内閣の誕生はあり得ないと思われがちです。しかしながら、今日の総裁、否、首相に人事権が集中する制度では、必ずしも民意に添った内閣が成立するとは限りません。何故ならば、議員票の比率が高く設定されている自民党の総裁選挙の仕組みでは、低得票率でも決選投票に残れば逆転できますし、閣僚ポストを取引材料とすることで、国民に不人気な候補者であっても総裁選挙において勝利することが出来るからです。

 後者については、自らの出馬を断念し、小泉候補の支持を表明した齋藤健経産相の行動にその典型例が見られます。‘勝ち馬に乗る’という手法でもあり、小泉政権発足後の入閣と引き換えに、自らはサポート役にまわるとする取引です。おそらく、齋藤経産省のみならず他の議員達も、水面下では閣僚ポストや党三役等の重要ポストを得るために、国民に不人気な候補者と取引を行なっていることでしょう。あるいは、従来型の総裁選挙に頻繁に見られたような‘派閥間取引’もあるのかも知れません。

 また、来るべき総選挙での敗北をおそれて小泉・河野両候補以外のいずれかの立候補者が勝利し、○○政権が誕生したとしても、それでも国民は安心できません。第一に、小泉候補や河野候補自身が上述した取引を行なう可能性があります。第1回投票で二位以内に入らない場合、第2回投票に際しては、何れかの候補への支持と引き換えに自らの閣僚ポストを要求するかも知れません。そして、第二に、他の候補者、否、自民党そのものにも世界権力の魔の手が伸びていますので、当選候補に対して、自らの手駒である両候補者の閣僚就任を命じることも十分にあり得ます。逆風に晒されながらも余裕さえ感じさせる小泉候補や河野候補の態度は、既に環境やデジタルに関わる重要ポストを約束されているからなのかもしれません。そして、ひとたび大臣職に就くと、世界権力から下された‘ミッション’を強引に実行に移すことは、過去の言動によって既に証明済みです。

 自民党の総裁選挙を観察しますと、日本国の議院内閣制度が、むしろ、民主主義を形骸化させる方向に悪用されている実態が見えてきます。今日の政党は公的な組織として位置づけられ、財政面でも国庫から政党助成金を支給されているのですから、総裁を選出するに際しても民意を考慮すべき存在です。それにも拘わらず、任意加入の組織である故に、党のトップの選出に際しては外部勢力が介入し得ると共に、党内のパーソナルな関係が結果を左右してしまうのです。いわば、ガラス張りの公開選挙の形をとりながらも、実質的には密室化しているのです。

 この状態を放置しますと、日本国では、民意に反した政権が政治権力を行使する状況が常態化し、民主主義国家とは言えなくなります。先ずもって首相公選制の導入に向けた議論を開始すべき時なのですが、その際に注意すべきは、首相の閣僚任免権の独占問題です。何故ならば、閣僚人事を首相に一任する制度では、閣僚ポストは取引材料にされたり、国民に不人気、あるいは、積極的に避けたい政治家が登用される手段となるからです。つまり、首相公選制を導入しても、非民主的な恣意的人事権行使の問題は、政党から国政レベルに移ったに過ぎないからです。

 議院内閣制であれ、大統領制であれ、この閣僚人事トップ一任制度は君主制の名残なのでしょうが、現代にあっては、より民意を反映した組閣を実現するための制度的な工夫を要しましょう。例えば、首相選挙は首相一人を選出するのではなく、閣僚リストとセットとする、同時に各閣僚の選出を個別に実施する、単記ではなく連記方式を採用し、基準の票数あるいは得票率を超えた立候補者のみから閣僚を選ぶ・・・といった工夫です。パーティー券の問題もあり、自民党内の党内改革に関心が向かいがちですが、国民が真に望んでいるのは国政改革ではないかと思うのです。

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