本日の日経新聞の朝刊一面には、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル社が日本国の電力小売市場に参入するとする記事が掲載されておりました。行く行く先には日本国の電力市場は外資系で占められてしまう可能性も否定はできないのですが、‘隠れた植民地’化のリスクを考えてもよい時期に差し掛かっているようにも思えます。
日本国の電力自由化は、2011年に発生した東日本大震災を機に一気に推進されたため、十分な国民的な議論を経ずして既成事実化が積み重ねられてきました。地域分割型の独占の緩和、再生エネ法に基づく電力買い取り制度、電力小売市場の開設…といった国内的な自由化のみならず、これと同時に外資の参入を凡そ全面的に認め、対外開放としての自由化政策も進めてきたのです。いわば、東日本大震災は、電力事業の‘ビッグバン’となったのですが、このため、今では、日本国のエネルギー事業における外資参入の勢いは止まりません。
メガ・ソーラの太陽光パネルを見ましても、安価な中韓製品に押されて国産パネルは総崩れとなり、かつて同分野を先駆的な技術開発において牽引してきた日本企業は見る影もない状態に至っています。こうした製品輸入の拡大に増して問題となるのは、事業そのものの開放です。伊豆高原の森林伐採において問題視された事業者が韓国系であったように、発電装置ののみならず、発電事業そのものが外資系というケースも珍しくないのです。
こうした全面的な自由化政策については、これまでそれに潜む問題点については無視されがちでした。安全保障等を根拠とした中国系事業者や韓国系事業者に対する警戒感はあったとしても、民間事業者であること、そして、グローバリズムを理由に是認されてきたのです。今般報じられている英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル社も、自由主義国の企業ですので、おそらく問題なしとみる意見が多数を占めることでしょう。しかしながら、東インド会社の歴史等を振り返りますと、そうとばかりは言えないようにも思えます。
東インド会社と言えば、最もその名が知られているのは、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社であり、双璧を成していると言っても過言ではありません。これらの会社は、アジア諸国との貿易の独占で莫大な利益を上げてきましたし、それと同時に、政治分野にあっても、一先ずは民間企業でありながら、現地において統治に関する諸権限を手に入れてきました。関税権、徴税権、財政権、インフラ敷設・運営権、警察権限…などなど、すなわち、サラミ戦術の如く、漸次的に国家運営に必要となる様々な権限を手中に収めることで、最終的に領域や国民支配を含む植民地化に成功しているのです。英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル社と云う社名を聴くと、否が応でも東インド会社が思い浮かびます。そしてそれが、単なる製品輸入ではなく事業運営をも意味するとなると、同社に対する警戒感はさらに強まるのです。
もちろん、鉄道、水道、電気、ガス、情報通信といったインフラ事業における外資系事業者の参入に関するリスクは、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルに限ったことではありません。インフラ事業には時空における制約がありますので、他の製品市場とは異なり、長期的な独占が生じやすい傾向にあるからです。しかも、規模の大きな企業ほど、競争上、有利となります(EUでは、エネルギー市場を単一化した結果、大手企業しか生き残れず、多くの加盟国が、他の加盟国の大手企業に自国の市場を席巻されてしまった…)。言い換えますと、自国の領域内における国民の経済活動や日常生活から、外国企業が恒常的に利益を吸い上げるシステムが内在化しかねないのです。
この問題は、日本国のみならず、全ての諸国が直面する隠れた植民地支配のリスクなのではないでしょうか。インフラ事業に関する外国企業の参入については、杓子定規な自由化よりも、国家レベルでの規制強化、並びに、国際レベルでの一定の規制を設ける方向でのルール造りが求められているように思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
日本国の電力自由化は、2011年に発生した東日本大震災を機に一気に推進されたため、十分な国民的な議論を経ずして既成事実化が積み重ねられてきました。地域分割型の独占の緩和、再生エネ法に基づく電力買い取り制度、電力小売市場の開設…といった国内的な自由化のみならず、これと同時に外資の参入を凡そ全面的に認め、対外開放としての自由化政策も進めてきたのです。いわば、東日本大震災は、電力事業の‘ビッグバン’となったのですが、このため、今では、日本国のエネルギー事業における外資参入の勢いは止まりません。
メガ・ソーラの太陽光パネルを見ましても、安価な中韓製品に押されて国産パネルは総崩れとなり、かつて同分野を先駆的な技術開発において牽引してきた日本企業は見る影もない状態に至っています。こうした製品輸入の拡大に増して問題となるのは、事業そのものの開放です。伊豆高原の森林伐採において問題視された事業者が韓国系であったように、発電装置ののみならず、発電事業そのものが外資系というケースも珍しくないのです。
こうした全面的な自由化政策については、これまでそれに潜む問題点については無視されがちでした。安全保障等を根拠とした中国系事業者や韓国系事業者に対する警戒感はあったとしても、民間事業者であること、そして、グローバリズムを理由に是認されてきたのです。今般報じられている英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル社も、自由主義国の企業ですので、おそらく問題なしとみる意見が多数を占めることでしょう。しかしながら、東インド会社の歴史等を振り返りますと、そうとばかりは言えないようにも思えます。
東インド会社と言えば、最もその名が知られているのは、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社であり、双璧を成していると言っても過言ではありません。これらの会社は、アジア諸国との貿易の独占で莫大な利益を上げてきましたし、それと同時に、政治分野にあっても、一先ずは民間企業でありながら、現地において統治に関する諸権限を手に入れてきました。関税権、徴税権、財政権、インフラ敷設・運営権、警察権限…などなど、すなわち、サラミ戦術の如く、漸次的に国家運営に必要となる様々な権限を手中に収めることで、最終的に領域や国民支配を含む植民地化に成功しているのです。英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル社と云う社名を聴くと、否が応でも東インド会社が思い浮かびます。そしてそれが、単なる製品輸入ではなく事業運営をも意味するとなると、同社に対する警戒感はさらに強まるのです。
もちろん、鉄道、水道、電気、ガス、情報通信といったインフラ事業における外資系事業者の参入に関するリスクは、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルに限ったことではありません。インフラ事業には時空における制約がありますので、他の製品市場とは異なり、長期的な独占が生じやすい傾向にあるからです。しかも、規模の大きな企業ほど、競争上、有利となります(EUでは、エネルギー市場を単一化した結果、大手企業しか生き残れず、多くの加盟国が、他の加盟国の大手企業に自国の市場を席巻されてしまった…)。言い換えますと、自国の領域内における国民の経済活動や日常生活から、外国企業が恒常的に利益を吸い上げるシステムが内在化しかねないのです。
この問題は、日本国のみならず、全ての諸国が直面する隠れた植民地支配のリスクなのではないでしょうか。インフラ事業に関する外国企業の参入については、杓子定規な自由化よりも、国家レベルでの規制強化、並びに、国際レベルでの一定の規制を設ける方向でのルール造りが求められているように思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
-------🌟🌟🌟-------
既にガス会社が電力の小売を、電力会社がガスの小売を、とその他の企業も含めて次々と参入が行われているが、インフラそのものは従来のものを使うので、あくまで請求元が代わったにすぎない。ここで『インフラ事業への参入』を警戒するのは時期尚早では?と思えるのです。
-------🌟🌟🌟-------
むしろ、今後注視うべきは水道民営化の問題だと私は思います。全国の水道管が耐久年数を越えて使用され、破裂や漏水事故が続出し、その負担が重くなった結果、政府は改正水道法により水道事業の民営化を目論んでいるのです。
ここへの参入があった場合は、重大な問題となる可能性がある。
-------🌟🌟🌟-------
これを今後注視したいと私は思います。
、、、、、、、、
たしかに、ある国の自然災害や貧困状態につけこんで、外資系事業体が、当事国の
社会基盤(インフラ)を乗っ取ろうとすることは良くあります。
それは、かつての東インド会社の手口ですし、また近年ではチャイナが、モルディブや
スリランカやアフリカ諸国でやっていることです。
まさに、隠れた植民地主義にほかなりません。
わが国の場合は、最近、政府により、水道の運営部門の民営化が決定されたようですが、
実に憂慮に耐えません。
また、東北大震災以後、電力部門のかなりが外資系の企業の傘下に入ったとしますと、
さまざまなリスクを背負った事になるでしょう。
本来、原則的には、電力、港湾、水道、道路、空港、郵政、通信、鉄道、森林経営などは、国営企業か、
国策的な民族的資本家によって営まれるべきものです。
ところが、最近の政府は、それの逆のことをしているんですね。
誰が、それを決定しているのか、訝しく思います。
◎極端な 議論と言えど、 いにしえの 鎖国制度は 良きかな、と思う
同記事によりますと、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルは、電力小売りのみならず、21年度からの開設が予定されております需給調整市場にも参入するそうです。同市場では、’規模’がものを言いますので、その影響は、より深刻となる可能性があります。楽観視はできないように思えるのです…。
もしかしますと、日本国政府は、インフラの支配を目論んでいる国際勢力のために自由化を推進しているのかもしれません。水道民営化につきましては、水問題をライフワークとしてきた新天皇の関与まで囁かれております…。
神代にて あれましし おほやしま ゆたけき水の 民をうるほす
で、規制を考えるなら、何をもって『外資』と定義するかが問題だ。
株式会社は株の売買によって容易に外資に変貌するのだから。
自動車会社が身近なので例にあげると、日産自動車は今や外資系なのです。英国を代表するローバー社は中国資本の会社になってしまっている。
規制にあたっては『外資』の定義が必要ですが先生はいかがお考えなのでしょうか?
売る力が乏しい発電業者と少しでも安い電気が欲しい事業会社を結んで、少しだけ利益をもらうわけか?まともな商売だ。ま。強欲精神はあるから注意だが。
アメリカは中国が輸出しているものを。なぜ自分の国で生産しないのかという疑問があったが、そりゃ、当然やらん。金融が中心の社会は詐欺まがいでも。がっぽり儲けることにしか心が向かない。ビニールリボンを作って1本10円の儲けとかはしなくなる。ペットフードを作って1缶50円の儲けなんて商売はしなくなる。
日本でも、有名な和菓子店のどら焼き800円ほどをアマゾンで5000円ほどで売っていたのがいたな。ああいう詐欺まがいの商売でがっぽり儲けるのがクールなんだと思い込んでいるのが多いわけだ。オリンピックの入場券も転売目的で買おうとしたが資金が足りなくてやめたか?ファーウェイ創業者のおっちゃんもリボンを売っていたか?それとも選挙の幟を売っていたか?日米では資本家の精神が腐っているのだ。
そこで、国語辞典と英英辞典で『殖民地』を引いてみたら、今は植民地の意味で、私の主張も正しいことになっている。移民や難民が別の国の一部に集団で住み着くと、その場所が○○人の植民地と呼ばれるようだ。
嘗て支那大陸に多くの租界があったが、あそこも植民地だった。
今は多くの国に、中共や日本の植民地が存在している。日本にも、中共、韓国、北朝鮮、その他の植民地が既に存在している。
それ故、『植民地』と云う言葉を使う場合には、その言葉を定義した上で使用することをお勧めします。
株主とは、いわば、出資者に過ぎませんので、企業の国籍は、本社の登録国、即ち、経営本部が存する国と考えてよいとは思います(それ以外は一先ずは外資系…)。ただし、米企業の大半がそのCEOは外国人ですので、今後、この基準も曖昧になる可能性はあります。なお、この問題を根本的に解決するためには、株主の権利を縮小する必要があるように思えます。
英蘭ロイアル・ダッチ・シェル社は、電力の小売りのみならず、需給調整市場への参入を目指いしておりますので、’まともな商売’となるのかどうかは不明な所です。そして、そもそも、日本国民の多くは、需給調整市場なるものの開設計画さえ知らなかったのではないでしょうか。やはり、警戒し、かつ、何らかの対策を講じるべきなのではないでしょうか。
chenggunagさまのおっしゃられますように、植民地という言葉はあまりにも多義的でですので、類型ごとに表現を変える必要があると思います。西欧列強によるアジア・アフリカ諸国の植民地化は、属領化に近いのではないでしょうか。もっとも、今日、植民地という言葉が定着しておりますので、これを変更するためには、国民的なコンセンサスを要するようにも思えます。