万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本国の政治家の権力濫用問題

2024年09月19日 12時04分41秒 | 日本政治
 政治的な民主主義の本義とは、国民の必要性に基づく国民自治にあります。この視点から現在の日本国の政治を見ますと、政治家達は、国民のニーズ、即ち、国民の声など全く聞こうともせず、陰の‘任命者’である世界権力のニーズを充たすことを自らの使命としているかのようです。支配者が被支配者を自らの支配体制に組み込んでゆく手法は、ローマ帝国をはじめ、しばしば人類史に登場しますが、現代という時代にあっても、この異民族支配の伝統的な手法は実行されているようなのです。

 自民党総裁選挙を舞台として演じられている‘茶番劇’にも透けて見えるように、民主的な選挙も上部からコントロールされ、すっかり形骸化しています。そして、日本国の支配地への転落は(もっとも、明治以降の日本国が真に独立国家であったのかどうかは疑わしい・・・)、今日の政治家による強引なミッションの遂行、即ち、独断専行の権力濫用として現れているとも言えましょう。今や、日本国では、政策や法とは、国民自治とは真逆の支配のための道具となっており、国民を世界権力が構想する未来ヴィジョンの方向へと強制的に駆り立てているのです。

 例えば、ワクチン接種推進担当大臣を務め、現在はデジタル大臣の職にある河野太郎氏の権力の使い方を見れば、一目瞭然です。あらゆる手段を駆使し、できる限り多くの日本国民にコロナワクチンを打たせることが世界権力から与えられた‘ミッション’であったと想定すれば、虚偽の安全宣言で国民を安心させつつ、職域接種等を設け、同調圧力という狡猾な手段を用いた理由も分かってきます。国民からの評価はマイナスでも、世界権力からは花丸付きの合格点をもらえるのです(その論功行賞は、首相の座であったかも知れない・・・)。そして、デジタル大臣への就任も、その強引な‘突破力’が評価されてのことなのでしょう。

 また、小泉進次郎氏に関しても、環境相時代にはスーパーマケット等におけるレジ袋の有料化という‘政策’を行なっています。当人の説明に因りますと、同政策を実施した理由とは、プラスチックゴミに対する国民の問題意識を高める、つまり、国民に対する啓発ということのようです。同政策は、政界権力がグローバルに推進しているグリーン政策の一環ですので、これもまた、小泉氏に課せられた‘ミッション’であったのでしょう(もっとも、具体的な策については、小泉氏に任されていたかもしれない・・・)。同政策の目的が啓発なのですから、当然に科学的根拠があるわけでもなく、大臣の個人的で気まぐれな‘思いつき’でも法的義務を伴う政策として実行されてしまうのです。

 因みに、レジ袋有料化に際して法的根拠となるのは「レジ袋有料化及び無料配布禁止を義務付ける省令」であり、あくまでも‘省令’です。省令は国会での立法措置を要しませんので、かつては行政指導と共に官僚主導型の弊害の一つとして指摘されてきたのですが、今日では、所轄の大臣職にある政治家によって濫用されているとも言えましょう(国民のコンセンサスを欠いたまま、‘鶴の一声’で決まってしまう・・・)。そもそも、レジ袋の配布方法に関する決定権は、本来、民間企業にあるはずです。自由主義とは、政府の不当な介入から個々の自由や権利を護る立場にあり、かつ、これらの擁護は国家の統治機能の一つでもあります。しかしながら、今日の政治家の頭の中では国民保護の役割が消えており、政治権力を世界権力の日本支配のために濫用しているとしか言い様がないのです。これは、国民に対する背任行為であり、背後にマネー・パワーが動いているとすれば、売国行為と言っても過言ではありません。

 そしてここに、政治家の権力に対する制御という問題も提起されてきます。冒頭で述べましたように統治権力の源泉は国民の必要性にあるのですから、政府のメンバーであれ、議員であれ、政治家に対して生殺与奪の権とも言えるような無制限な権力を与えているわけではありません。国民が必要としない法律や政策の押しつけは、権力の濫用、越権、逸脱並びに私物化に当たるのであり、政治権力に対しては、統治機能に即した適正な範囲に収まるような歯止めを必要とするのです。ところが、最も高い独立性が保障されている司法機関をもってしても、十分に制御機能を果たしはいないのが現状なのです。

 今般の自民党総裁選挙でも、各候補がそれぞれ‘公約’を掲げていますが、先ずもって吟味すべきは、政治家が国民に提示している政策が、国民が政治家に委託している任務の範囲を超えているのかどうか、という問題です。国民が頼んでもいない‘仕事’を政治家達が勝手にしている現状を見ますと悲観せざるを得ないのですが、図らずも自民党総裁選を舞台として政治家達が馬脚を現わしてしまったことは、世界権力のシナリオに狂いを生ぜさせる切っ掛けとなるかも知れません。この狂いは、日本国民のみならず、全人類にとりましてはチャンスです。これを機に、日本国民は、主権を世界権力から取り戻すと共に、適切な権力分立・分有を目指した統治システムの全般的な見直しに踏み出すべきではないかと思うのです。

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