与野党を問わず、グローバル化の時代とは、日本国の政治家達が世界権力のネットワークに取り込まれた時代でもありました。政治家を装いながら、その実、グローバルレベルでの決定事項を実行するために任じられた‘悪代官’となってしまったとも言えましょう。とは申しましても、絶大なるマネー・パワーをグローバルに発揮できる立場にありながら、世界権力は、直接に政治家を任命することができません。とりわけ国民が参政権を有する民主主義国家にあっては、政治家は選挙を経て公職に就きますので、合法的に‘代官’を置くには、自らの‘配下の者’を民主的選挙において勝たせる必要があるのです。
同視点から今日の選挙の光景を見ますと、マスメディアをも総動員した‘選挙劇場’の存在に気づかされます。選挙の場は‘劇場の舞台’であり、有権者という観客を前にして、出演者の各自が開票までの各幕をシナリオ通りに演じているのです。もちろん、同シナリオでは最初から‘主役’となる勝利者は決まっており、選挙全体が筋書き通りにコントロールされています。実際に、過去最多の9人が立候補した今般の自民党総裁選挙を前にして、麻生太郎副総裁は「主役も決まっていないし、配役もまだそろっていないというのが今の状況だ」と語っています。この発言は、選挙に際して‘シナリオ’が存在するのが常であることを強く示唆しているとも言えましょう。そして、同発言は、従来のシナリオ方式が通用しなくなった現状に対する嘆きの言葉でもあるのです。
さて、選挙が劇場化しているグローバル時代の政治状況からしますと、‘主役’に相応しいのは、演出家の指示通りに自らの役を演じきることができる、高い演技力が期待し得る人物と言うことになりましょう。演技力を基準としますと、小泉進次郎候補が主役、即ち、最有力候補として白羽の矢が立てられた理由も理解されてきます(なお、河野太郎候補が抜擢されたのは、演技力というよりも、‘観客’の否定的な反応を無視し切る‘冷酷さ’であったのかもしれない・・・)。過去にあっては父親の純一郎氏が‘小泉劇場’の主役を務めましたし、実兄の孝太郎氏はプロの俳優です。進次郎氏に対する演技力への期待値は飛び抜けていたのでしょう。そして、最初に作成された同劇場のシナリオは、‘第二の小泉劇場’、‘小泉劇場-進次郎編’、あるいは、小泉劇場のリメイク版として幕が上がる予定であったのでしょう。
しかしながら、現実には麻生氏が嘆くようにシナリオ通りには事は運ばれず、‘選挙劇場’の存在は既に国民の多くが認識するところとなりました。国民が目にしているのは、仮想現実の‘選挙劇’ではなく、筋書きや裏方の動きまでもが見えてくるリアルな‘選挙劇の製作現場’となってしまったのです。そして、‘選挙劇’が演じられる目的が、シナリオを作成した側による日本国の支配であることも分かってきますと、国民の目には、政治家達の姿が、国民を騙そうとしている‘詐欺師’の一団に映ってしまうのです。少なくとも、保守政党を自称してきた自民党につきましては、‘偽旗作戦’の誹りは免れ得ないことでしょう(既に、世界権力の配下にあるグローバリストの‘日本支部’であることを隠そうともしていないかもしれない・・)。
かくして自民党総裁選挙は、シナリオなき、否、結末不明の様相を呈するに至ったのですが、世界権力は、未だに選挙を自らが仕切る‘舞台’と見なしているはずです。小泉候補や河野候補以外の立候補者達も、対抗馬や数合わせのために自らが選んだ配役の一人に過ぎないとする自負があるからです。両氏を抜き去って決選投票に残るとされる高市早苗候補も、保守色が強く、防衛や安全保障に対する意識の高さから、保守層を中心に国民からの人気も比較的高いのですが、世界権力が温めてきた第三次世界大戦シナリオに利用されるリスクもないわけではありません。また、石破茂候補が提唱しているアジア版NATO構想も、台湾有事の可能性や朝鮮戦争が休戦状態にあることを考慮しますと、火中の栗を拾うようなものでもあると共に、第三次世界大戦シナリオにとりましては、日本国を巻き込む上で好都合となりましょう。
以上に述べてきましたように、自民党の総裁選挙にありましては、何れの候補が総裁に選出されたとしても、国民の多くは安心できないことでしょう。悪夢のような岸田政権の終焉は、さらなる苦難の始まりかも知れないのですから。国民が真に見たい‘劇’の結末が‘悪代官’が‘正義の味方’によって懲らしめられる姿であるにも拘わらず、今日演じられているのは、‘悪代官’が領民を騙すために演じている茶番劇なのです。
内部からの民主主義の切り崩しが進む今日、日本国民は、政治を劇場から現実に引き戻すべきと言えましょう。今般の自民党総裁選挙に際して顕著となった、グローバリスト候補に対する国民の批判の高まりは、初めて表面化した国民本位の政治の実現に向けた、微かではありながらも確かな動きなのではないかと思うのです。