自民党につきましては、プラザ合意以降、国民に対しては保守政党の看板を掲げ続けながらも、新自由主義を基本方針とする‘グローバル政党’へと変貌を遂げてきました。このため、今日では、その総裁選挙における候補者の顔ぶれは、何れもグローバリスト、即ち、世界権力の息のかかった政治家ばかりです。自民党が保守層を騙す‘偽旗政党’とされるのも、マスメディアが実施した世論調査の結果とネットニュースのコメント等で見られる一般国民の評価とが著しくかけ離れてしまうのも、外観と実態との違いに由来すると言えましょう。さながら‘保守主義者の仮面を被ったグローバリスト’なのです。
世界権力のネットワークは全世界に張り巡らされているために、同現象は、日本国の自民党に限られたものではありません。アメリカの共和党もグローバリストで占められていますし、世界権力(ディープ・ステート)の存在を公式に認めたトランプ前大統領でさえ、その実、同勢力の一員、あるいは、傀儡である疑いがもたれる程です。保守政党の場合、愛国心を掲げ、国益重視、自国の安全と独立の堅持、国民保護、自国の歴史・伝統の尊重等を旨としてきただけ、元よりグローバリストであった左派やリベラル政党よりも、国民を騙しているという印象が強まってしまうのです。
保守政党の実態がグローバリスト政党であるという表裏の二面性は、国民が何れの政党を選んでも変わりがないように仕組んだ、世界権力による二頭作戦、あるいは、多頭作戦の結果でもあります。政党間あるいは与野党間の対立は表向きに過ぎず、結局は、グローバリズムに行き着いてしまうのです。しかも、今日のグローバリズムは、経済の分野のみに留まるものでもなくなっています。国境の壁が低くなるように、経済と他の領域との間の境界線も曖昧となり、グローバリズムは、社会や個人の空間にまで及んでいるのです。ダボス会議にあって掲げられた‘グレート・リセット’は、まさにグローバル・ガバナンス、すなわち、人類支配のための計画とも言えましょう。
そして、新自由主義を土台に据えた未来の神殿を支える三つの主柱は、環境、デジタル、そして遺伝子ワクチンなのかもしれません。地球温暖化への対応を名目としながら、環境とはエネルギー支配なのでしょうし、デジタルは、組織であれ個人であれ、全ての活動をシステマティックに把握するために必要不可欠なテクノロジーです。そして、遺伝子ワクチンは、人々の健康状態から人口数までをも思うままにコントロールし得る手段なのでしょう。現状を見る限り、与野党を問わず、日本国の政治家達がこの構想に協力、あるいは、その一員として従事してきたことは火を見るよりも明らかあり、日本国民に迫り来るグローバリズムの脅威を実感させていると言えるでしょう。
一般の国民がグローバリズムを実害を伴う脅威として認識するようになりますと、国民が政府に求める政策も自ずと変わってきます。さらなるグローバリズムの推進ではなく、全世界に吹き荒れるアグレッシブなグローバリズムへの抵抗、並びに、その脅威からの保護こそが、今日の日本国民が必要としている政治の役割となりましょう。
グローバリズムからの防波堤を要する今日の時代状況からしますと、本来、政治の場にあって出現すべき主要な対立軸は、グローバリズム対反グローバリズムとなるはずです。ところが、マネー・パワーを有する世界権力は、二頭作戦並びに多頭作戦をもってこの真の対立軸の出現を阻止する、あるいは、隠そうとするのです。しかも、保守政党のグローバル政党としての実態が明らかになるにつれ、二頭作戦あるいは多頭作戦は、より巧妙となる可能性も否定はできません。ヨーロッパの極右政党に見られるように、反グローバル政党の看板を掲げながら、その実、世界権力の‘回し者’である可能性もあるのですから(反ユダヤ主義を党是としたナチスの幹部の多くがユダヤ人であったように・・・)。
自民党総裁選挙の立候補者の政策を見ましても、何れも世界権力から既に命じられているミッションを各自が分担しながらちりばめているとしか言いようがありません。その一方で、もはや自然破壊の域に達しているメガソーラ建設に対する規制や、行政におけるデジタル化推進の必要性や安全性そのものを問う立候補者は皆無に近く、国民の命を危険に晒すレプリコン型ワクチンの接種事業の中止を訴える立候補者もいません。小泉進次郎候補が唱えている雇用規制緩和案については、高市早苗候補との討論において解雇の自由化ではないと弁明したとされますが、代案としたリスキングや再就職支援の企業への義務付けは、ジョブ型雇用と並んでDX化に際してグローバリストが普及を後押ししている手法ですので、むしろ、グローバリスト擁立候補としての同候補の立場を浮き上がらせています。そして極めつけは、立候補者の誰も、国民の多くが厳格化を求めている‘移民政策’について語らないのです。
どのようにすればグローバリズムから国民を護ることができるのか、この問題は、グローバリズム対反グローバリズムが政治家対国民の対立構図となるため、日本国のみならず、全世界に共通する今日という時代が抱える大問題です。各国の政治が国境を越えて押し寄せてくるマネー・パワーに操られているとしますと、民主的制度のさらなる改善に加え、企業のありかたをも含めた抜本的な経済システムの見直しを要するのではないかと思うのです。