本日7月4日、日本国では、同月21日が投票日となる第25回参議院議員選挙が公示されました。各党とも選挙戦に向けて一斉に街頭に繰り出したのですが、候補者の人選、特に野党の候補者選びにつきましては疑問なところがあります。
今日、全世界の風景を見渡してみますと、‘多様性’のキャッチフレーズが猛威を振るっているように思えます。とりわけ性差別に関する運動が活発であり、LGBTについてはイギリスのウィリアム王子まで動員しての熱の入れようです。こうした全世界的な広がりを見せている運動は、同一のフレーズが使われていることからしましても、何らかの国際組織が背後にあることは容易に推測されます。EUでも、今般、女性初の委員長、並びに、ECB総裁が誕生する見通しですが、国際レベルや国家レベルにおける人事に際しても、最優先にされるのは能力や手腕よりも差別解消なのかもしれません。おそらく、日本国内で議論を呼んでいる女性・女系の天皇や宮家の問題も、性差別解消を強力に推進している国際組織の圧力があるのでしょう。
‘多様性’については、性差別のみならず、あらゆるマイノリティーや弱者に対する‘差別’が含まれます。このためか、参議院選挙での候補者の顔ぶれを見ますと、マイノリティーであることを全面的に打ち出し、得票に結びつけようとする戦略も見受けられます。この手法は、アメリカ民主党にあってオバマ前大統領やヒラリー・クリントン氏をトップの地位に押し上げるに際して使われたのですが、日本国の国政選挙でも、‘多様性戦略’とでも表現されるような候補者の人選が行われているようです。
しかしながら、国会の役割に照らしてみますと、多様性重視の人選の方針には疑問があります。何故ならば、国会が様々なマイノリティーの代表を集める場と化してしまいますと、もはや、国民の代表が集まる機関とは言えなくなるからです。一般の国民はマジョリティーですので、ここに、マイノリティーとマジョリティーとの間に抜き差しならない二律背反性が生じてしまうのです。そして、政治家の方々がしばしば言及する‘政治は数’という言葉はさて置くとしても、民主主義における基本原則は多数決ですので、マイノリティーの集合体としての議会が真に民意を代表するのかも怪しくなるのです。
もちろん、議会の役割の一つは、国民の間に存在する異なる立場や利害関係等を調整することですので、マイノリティーの方々の意見を政治に反映させることは重要です。全ての人がは分野が違えばマイノリティーになり得るのであり、ある意味、社会が多様性に満ちていることは当然のことです。なればこそ、多様性の実現とは、議会の議員構成を多様化することではなく、政党や政治家自身があらかじめ多様性を調和させたり、マイノリティーの人々の意向を汲んだ政策を立案したり、あるいは、党綱領を作成し、賛意を得るべくこれらを国民に問うことにあるのではないでしょうか。日本国を含め、現在の政治を見ておりますと、政治そのものよりも、何か別の方向に国民の関心を逸らそうとする傾向に危惧を覚えざるを得ないのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
今日、全世界の風景を見渡してみますと、‘多様性’のキャッチフレーズが猛威を振るっているように思えます。とりわけ性差別に関する運動が活発であり、LGBTについてはイギリスのウィリアム王子まで動員しての熱の入れようです。こうした全世界的な広がりを見せている運動は、同一のフレーズが使われていることからしましても、何らかの国際組織が背後にあることは容易に推測されます。EUでも、今般、女性初の委員長、並びに、ECB総裁が誕生する見通しですが、国際レベルや国家レベルにおける人事に際しても、最優先にされるのは能力や手腕よりも差別解消なのかもしれません。おそらく、日本国内で議論を呼んでいる女性・女系の天皇や宮家の問題も、性差別解消を強力に推進している国際組織の圧力があるのでしょう。
‘多様性’については、性差別のみならず、あらゆるマイノリティーや弱者に対する‘差別’が含まれます。このためか、参議院選挙での候補者の顔ぶれを見ますと、マイノリティーであることを全面的に打ち出し、得票に結びつけようとする戦略も見受けられます。この手法は、アメリカ民主党にあってオバマ前大統領やヒラリー・クリントン氏をトップの地位に押し上げるに際して使われたのですが、日本国の国政選挙でも、‘多様性戦略’とでも表現されるような候補者の人選が行われているようです。
しかしながら、国会の役割に照らしてみますと、多様性重視の人選の方針には疑問があります。何故ならば、国会が様々なマイノリティーの代表を集める場と化してしまいますと、もはや、国民の代表が集まる機関とは言えなくなるからです。一般の国民はマジョリティーですので、ここに、マイノリティーとマジョリティーとの間に抜き差しならない二律背反性が生じてしまうのです。そして、政治家の方々がしばしば言及する‘政治は数’という言葉はさて置くとしても、民主主義における基本原則は多数決ですので、マイノリティーの集合体としての議会が真に民意を代表するのかも怪しくなるのです。
もちろん、議会の役割の一つは、国民の間に存在する異なる立場や利害関係等を調整することですので、マイノリティーの方々の意見を政治に反映させることは重要です。全ての人がは分野が違えばマイノリティーになり得るのであり、ある意味、社会が多様性に満ちていることは当然のことです。なればこそ、多様性の実現とは、議会の議員構成を多様化することではなく、政党や政治家自身があらかじめ多様性を調和させたり、マイノリティーの人々の意向を汲んだ政策を立案したり、あるいは、党綱領を作成し、賛意を得るべくこれらを国民に問うことにあるのではないでしょうか。日本国を含め、現在の政治を見ておりますと、政治そのものよりも、何か別の方向に国民の関心を逸らそうとする傾向に危惧を覚えざるを得ないのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
人類の半数は女性であるハズなのに、女性議員が少ないことの方が問題です。
これでは国の政策が男性偏重になって当然です。
男女差の是正と、(都市と地方の)一票の格差の是正をこそ、まず第一に考えるべきなのです。
たしかに、近年、『多様性』が、あらゆる分野でキャッチフレーズになっていますが、
おかしな事だと思います。
特に国会議員の選出基準に、多様性を持ち込むなど見当違いだと思いますね。
立憲民主党の議員には、日本国籍を取得した外国人出身者が何人かいますが、まあ、
ろくな人がいません。
多様性を主張する左派系の野党は、『ドタバタ喜劇団』みたいな様相を呈していますわ。(笑)
もちろん、少数民族や障害者、LGBTの人たちの立場や人権は配慮しなければ
ならない、とは、私も思います。
しかしながら、少数者・例外者はあくまでもマイノリティーであり、そういう人たちの
権利・主張が過剰に押し通されることになりますと、ノ-マル(普通者)な社会の
運営や意識合わせに不都合が生じます。
『多様性の主張』は、あくまでもひとつの傍論的な意見であって、『金科玉条』では
ありますまい。
◎多様なる 国家社会を めざすより 国民すべてが ひとつであれやと、、、
確かに、女性議員の数が少ないという現実は是正すべきであると思います。その一方で、女性議員の数さえ増えれば問題なし、という風潮に至ってはならないのではないかと考えております。実のところ、男性であれ、女性であれ、普通の国民が国会議員になれない現実こそ、我が国の民主主義における最大の障壁であり、問題点ではないかと思うからです。
政治であれ、経済であれ、社会であれ、多様性ばかりが喧伝されている現状は、どこか常軌を逸しているように思えます。その一方で、現実は逆であり、グローバル化の流れと軌を一にするかのように画一化が進んでおります。どこかで誰かがこの異常性に気が付くべきではないかと思うのです。
逆さなる 末こそ誰そ 覚ゆらむ 多をもとめて 一とならむを
コメントとしてお寄せくださいました櫻井さまのお歌には、どことなく全体主義的な風味が漂っているようには思えます。
(いや、かなり、関係はあるとは思いますが、、、)
『大政翼賛会』についての問題提起がありましたので、
私の管見を申し上げて置きます。
たしかに、大東亜戦争中に、『大政翼賛会』という組織がありました。
この組織については、とかくネガティブな先入観で語られることがありますが、
いまの時代となれば、客観的な考察も必要でしょう。
まず、第一に、はっきり確認しておきますが、、、
これは、ドイツのナチス党やロシア共産党のような独裁政党ではありません。
大政翼賛会というのは、戦時体制において、
「多少の意見の違いはあっても、国民は心をひとつにしなければならない、」
という趣旨で結成されたものであり、独裁的な意志決定機関ではありません。
会員には、国粋主義者もいましたが、比較的リベラルな人もあり、
かなり【★多様性★】のある団体だったらしいです。
戦時中当時でも、大政翼賛会の内外からは、その方針に批判的な意見も
あつたそうですし、そうゆう点からも、この組織を独裁政党とは言えますまい。
また、この大政翼賛会に加入していなければ、国会議員に立候補できないとか、
公務員になれない、、とか言うものでもありません。
戦後、自民党政権の総理大臣になった三木武夫氏は、大政翼賛会には非協力的
だったそうですし、逆に、戦後、社会党委員長でクリスチャンだった川上丈太郎氏
は、大政翼賛会の幹部だったそうです。
、、、、ものごとは、単純には判断できません。
、、、、なお、この『大政翼賛会』につきましては、客観的中立的な歴史学者の研究も
ありますから、そういう書物や論文を読まれたらいかがでしょうか?
◎なにごとも 狭い心で とらえたら 正しい理(ことわり) 会得しがたし
有事に際しましては、連合国側のイギリスにおきましても挙国一致内閣が成立いたしましたように、大政翼賛体制にとなるのは致し方がなかい面があります。mobilis-in-mobileさまが申されたかったのは、櫻井さまは、平時に際してもこの体制を求めているように見えるため、全体主義的な思想の持ち主ではないか、ということではないかと拝察いたします。
伸びやかな 心こそ はぐくまむ 世の理の 礎なれば
そうだったのですか!
わたしも大政翼賛会のことをもう一度勉強しなおさないと。
ステレオタイプに囚われていたことに反省