万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘平壌裁判’は開かれないのか?-朝鮮戦争は侵略戦争であった

2018年06月15日 10時52分15秒 | 国際政治
 米朝首脳会談において公表された共同声明には、朝鮮戦争の終結を意識した文言を見出すことができます。かねてより、北朝鮮は、アメリカとの直接交渉によって平和条約締結を実現し、米朝関係を正常化する戦略を追求してきました。今般、アメリカも、この方針を受け入れたように見えますが、朝鮮戦争の発端に思い至りますと、この解決方法は、国際社会における法秩序、並びに、人類のモラルの崩壊をもたらしかねません。何故ならば、朝鮮戦争とは、国連安保理でも認定された北朝鮮による侵略戦争であったからです。

 第二次世界大戦にあって、ドイツと日本の両国は、連合軍が設けた国際軍事法廷、即ち、ニュルンベルク裁判と東京裁判によって戦争責任者が厳しく断罪され、裁かれました。当時にあっても、事後法の遡及となるため、刑法の原則に反するとする批判はあったものの、これらの裁判は、国際法秩序形成への一里塚として正当化されたのです。法秩序を尊重するこの基本原則は、朝鮮戦争に際しても貫かれており、国際法において定められた南北境界線である38度線を越えて韓国領に侵入した北朝鮮に対して、国連安保理は明確なる侵略認定を下しています。そして、ソ連邦の欠席による安保理決議成立とはいえ、侵略国家と戦うための軍事組織として‘国連軍’が結成されたのです。

 この経緯を考慮しますと、朝鮮戦争とは、アメリカ・韓国陣営と中国・北朝鮮陣営の間で発生した通常の‘戦争’ではありません。侵略国家対国際社会(国連)の構図で捉えるべき戦争であり、正確に言えば、北朝鮮の侵略戦争を排除するための、軍事制裁としての武力行使であったのです(この意味において、朝鮮戦争とは侵略戦争+軍事制裁の二重戦争である…)。実際に、この当時、米韓同盟は未だ存在せず、アメリカ軍が軍事行動に参加する正当な根拠は、上記の国連安保理決議にありました。つまり、アメリカは、‘世界の警察官’として、法秩序の下で平和を守るという自らの義務を引き受けたのです。軍事介入した中国に至っては、侵略国家の側に加担したのですから、いわば、‘共犯者’の立場にあります。

 ところが、今般の朝鮮戦争終結をめぐる各国の動きを見ますと、朝鮮戦争が、国連が認定した侵略戦争であった事実が忘却されているかのようです。おそらく、その背景には、同戦争において侵略側、即ち、国際軍事法廷の被告席に座るべき北朝鮮、中国、そしてロシアの意向が働いていることは容易に想像できます。これらの諸国は、朝鮮戦争を‘南北戦争’、あるいは、‘米朝戦争’にすり替えることで、自らの侵略行為を誤魔化そうとしているのでしょう。最終的に米朝二国間、あるいは、中国、韓国、あるいはロシア等の諸国による平和条約締結に持ち込めば、戦争責任者の追及や処罰のプロセスをカットできる上、経済支援まで引き出せるからです。

 これまでのところ、アメリカのトランプ政権も、この路線に引き込まれてしまっているかのようです。しかしながら、国際社会の法秩序の観点からしますと、この‘解決策’は、人類を堕落させる怖れがあります。侵略行為が公然と追認され、捕虜虐待といった通常の戦争法における違法行為さえ不問に付されるからです。こうした北朝鮮、並びに、犯罪国家陣営に対するあまりにも寛容な対応には、多数の死刑者を出すなど、厳罰に処されたドイツや日本国には承服できないでしょうし、何よりも、善悪の判断放棄を伴う国際法秩序の崩壊がもたらされます。米朝首脳会談共同声明でも、両国の関係を‘緊張状態’並びに‘敵対関係’と表現し、その克服を記していますが、朝鮮戦争が侵略戦争であった事実に鑑みますと、この表現は、歴史における事実を歪めています。警察官と犯罪者の関係は、対等な者同士の平凡な対立関係に巧妙に置き換えられているのです。

 法的論理一貫性を以って朝鮮戦争を終結させるには、まずもって、侵略の責任を明らかにする必要があるのではないでしょうか。中国やロシアが国際法を踏み躙る行動を繰り返す中、“平壌裁判”なき戦争の終結は、全世界の無法地帯化に拍車をかけかねません。米朝首脳会談が近い将来‘第二のミュンヘンの宥和’とならないためにも、通すべき筋を通し、なし崩し的な対北朝鮮融和策には人類史的な視点に立って歯止めをかけるべきではないかと思うのです。

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トランプ大統領は‘騙されたふり’をしたのか?-全諸国による核武装の可能性

2018年06月14日 14時41分53秒 | 国際政治
去る6月12日にシンガポールで開かれた米朝首脳会談は、何とも後味の悪い結果に終わりました。直接対話に臨んだトランプ大統領自身は共同声明への署名に自画自賛するものの、同会談に対する論評を見ますと、その大半は“金正恩の勝利”です。

 ある意味、今般の米朝首脳会談の展開は、謎に満ちています。何故ならば、蓋を開けれてみれば、アメリカ側の大幅譲歩、即ち、中国やロシア案への歩み寄りに過ぎず、少なくとも共同声明の内容を読む限り、アメリカが独自に交渉を展開した痕跡すら見当たらないからです。かつて六か国協議で合意された共同声明の劣化コピーとも評されるぐらいですから、そのお粗末さは度を超しています。となりますと、何故、過去の失敗した政策を知り尽くし、その二の舞にはならないと誓ったはずのトランプ政権が、この決意とは逆の合意を嬉々として受け入れたのか、全く以って不思議でならないのです。

 そこで、アメリカが譲歩した背景を推測して見ると、(1)何らかの国際勢力が最初から仕組んだ茶番であった、(2)核兵器、並びに、ICBMの開発に成功していた北朝鮮が、会談の席でトランプ大統領を恫喝した、(3)トランプ大統領は、北朝鮮の核保有を認めることがアメリカ、あるいは、国際社会の利益に適うと考えていた、といったシナリオが考えられます。(1)と(2)については、情報不足等の理由により検証が困難なので、ここでは可能性を示すに留めますが、それでは、(3)の推測はあり得るのでしょうか。

‘敵を騙す前に味方を騙せ’、あるいは、‘肉を切らせて骨を断つ’とする格言があります。仮に、(3)の立場からトランプ大統領が妥協を演出したとしますと、トランプ大統領は、自らを捨て石にして北朝鮮の核保有を事実上認め、他の全ての諸国に核武装のチャンスを与えたとも考えられます。その理由は、全諸国が核を保有し、自己防衛が可能となれば、米国の軍事費削減にも繋がると共に、アメリカの若き兵士達が外国のために自らの命を犠牲にすることもなくなるからです。この点は、トランプ大統領自身が、大統領選挙時における遊説において何度も繰り返した主張と一致してますし、銃規制問題でも銃の携帯による正当防衛を支持していますので、あり得ないことではありません。

北朝鮮もイランも、NPT体制の下で自国のみが核兵器を保有したことから、国際社会から厳しい制裁を受ける事態に陥りました。両国とも、“自国は核を保有しても、他国には持たせたくない”とする優越的な地位を求める利己主義が禍いし、他の諸国から支持を受けることはありませんでした。しかしながら、北朝鮮の核保有によってNPT体制が崩壊するならば、当然にこれに替る新たなシステムが提起されてくるはずです。もちろん、全諸国核武装方式が平和に与える効果については議論の余地はあり、今日ではタブー視される嫌いもありますが、暴力主義国家が核を違法な手段で保有する一方で、他の順法精神を備えた善良な諸国が核を保有できないとしますと、それは、‘悪の勝利’という不条理以外の何ものでもありません。北朝鮮の核に脅され続ける日本国も例外ではなく、その際には、自国一国の核武装ではなく、世界の全ての国々の一斉核武装を、確固とした論理構成を以って主張すべきです。自国のみではなく、全諸国核武装方式であれば、日本国の提案に賛意を示す諸国も現れることでしょう。中国やロシアといった‘合法的核保有国’の脅威も増している現状では、長期的視点からは、全諸国核武装方式の方が、核保有国による一方的な核の脅しを無効にしますので、力の均衡という意味では平和や正義には貢献するかもしれないのです。

米朝首脳会談は、誰もが納得できない結果となったからこそ、国際社会に対して様々な問題を提起することとなりました。上述した全諸国一斉核武装の提案もまた、同会談がもたらした副産物でもあります。そして、上記の推測は、トランプ大統領の不可解な態度に対する些か好意的な解釈とはなりますが、核問題は全ての諸国の安全に関わるのですから、それがアメリカ一国の利益に基づくものであれ、また、北朝鮮やイラン問題を別としても、全諸国が参加する相互核抑止体制への転換については、将来に向けて真剣に議論されて然るべきではないかと思うのです。

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金正恩委員長との一蓮托生を選んだトランプ大統領

2018年06月13日 13時16分04秒 | 国際政治
【米朝首脳会談】米与党は「歴史的」と評価も金正恩体制に強い警戒
 6月12日にシンガポールで開かれた米朝首脳会談では、北朝鮮の非核化の実現が期待されていただけに、発表された共同声明の内容については落胆の声が広がっています。米国内でも手厳しい批判があり、同会談が、トランプ大統領の目論み通りに外交成果として今秋の中間選挙において有利に働くのか、怪しい雲行きともなっております。

 共同声明においてとりわけ不評を買っているのは、“CVID”や具体的な措置に言及した文言は見当たらないばかりか、北朝鮮の「完全な核放棄」に先立って既にアメリカ側が北朝鮮に対して‘安全保障’という見返りを与えている点です。事実上、トランプ政権が基本方針を転換したに等しく、中国やロシアが主張してきた段階的な非核化措置の度に見返りを与えるとする、「段階的核放棄」に移行したと報じるメディアまで登場する始末です。この展開を歓迎するのは中国やロシアぐらいであり、他の諸国や一般の人々は、トランプ大統領の‘変わり身’の速さ、あるいは、仮面の裏の真の顔に唖然とさせられたことでしょう。常識や理性を備えた人であれば誰も、全世界を騙す‘平和’と云う名の‘茶番劇’ではなかったかと疑うレベルです。

 こうした批判に対して、トランプ大統領は、記者会見の席で懸命に弁明を試みており、“CIVD”の文字を記さなかった点を質された際には、金正恩委員長が完全な非核化を明言したことを根拠に、事実上、“CIVD”が約されたと説明しています。確かに、共同声明の文章には、「金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない決意(commitment)を再確認した」との一文があります。しかしながら、既に指摘されているように、あくまでも具体的な行動を伴わない独裁者の心の中における‘決意’に過ぎず、誰もが外から検証できませんので、口先だけでもその‘決意’を表明し続けることができます。金委員長には、後々、具体的な行動を採らなくても声明違反を回避できる逃げ道が予め用意されているのです。

 北朝鮮には逃げ道がある一方で、“CIVD”に関するトランプ大統領の説明は、大統領自身を追い詰める結果を招きかねません。何故ならば、声明文に欠けている“CVID”の実行を、金委員長の‘全人格’に託してしまったからです(トランプ大統領は、独裁者=国家と認識している節がある…)。同大統領は、記者会見の席でも、金委員長を手放しでほめちぎり、その指導者としての才能を讃えておりました。そして、この会談を機に、金委員長が心を入れ替えて、国民を虐待する暴君から善き統治者へと変貌し、善き隣人として国際社会に仲間入りするのみならず、北朝鮮の国民をも豊かにするかのように語っています。金正恩委員長を含めた北朝鮮の歴代指導者たちが、国民を飢えさせる一方で自らは豪勢な生活を送り、嘘で他者を騙す常習犯であり、かつ、無法者で暴力至上主義者であったことに鑑みますと、トランプ大統領の発言は、金氏の別人格への転換を意味します。言い換えますと、トランプ大統領の運命も、金委員長の‘改心’の如何に掛かっているとも言えるのです。

かくして、トランプ大統領と金委員長は、同会談によって、一蓮托生となってしまったようです。そして、生まれながら人格を変えることは難しいことですので、トランプ大統領の期待を裏切って金委員長が悪しき暴君のままでいる場合、即ち、CVIDによる非核化を実行せず、また、非人道的な体制を維持する場合には、トランプ大統領は、重大な決断を迫られることでしょう。それは、歴史に鑑みず、三度目も、同じ方法で騙された愚かな大統領としてアメリカの歴史に名を遺すのか、それとも、軍事制裁を含むあらゆる手段を用いてでも北朝鮮を非核化するのか、という二者択一の選択です。それとも、トランプ大統領は、何か深い考えがあって、秘策を隠しているのでしょうか。

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米朝首脳会談-ノーベル平和賞よりも大切なもの

2018年06月12日 14時16分11秒 | 国際政治
合意文書に署名へ 米朝首脳
 いよいよ本日6月12日、米朝首脳会談がシンガポールの南部サントーサ島においてカペラホテルを会場として開かれる運びとなりました。会談で話し合われた具体的な内容は午後4時(日本時間で5時)に予定されている記者会見を待たなければなりませんが、報じられている映像から判断しますと、アメリカのトランプ大統領がホスト役を務めているように見受けられます。

 北朝鮮が核開発を進めた背景には、核保有国になれば、アメリカを対等な立場での交渉に引き摺り出すという思惑があったと指摘されています。しかしながら、同会談の光景を見る限り、この戦略は成功したとは言えず、遠路はるばる訪れた金正委員長がトランプ大統領に謁見している構図にしか見えないのです。これまでアメリカに罵詈雑言を浴びせてきた北朝鮮側の恭順を示すような態度への転換は、強大な軍事力という無言の圧力があったことは言うまでもないのですが、ここで懸念すべきは、膝を折った北朝鮮に安心したアメリカ側が、アメリカ国内向けに外交的成果を確実にするためにも、北朝鮮に対してCVIDの条件を壊すような一定の譲歩を見せることです。

 中間選挙を控えた今、トランプ大統領には、アメリカ国民に対して目に見える外交的ポイントを挙げる必要があるとされています。その格好のチャンスが米朝首脳会談とされており、この場において米朝首脳間で何らかの合意が成立すれば、二期目のトランプ政権も現実味を帯びてきます。そして、米朝合意を期待するメディアも、トランプ大統領のノーベル平和賞受賞の可能性を煽っており、同大統領の名誉欲をも刺激しているのです。

 しかしながら、このノーベル平和賞こそ‘曲者’です。何故ならば、同賞の歴代受賞者達の多くには、得てして逆の行動が見受けられるからです。1945年には、かの「ハルノート」で知られるコーデル・ハルに授与されていますし、2000年には、南北首脳会談を実現させた功績で、韓国の金大中大統領も受賞者リストに名を連ねました。そして、2002年にカーター元大統領が受賞したのに続いて、2009年には、‘戦略的忍耐’の方針の下で北朝鮮の核保有を事実上許したオバマ前大統領も受賞しているのです。昨年は、核兵器禁止条約を成立させたICANが受賞者となりましたが、実績ではなく将来的な‘期待値’に基づく偽善的な選定は、むしろ、国際社会を混乱させると共に、真の平和を遠のかせているのです。

 かくしてノーベル平和賞の権威は低下の一途を辿っているのですが、ノーベル平和賞が’平和’を保障しないという現実を見ますと、北朝鮮に対する妥協の結果としてトランプ大統領が同賞を受賞したとしても、必ずしも同大統領の支持率アップに繋がるとは言えないように思えます。むしろ、前政権の失敗を繰り返し、個人的な名誉欲に駆られてアメリカの安全保障を蔑にしたとする批判を受けないとも限りません。ノーベル平和賞がしばしば逆の結果を招いているとしますと、同賞の受賞を諦めることこそ、無法国家北朝鮮の核の脅威を取り除くという、真の平和への貢献を意味するのかもしれないのです。そして、米朝首脳会談は、トランプ大統領が真の姿を現す場となるように思えるのです。

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北朝鮮との合意が難しい理由-‘抜け道見つけ’の名手

2018年06月11日 15時14分43秒 | 国際政治
米朝首脳会談あす開催 両国代表団が詰めの協議
米朝首脳会談を明日に控え、両首脳とも空路で既にシンガポール入りしている模様です。成り行きについては正確に予測することはできませんが、北朝鮮との合意は極めて難しい、ということだけは、少なくとも言うことができます。

 合意を困難とする最大の要因は、両国の条件の不一致、即ち、北朝鮮側による、アメリカが要求するCVIDに基づく「完全な非核化」の拒絶なのですが、その他にも、阻害要因がないわけではありません。その要因とは、北朝鮮という国が、法の抜け道を見つけることにかけては‘悪の天才’である点です。

この才は、1994年の米朝枠組み合意が崩壊した過程を検証すれば一目瞭然です。当時、北朝鮮はプルトニウム方式による核開発を進めていたため、合意文書では、プルトニウム方式を前提とした核開発放棄の手続きを定めていました。この限定的な表現に目を付けたのが北朝鮮であり、その後、核開発の方法をウラン方式に切り替え、枠組合意には違反していないと公然と言い放つのです。忍耐強い交渉の末、ようやく成立した‘非核化合意’はあえなく空文化し、ここに、対北交渉に臨んでのアメリカ側の‘甘さ’が露呈することにもなったのですが、今般の米朝首脳会談にあっても、同様の失敗が繰り返される可能性があります。

例えば、非人道的、かつ、大量虐殺を可能とする兵器は、核兵器に限られてはいません。実際に、無法国家である北朝鮮は、生物・科学兵器の開発にも力を入れており、昨年2月にマレーシアで発生した金正男暗殺事件においても、VXガスが使用されたとする指摘もあります。同国とシリアとの軍事面における特別な技術協力関係を考慮すれば、北朝鮮もまた、サリン等の兵器を既に開発・保有していることでしょう。また、核の運搬についても、アメリカがとりわけ懸念を表明しているICBMの他にも、潜水艦発射型のSLBMもありますし、よりローテクな手段としては、核兵器を秘密裏に米国への持ち込み、工作員に命じて米本土を核攻撃させることも不可能ではありません。あるいは、より強力なレーザー兵器やEMP爆弾等を開発し、アメリカのみならず、他の周辺諸国を恫喝するかも知れないのです。

北朝鮮がかくも狡猾な国であることを考慮しますと、北朝鮮を遂にCVIDによる「完全な非核化」へと追い込んだ、とアメリカが信じ込み、その合意の成立を外交的勝利として誇ったとしても、北朝鮮側は、合意文書の中に既に抜け道を見つけ出す、あるいは、秘かに抜け道を準備しており、‘アメリカを上手に騙した’と内心ではほくそ笑んでいるかもしれません。もっとも、朝鮮戦争の終結がセットであれば北朝鮮は反米政策を放棄するので、上述した懸念は杞憂との意見もありましょうが、それでも、米中対立が抜き差しならない状況に至れば、北朝鮮が中国に靡き(軍事クーデタや中国人民解放軍による政権奪取もあり得る…)、再度、アメリカに牙を剥く可能性は否定できません。

何れにしましても、米朝首脳会談にあっては、アメリカが‘抜け道塞ぎ’を怠りますと、合意文章の上ではアメリカの外交的勝利であっても、実際には、将来的に北朝鮮側の騙し討ちに遭うという不名誉な結果となりましょう。トランプ大統領が名実ともにCVIDによる「完全な放棄」を実現できるのか、全世界は、固唾を呑んで見守っていると思うのです。

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本当は米朝首脳会談では解決しない‘核問題’

2018年06月10日 14時13分44秒 | 国際政治
 本日の日経新聞の朝刊一面には、日本国政府がプルトニウムの保有量を削減するようアメリカから要請を受けているとする記事が掲載されておりました。プルトニウムは核兵器の原料となるため、核拡散の防止がその理由となりますが、この記事、北朝鮮の核問題が一筋縄ではいかない複雑性を秘めている現実を物語っております。何故ならば、北朝鮮の非核化問題は、表面に現れた国際社会における‘核問題’の一部でしかないからです。

 アメリカとしては、北朝鮮に対してCVIDによる「完全な核放棄」を強く求めた手前、同盟国を含め、全ての諸国が核兵器を保有するリスクを排除しなければ公平性に欠ける、ということなのでしょう。あるいは、米朝間の事前交渉において、「完全な非核化」の受け入れ条件として、北朝鮮側、あるいは、その背後に控える中国が、朝鮮半島のみならず、日本国をも潜在的な可能性も含めて‘非核化’するようアメリカに要求したのかもしれません。何れにしても、アメリカとしては、ダブル・スタンダードを避けたことになります(もっとも、最悪のケースは、米朝首脳会談でアメリカがCVIDを徹底できず、北朝鮮の核保有を事実上認める一方で、日本国だけが‘非核化’されてしまう展開…)。

 ところが、この問題は、これで決着しそうにはありません。第一に、たとえ北朝鮮の「完全な非核化」が実現したとしても、非核保有国が核で脅迫されたり、実際に核攻撃を受けるリスクは‘ゼロ’とはならないからです。核保有国である中国やロシアは、国際法を順守する意思も、核による先制攻撃の可能性も否定してはいませんし、実際に、中国のミサイル基地に配備されている核兵器は、日本国の主要都市等に照準を合わせているとする指摘もあります。日本国に限らず、中国の周辺諸国にとりまして、同国の核は常に安全保障上の脅威なのです。つまり、現行のNPT条約は、非核保有国に対しては厳しい一方で、核保有国に対しては極めて‘甘く’、核保有国の行動規範、あるいは、外部的な監視体制を強化しないことには、非核保有国は、自らが核の脅迫や攻撃を受けるリスクから逃れることができないのです(本来、核兵器禁止は、核保有国の脅威を解消させた後、NPTの改正によって実現すべきであった…)。

 第二に、国連安保理常任理事国以外に存在する、‘事実上の核保有国’の問題があります。アメリカが、ダブル・スタンダードの排除を徹底するならば、イスラエル、インド、並びに、パキスタンに対しても、非核化を求める必要があります。イランの核開発は、イスラエルに対する対抗措置として理解されていますが(不思議なことに、イランは、何故か、イスラエルの核保有を自国の核開発の根拠として強く主張していない…)、国境を接しているか否か、あるいは、対立関係の如何に拘わらず、非核保有国は、公式の核保有国の他にも、非公式の核保有国からの核の脅威に晒され続けることとなるのです。

 来る6月12日において、北朝鮮のCIVDによる「完全な非核化」に目途が付いたとしても、それは、核問題の幕引きとはならず、非核保有国への核拡散防止が表面であれば、その裏面である‘核保有国問題’に国際社会は向き合わざるを得なくなります。日米ともに、‘ポスト北朝鮮問題’、即ち、‘悪しき核保有国問題’に対してどのように対応するのか、戦略を練り合わせる必要があるのではないでしょうか。

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米朝首脳会談費負担の謎

2018年06月09日 15時35分33秒 | 国際政治
高級ホテル周辺、交通規制開始…シンガポール
<いよいよ米朝首脳会談が開催される6月12日が近付いてまいりましたが、ここに来て、非核化とは直接的には関係のない問題が持ち上がっているそうです。それは、同会談の費用負担に纏わる謎です。

 米朝首脳会談の開催地はシンガポールのサントーサ島であり、島内の高級リゾートホテル「カペラ・シンガポール」がその会場となります。ただし、両首脳とも同施設に宿泊するわけではなく、先遣隊の姿が目撃されたことから、北朝鮮の金正恩委員長は、シンガポール中心部の高級ホテル「セントレジス」に宿泊するのではないか、とする憶測が広がっています。シンガポール政府は、両施設周辺の地域を「特別行事区域」に指定しており、既に交通規制も始まっていると報じられています。警備やテロ対策も含めて、米朝首脳会談に要する費用は相当額に上るものと推測されますが、費用負担については幾つかの謎があります。

 第1の謎は、宿泊費以外の米朝首脳会談に付随する費用は、どの国、あるいは、誰が負担をするのか、というものです。上述したように、セキュリティー一般はシンガポール政府が担っていますが、その費用も開催地の国の国庫から支出されるのでしょうか。仮に、会談の影響で休業状態となる会場や米朝両国の一行が宿泊するホテル、あるいは、その他周辺の商店等の損失まで補償するとしますと、その額は決して少なくはないはずです。オリンピック等の国際イベントの誘致と同じく、自国の宣伝効果を考慮して自己負担を当然と考えているのでしょうか。あるいは、シンガポールを開催地に選定した手前、アメリカ政府が負担するのでしょうか。本来、この問題を引き起こした張本人は北朝鮮ですので、請求書は北朝鮮に送られるべきなのですが、不思議なことに、北朝鮮が負担すべきとする声は聞こえてきません。

 第2の謎は、金委員長の宿泊費の払い手です。アメリカ政府は北朝鮮分の費用を引き受けるつもりはないと明言しているため、核兵器禁止条約を取り纏めた功績でノーベル平和賞を受賞したICANが費用負担に名乗りを挙げています。しかしながら、仮に、北朝鮮が非核化を拒絶した場合でも、ICANは、支払いに応じるのでしょうか。また、会談の行方に拘わらず、本来、活動費となるはずのノーベル賞の賞金や寄付金が、独裁者の贅を尽くしたホテルでの滞在費に費やされるとしますと、納得できない人々も現れることでしょう。

 そして第2に関連して第3の謎は、金委員長は、シンガポールの滞在費の支払いに窮するほど、“貧しい”のか、という疑問です。メディアの報道ぶりでからしますと、厳しい経済制裁を受け、かつ、最貧国である北朝鮮は外貨不足が深刻であり、その支払い能力はない、というものです。しかしながら、独裁者が世界屈指の大富豪であることは、共産主義国の常です。中国の毛沢東然りです、キューバのカストロ然りです。表向きは、貧しい人々のために暴力革命を起こしたように見せかけながら、その実、独裁者たちは、ちゃっかりと私腹を肥やしているのです。北朝鮮の歴代独裁者たちも例外ではなく、タックスヘブンの世界各地の銀行に隠し財産を保有していることでしょう(近年、スイスは規制が強化されたため、秘密口座が存続しているかは不明…)。国民が貧困に喘いでいる国と言う北朝鮮のイメージからしますと費用請求は非人道的にも見えますが、建前とは違い、金一族は裕福なのですから、滞在費の請求書は北朝鮮に向けて送るべきです。北朝鮮、否、金一族が保有する外貨を減少させる効果も期待できますので、一石二鳥なのです。

 以上に米朝会談の費用に纏わる謎について述べてきましたが、米朝首脳会談をめぐる費用負担問題からは、国際社会における‘偽善’の問題も見えてきます。そして、これらの‘偽善’が北朝鮮を暗に擁護する役割を果たしているとしますと、米朝会談では、アメリカが用心深く注意を払うべきは、北朝鮮のみではないのではないかと思うのです。

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日本国には対北経済支援の余力はない-巨大地震による甚大被害の予想

2018年06月08日 10時53分01秒 | 国際政治
政府の地震調査委員会は、今後30年以内に南海トラフ巨大地震が発生する確率を凡そ70%から80%、首都直下地震を70%とそれぞれ予測しています。南海トラフ巨大地震による被害は関東から九州までの太平洋沿岸一帯に及ぶため、死亡者数も最悪の場合には32万3千人というのですから、その規模は東日本大震災を遥かに凌ぎます。直下地震が襲うのも、まさしく日本国の中枢である首都圏ですので、その被害は計り知れません。

こうした甚大な被害が予測される中、昨日6月7日、日本土木学会において、南海トラフ巨大地震による被害は膨大な人的被害に留まらず、その経済的損害は、20年間で1410兆円にも上るとする衝撃的な推計が発表されました。首都直下地震のケースでは778兆円と試算されていますので、両地震の合計で、損害額は2000兆円をゆうに超えます。

 推計損害がかくも巨額となる理由は、交通インフラが寸断されるからです。東日本大震災に際しても、サプライチェーンが崩壊したために製造停止を余儀なくされた企業が続出し、日本経済は危機的な状況を迎えました。首都圏は言うに及ばず、太平洋沿岸も工業地帯が連なり、産業の大動脈となる交通インフラも集中していますので、巨大地震の発生に因る産業全体に与える影響は致命的と言っても過言ではありません。同報告に依りますと、日本国は、‘最貧国’にまで転落する可能性もあるそうです。大航海時代の先陣を切り、一時は‘世界帝国’を構築したポルトガルも、1755年11月1日に突如その首都を襲ったリスボン大地震による津波によって壊滅的な被害を受け、‘最貧国’には至らぬものの、かつての栄華を二度と取り戻すことはできませんでした。

 それでは、度重なる巨大地震の発生を機に、経済大国から‘最貧国’に落ちるという過酷な運命を、日本国は避けることはできないのでしょうか。この問いに対しては、同報告は、「インフラの耐震化などに南海トラフ地震は約40兆円、首都直下地震は約10兆円投じれば、被害額は3~4割減る」と指摘しています。乃ち、インフラ施設の耐震化のみならず、首都機能の地方への分散化を含め、少なくとも凡そ50兆円規模の対策費を投じれば、両地震による損害額は、900兆円以下に抑えることができることとなります。となりますと、今後、政府が万全な対策を講じようとすれば、対策期間を10年と定めた場合でも、年ペースで5兆円の予算を増額させる必要があります。

 財政再建も間々ならない状況にあって、年間5兆円の対策費は簡単に捻出できる額ではなく、政策の優先順位を見直す必要も生じてきます。巨大地震に伴う被害は、国民の命や生活基盤と直結しますので、当然に、政策上の優先順位は高くなりましょう。今般、北朝鮮問題に関連して、仮に北朝鮮がCVIDによる非核化に応じた場合、日本国に対して‘最貧国’の状況にある北朝鮮を援けるべく、巨額の経済支援を引き受けるべきとの意見も聞かれますが、日本国は、近い将来、自らが‘最貧国’になる危機に直面しているのですから、対北支援に予算を割く余力はありません。人為的に避けることができない自然災害であればこそ、日本国政府が丁寧に説明すれば、‘日本ファースト’であっても、国際社会の理解を得られるのではないかと思うのです。

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米朝会談へのロッドマン氏参戦問題-真面目に徹するべきでは?

2018年06月07日 16時56分58秒 | 国際政治
ニューヨーク・ポストが報じるところに拠りますと、NBAの元スター選手、デニス・ロッドマン氏が、来週12日に予定されている米朝首脳会談に合わせてシンガポール入りするそうです。かねてより北朝鮮の金正恩氏とロッドマン氏は‘親友’とされ、同氏は過去にも数回北朝鮮を訪問しております。それでは、この訪問、誰が何を意図して計画したのでしょうか。

 本来、米朝首脳会談とは、その中心議題が核問題なのですから、人類の未来をも左右しかねない重大な交渉の場となるはずです。ところが、大真面目であるべき同会談については、どこか‘ふざけた’雰囲気がないわけではないのです。先日も、シンガポールに金委員長の‘そっくりさん’が出現し、観光客を驚かせたとするニュースも報じられていました。また、韓国の文在寅大統領も、二回目の南北首脳会談の場で、同委員長に対して‘韓国でも人気が高まっている’といった趣旨の言葉をかけたそうです。共産主義国家の御多分に洩れず、北朝鮮という国家が、何事においても‘演出’を政治手法としていることを考慮しますと、ロッドマン氏の訪問の背景にも、北朝鮮の影が感じられます。

 おそらく、金委員長は、米朝首脳会談において自らの存在を最大限アピールし、交渉における対米不利な状況を、自らに有利な‘雰囲気’を醸し出すことで補おうとしているのかもしれません。例えば、首脳会談に先立ってアメリカの有名プロバスケットボールの選手と仲良く笑顔で写真や動画に収まり、メディアを通して全世界に発信されれば、金委員長=残虐な独裁者とする従来のイメージは緩和されるかもしれません。一般のアメリカ国民に対しても、アメリカ文化への親しみを演出できれば、たとえ米朝首脳会談が不調に終わったとしても、対北強硬の世論を押さえる効果が期待できるかもしれないのです。しかも、ロッドマン氏は著名な黒人選手ですので、黒人層から厚い支持を受けているアメリカ民主党からの影ながらの支援も夢ではありません。

このように考えますと、北朝鮮側が、アメリカ国内の世論対策をも考慮した結果として、この役割にうってつけな人物として、ロッドマン氏に白羽の矢を立てたのではないでしょうか。そして、ニューヨーク・ポストの記事は、「ロッドマンの存在をどう考えようが問題でない。確かなことは、巨大な視聴率を出すということだ」とする、とある情報筋の談を伝えています。この情報からしますと、米メディアも一枚絡んでいる可能性もありますが、米朝首脳会談が‘政治ショー化’されればされる程、同会談は北朝鮮のプロパガンダの舞台となりますので、ここは、やはり真面目に徹するべきではないかと思うのです。

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移民受け入れ拡大方針-日本国政府は‘悪代官’か?

2018年06月06日 11時17分47秒 | 日本政治
外国人労働者50万人超必要 25年までに 人手不足深刻化で転換
 本日の日経新聞の朝刊一面には、「外国人就労 拡大を表明」の見出しで、安倍首相が昨日5日の経済諮問会議で外国人労働者の受け入れ拡大を表明したと報じています。この記事には「選ばれる国」への課題とする小見出しが付されているのですが、この発想、本末転倒ではないかと思うのです。

 同会議において首相は「移民政策とは異なる」と説明しておりますが、国際移住機関(IMO)では、移民を「当人の (1) 法的地位、(2) 移動が自発的か非自発的か、(3) 移動の理由、(4) 滞在期間に関わらず、本来の居住地を離れて、国境を越えるか、一国内で移動している、または移動したあらゆる人」と定義していますので、これに当て嵌めれば、その資格の如何に拘わらず、外国人就労者はれっきとした移民です。おそらく、公約違反、あるいは、公約からの逸脱となることを怖れて‘移民’という表現を避けたのでしょうが、国民の側からしますと、政府に騙し討ちにされた気にもなります。

 こうした言葉の誤魔化しも然ることながら、この政策に潜む悪意は、“選ばれる国”という表現に凝縮されております。何故ならば、政府、並びに、その背後で蠢く国際勢力は、移民の受け入れを当然視するに留まらず、‘移民側のみに移住先の国家を選ぶ権利がある’と見なしているからです。逆に言えば、移民を受け入れるか否か選択肢は、受け入れ国の国民には無いということになります。しかも、この政策は、決して合理的でもなければ、必然性もありません。

第1に、移民受け入れ拡大の理由として挙げられている‘人手不足’は、根拠脆弱です。例えば、兼業農家が多数を占める農業分野における人手不足説は怪しい限りです(少なくとも稲作は凡そ機械化されている…)。それでも移民の必要性が強調されているとしますと、そこには、日本の農業形態を南北アメリカ大陸やアフリカ等に見られるプランテーション型へと転換させる意図が隠されているのかもしれません。本来、日本国の農業の未来については国民的な議論の下でコンセンサスを形成すべきところなのですが、国際勢力をバックとした政府は、外国人農業労働者の既成事実化によって、日本の農業形態を根底から崩しにかかっているように見えるのです。しかも、他の解決方法を模索しようともせず、各分野における‘人手不足説’に対する疑問に対しても、自らが恣意的に設定した推定数で押し切ろうとしています。

第2に、AIやロボットの導入による将来的な雇用の減少予測についても、政府は、頑なに耳を塞いでおります。これらの普及が先行した金融分野では、既に大幅な人員削減が行われています。国内において失業率が上がったとしても(現状でも、国内にはニート状態の人々もいる…)、政府は‘数値目標’を計画通りに達成すべく関連省庁を挙げて2025年までには50万人超えの移民を受け入れるのでしょうか。しかも、新資格のみで50万人ですので、他の資格による受入れ移民数は、この数字を大きく上回ることでしょう。一般の日本人が将来に雇用不安を感じている中、政府は移民拡大に邁進しているのですから、誰がどう見ても、政府の方針と国民意識がかみ合っていないのです(移民拡大とAI・ロボットの普及は両立しない…)。

 第3に、「選ばれる国」と表現した理由は、先進国のみならず、新興国においても近い将来人手不足が深刻化し、移民が“売り手市場”となることを想定しています。つまり、受け入れ国は、‘最大限の優遇措置をとりますから、是非、我が国に来てください’と揉み手で移民にお願いする立場にあると見なしているのです。しかしながら、どの国も移民受け入れに消極的であり、むしろ、EU等では押し付け合っている現状があり、この発想は、現実と乖離しています。日本国内を見ても世論は移民受け入れに反対であり、仮に揉み手で移民を歓迎する人々が存在するとしますと、それは、人材派遣業者といった一部の事業者なのではないでしょうか。また、ロボット先進国と化した中国が国内的には人件費の高騰を押させるために雇用を減らす一方で、余剰労働力を海外に送り出すために日本国の移民受け入れ政策を利用するとしたら、これ程馬鹿馬鹿しいお話もありません。

 そして第4に挙げられる点は、「選ばれる国」の真の意味は、移民自身ではなく、仲介事業者によって‘選ばれる’という意味なのではないか、という疑いです。海外から移民労働者を受け入れる場合、通常、企業から請け負った仲介事業者が現地で募集作業を行います。移民の人々は、自ら自発的に国を選んで個人的に移民するのではなく、仲介事業者の募集に応じる形で海外に労働者として向かうのです。となりますと、仲介事業者は、自らのビジネス繁盛のために、各国政府に優遇政策を導入するよう積極的に働きかけていると推測されます。しかも、各国政府を‘受け入れ競争’に狩りたてているのですから、全く以って狡猾なのです。

 以上に述べてきたように、日本国政府による‘移民ファースト’の政策は、到底一般の日本国民が納得できるものではありません。かくも傲慢で無神経な態度を見ますと、日本国政府は、経済的利益の最大化と国家破壊の一石二鳥を狙う国際勢力(新自由主義+共産主義)によって擁立された‘悪代官’なのでしょうか。政府とは、本をただせば国民のためにこそ存在するのですから、決して’悪代官’になってはならないと思うのです。

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二つの正反対な「上から目線」-大切な「上から目線」もあるのでは?

2018年06月05日 15時06分59秒 | 社会
昨日6月4日の産経新聞朝刊の正論欄に、社会学者の竹内洋氏による「「上から目線」は厄介な殺し文句」とする一文が寄せられておりました。氏は、階層間の流動性が止まってしまった今日という時代にあっては、上下関係を前提とした上位者の優越意識からくる発言や態度は、「上から目線」という言葉一つで葬り去られてしまうと述べています。

 同論説の基本的な論調としては、こうした世間一般で見られる現象に対して理解を示しつつも、どちらかと言えば批判的であり、特に、‘厄介な殺し文句’と表現されているように、反論を許さない言葉の力に対して警戒感を滲ませています。「上から目線」という言葉は、タテ社会が形骸化し、権力や権威の座にある者がそれに伴う義務を果たさなかったり、高い地位に相応しい行動をせずに不正や腐敗に塗れている現状に思い至れば当然の批判表現にも思えますし、その一方で、氏が示唆するように、如何に正当なる意見や批判、反論であっても、上位のポストにあるというだけでそれを封じてしまうのであれば、言論封殺という忌々しき結果を招きかねません。かくして氏の「上から目線論」論は、この言葉が持つ二面性を浮かび上がらせているという意味で極めて興味深い文章であったのですが、「上から目線」については、もう一つ、留意すべき点があるように思えます。それは、「上から目線」には、上部からの公平な視点と言う意味合いもないわけではないからです。つまり、超越的な視点からの「上から目線」です。

竹内氏の「上から目線」論は、主として、人々の間に上下関係としてのヒエラルヒーが存在していることを前提としており、この構図の不平等性こそが、「上から目線」批判が絶対的な威力を発揮する基盤でもあります。何故ならば、ヒエラルヒーは、全ての者が平等で同格であるとする今日の平等の価値観からは逸脱しており、人と人との間の不平等性を認めるからです。人という存在が本質的に平等を求める以上、ヒエラルヒーは、否が応でも平等感覚に抵触してしまうのです。もっとも、人には特定の基準に照らして違いを認める均衡感覚もありますので、平等感覚のみの絶対化は危うく、この点こそ、同氏が懸念する‘厄介さ’なのかもしれません。

その一方で、上述した超越的な視点からの「上から目線」とは、必ずしも、こうした現実社会におけるヒエラルヒーを前提としているわけではありません。個々の個人的な利害関係や立場を離れたところからの視点は、むしろ、特定の立場に偏らないという意味において、平等や公平という価値観とは合致しているからです。かつて、この超越的な視点は神の視座でもありましたが、今日、無神論者の増加等により、神の存在を前提とした超越的視座の想定に対しては全ての人々を納得させることは困難です。それは、今日、神ならぬ生身の‘人’が超越的な視座を獲得する必要があることを意味しています(超越的視座は、動物には存在しない‘人’の特質…)。

‘人’とは不完全で欠点だらけであり、利己心をも有する存在ですので、この超越的な視点を得ることは決して簡単なことではないのですが、そうではあっても、個々の利益や立場から離れて全体を公平に俯瞰する視線は、特に公に関する物事を考えたり、公的な問題を解決するには不可欠なように思えます。“「上から目線」バッシング”によって、こうした人類の特質でもある超越的視座まで損なわれるとしますと、それは、人類の動物化を意味しかねません。多くの人々が公平なる目線の意味での「上から目線」を育むことこそ、今日抱えている様々な問題を解決する上で大切なことではないかと思うのです。

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G7アメリカ孤立論-米ドルが国際基軸通貨ゆえの世界の悩み

2018年06月04日 14時44分54秒 | 国際政治
米国、G7で孤立 関税措置導入で「G6プラス1」= 仏財務相
カナダのウィスラーで開催されていたG7財務相・中央銀行総裁会議は、昨日、閉幕しましたが、同会議を取材したマスメディアは、各社とも一斉にアメリカの孤立論を書き立てております。フランスのルメール財務相に至っては、『G6プラス1』の構図とまで表現したそうです。それでは、何故、トランプ政権の保護主義は、かくも酷いバッシングを受けているのでしょうか。

 アメリカからしますと、製造拠点、労働力、知的財産なども自由に移動するようになった今日の自由貿易主義は、近年BIG5(Facebook, Apple, Microsoft, Google, Amazon)とも称されるようになった一部のグローバル企業を除いては、必ずしもアメリカ国民に恩恵を及ぼしてはいません。トランプ政権は、自由貿易主義に対する批判によって誕生したと言っても過言ではありませんし、自由貿易主義=相互利益の構図は既に理論破綻をきたしております。そして、アメリカが経験した産業の空洞化による自国産業の衰退と雇用問題の深刻化は、実のところ、‘G6’の大半の諸国も同様です。当のフランスも、マクロン大統領の認識は別としても、一般のフランス国民にとりましては、産業の空洞化は切実なる問題なはずなのです。それにも拘らず、‘G6’が、自国、とりわけ、自国民に不利となる自由貿易主義を堅持しようとしている姿は、些か奇妙にも見えます。

 もちろん、‘G6’の政治家の大半が、自由貿易絶対主義に染まっており、思考停止の状態にある、あるいは、一部のグローバル企業の利益しか頭にないのかもしれませんが、もう一つ指摘し得る理由は、米ドルが今日なおも圧倒的な通用力を有する国際基軸通貨であることです。ここで参考とすべきは、1960年にトリフィン(R. Triffin)によって提起された流動性ジレンマ論とも称された‘トリフィンのジレンマ’です。この説は、金・ドル本位制であったブレトンウッズ体制の下で唱えられましたので、アメリカの国際収支が改善されると、国際流動性(貿易決済のための国際基軸通貨)の供給が不足するとする説です。ニクソンショックを以ってブレトンウッズ体制は崩壊し、今日では既に変動相場制に移行していますので、この説をそっくりそのまま現状に当てはめることはできませんが、基本的な構図は変わらないように思えます。トランプ政権が、貿易赤字の解消に躍起になればなるほど、アメリカの貿易相手国は、対米貿易縮小に伴う米ドル不足による流動性の危機を心配せざるを得なくなるのです。となりますと、アメリカの保護主義を批判する’G6’の必死な形相も理解に難くはありません(アメリカ製品の輸入を増やすという方法もありますが、今度は、自国企業が国内シェアを失う…)。

 米ドル一極であったブレトンウッズ体制とは違い、今日では、欧州中央銀行がユーロを発行しておりますし、中国もまた人民元の国際基軸通貨化を試みていますが、多極化したとはいえ、アメリカは世界第一位の経済大国であるだけに、米ドルの地位は抜きんでています。ビットコインといった仮想通貨に至っては、相場の不安定性や投機性から国際基軸通貨となる可能性は殆ど皆無です。

 もっとも、トランプ政権の貿易不均衡是正の方針は、必ずしもマイナス面ばかりではありません。米中間の不均衡が是正されれば、対米貿易の黒字で積み上げた外貨準備を元手とした“チャイナ・マネー”はその勢いを削がれ、お金で他国を買い叩くような中国の覇権主義的行動を押さえることができるかもしれません。また、トリフィンは、ジレンマを解くために‘世界中央銀行’の設立を唱えましたが、案外、大半の諸国が独自通貨を発行している現状からしますと、各国とも、国内産業の育成や内需拡大の重要性に気が付く契機ともなりましょう。このように考えますと、アメリカによる保護主義への転換は、内外がより調和した経済体系を構築するという、一つの重要なる課題を人類に提起しているようにも思えるのです。

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米朝首脳会談は‘スタート’発言-トランプ大統領の真意とは?

2018年06月03日 15時13分01秒 | アメリカ
非核化へ行動取るまで見返りなしと米長官
本日の朝刊一面は、各社とも、米朝首脳会談に関するトランプ大統領の発言が大きく取り上げられておりました。これまでの方針を転換し、6月12日に開催される米朝首脳会談では包括的な合意を目指さず、米朝交渉のスタート点と捉え直したからです。いわば、短期戦から長期戦へとアメリカの交渉戦略が変わったのですが、トランプ大統領の真意はどこにあるのでしょうか。

 実のところ、‘米朝首脳会談スタート論’は、既に北朝鮮側からの発言として報じられております。トランプ大統領の中止声明に対して逸早く反応した北朝鮮の金桂寛外務次官の談話の中にこの言葉を見出すことができます。同氏は“米朝首脳会談は‘良いスタート’として開催されるべき”と述べているのです。ここで意味する‘良いスタート’とは、「段階的な非核化」に向けた最初の一歩と解されるのですが、それでは、トランプ大統領も北朝鮮に歩み寄り、「完全な非核化」、即ち、‘完全、検証可能かつ不可逆的な核廃棄(CVID)’を諦めたのでしょうか。

 トランプ大統領周辺の様子からしますと、CVIDの放棄とは即断はできないようです。アメリカの交渉戦略の変更は、むしろ、必要に迫られた判断であった可能性の方が高いように思えます。その理由は、対中政策をも視野に入れたアメリカの世界戦略を考慮した場合、6月12日までの間に全ての問題において望ましい戦略を策定することは、時間的な制約から困難であるからです。おそらく、軍事的圧力の下で北朝鮮にCVIDを呑ませることは比較的容易なのでしょうが、同時に朝鮮戦争が終結されるとなりますと、それに先立って、その後の朝鮮半島におけるアメリカの関与や米韓同盟の行方をも予め決定しておく必要があります。また、当然に中国やロシアが、アメリカのプレゼンスの拡大を押さえるべく動き出すことが予測されますので、あらゆるシナリオに対応できるよう準備しておかなければなりません。特に、将来的には台頭著しい中国との衝突もあり得ますので、アメリカとしては、対中包囲網の一環として北朝鮮を手懐けるという選択肢もあるはずです(もっとも、北朝鮮には寝返りリスクがありますが…)。こうした米朝首脳会談に付随する問題は、短期間で解決することは難しく、アメリカは、十分な時間を必要としていると推測するのです。

 もっとも、長期戦の構えとなりますと、その間、北朝鮮が秘かに核・ミサイル開発を進展させかねず、過去の失敗を繰り返すリスクもあります。この懸念に対しては、突然の米朝首脳会談中止の知らせに北朝鮮人民軍は浮足立ったとされますが、最後の抑えとして米軍の圧倒的な軍事力を以って北朝鮮の開発再開を止めることでしょう。北朝鮮は、以前としてアメリカからCVIDの要求を受け続けると共に、米軍の爆撃を怖れる恐怖の日々が続くことになるのです。自らの望みどおりに米朝交渉の‘スタート’を切ったとしても、北朝鮮にとりましては、期待したような‘良いスタート’にはならないかもしれません。こうした米朝双方の手筋を見ましても、やはりアメリカの方が一枚上手ではなかったかと思うのです。

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日大アメフト問題を利用した‘日本人暴力志向論’の悪意

2018年06月02日 15時30分09秒 | 社会
 5月31日に、ノンフィクションライターの窪田順生氏による「日大「内田・井上コンビ」にソックリな人物は日本中の会社にいる」と題する記事が、ダイアモンド・オンラインで配信されていました。確かに、日大アメフト部の部内状況は、いたる所で見られるパワハラの縮図として捉えることはできるのですが、同事件を題材とした氏の日本論は、「日本人の暴力志向」というトンデモナイ方向に展開されているのです。しかも、これこそ、同事件の‘真犯人’として。

 同記事依れば、「日本人の暴力志向」とは、山本七平氏が指摘した日本社会の特質なそうです。山本七平氏と言えば、イザヤ・ペンダサンというユダヤ人のペンネームで『日本人とユダヤ人』等の著作を遺していますが、それらの中には、相当数の虚偽の記述があるとの指摘もあります。信頼性や信憑性については怪しい限りなのですが、窪田氏も、日本社会に対しては、山本氏と見解を同じくしているようです。

 それでは、何故、窪田氏は、日大アメフト問題を「日本人の暴力志向」と見なしたのでしょうか。その理由として氏が唐突に持ち出してきたのは、戦時中に起きたとされる小笠原諸島父島の陸海軍部隊による米兵捕虜人食事件です。そして、それこそ、「人は常軌を逸した苦痛を与えれば与えるほど強くなる」という、日本陸軍の‘サディスティックな教育観’に基づいており、それは、日本国の体育会系カルチャーのルーツとまで言い切っているのです。如何に理不尽であって、ルールに反する行為であっても、上官の命令に対して絶対に服従せねばならず、この体質こそ、今般の事件の根底にあると…(むしろ、暴力志向は、日本国よりも独裁者に対する絶対服従が全国民に強いられる北朝鮮の方に当てはまるのでは…)。

 ここまで読みますと、同記事の論調に対する違和感が強まってくるのですが、氏の極論は、この程度に留まってはいません。次に登場してくるのは日本の国民性論であり、「力で言うことを聞かせないと、秩序維持ができない」と述べているのです。歴史的に見まして、確かに、日本国では鎌倉時代から江戸時代までの間、長く武士の世が続きましたが、それは、武士道として今日知られるように、刀を帯びる者の自己規律が重んじられると共に、暴力支配と言うよりは、暴力や犯罪を抑止するためにこそ力が用いられていました。同時代の他の諸国と比較しても、日本国では、極めて良好な治安が保たれております。幕府の評議から村落に至るまで、あらゆる分野で話し合いの場が設けられ、かの聖徳太子の『十七条憲法』の「和を以て貴しと為し」は実践されていたのです。また、諸外国から来日した人々が驚くように、日本人は、掟や法を誠実に守ろうとする順法精神においても評価されてきました。仮に、山本氏や窪田氏が主張するように、日本の国民性が暴力志向であれば、今日、震災に際して海外諸国が称賛したような秩序だった行動や被災者同士が助け合う姿が見られたとは思えません。また、戦後にあって、焼け野原から出発して経済大国へと成長することもなかったのではないでしょうか。

 同記事のタイトルの通り、‘日本中の会社にいる’ことも間違いではないのでしょうが、窪田氏が、一部の事例を全体に引き伸ばし、読者を誤った日本人批判に誘導しているとしますと、それは、パワハラの実行者を見逃すことになりかねません。本記事の真の目的は、善意を以って日本社会をより良くしようと提言するのではなく、悪意を以って日本人=暴力主義のイメージを植え付け、さらには‘暴力主義の日本人全員が悪い’という構図に誘導することで、真に責任を負うべき少数のパワハラ犯、即ち、“真犯人”を逃がしているように思えます。パワハラを行う人とは、常々、全員でなく極少数の強欲で自己中心的な人であるからです。全員が反省せよ、ではなく、パワハラ傾向の人を組織の重職に就けない、あるいは、パワハラをさせない仕組みを作る事こそ、重要です。制度的にチェックする仕組みも必要となりますし、風通しの良い組織への再編も不可欠となりましょう。また、ルールに則って正々堂々と闘うことを良しとするスポーツマンシップの徹底は、選手のみならず、監督やコーチ、並びに、その上部層にも求められるかもしれません。

日大アメフト部の問題は、日本社会にパワハラの害悪の実例を示すこととなり、その対策の必要性を深く認識させたことにおいて、パワハラ撲滅に向けた一つの出発点となる可能性があります。果たして、災い転じて福となるのか、山本氏や窪田氏が不当に負わせた‘暴力志向’の汚名を払拭するためにも、今こそ、日本人がより善き組織造りを目指して頑張るべき時なのではないでしょうか。

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日本国では民主主義が機能していない?-移民政策に見る保守政党の悲しき裏切り

2018年06月01日 11時09分06秒 | 日本政治
「五つ星運動」や「同盟」等の政党が躍進したイタリアをはじめとした欧米諸国では、移民反対を掲げる政党の台頭が著しく、従来の左右対立の構図が一変しております。これらの政党については、日本のマスコミは、必ずと言ってよい程、ポピュリズム(大衆迎合主義)政党とする説明を付しており、民主主義を危険に晒す存在として批判的に報じています。しかしながら、先日、日本国政府が策定した外国人労働者の受け入れ政策に関する限り、国民一般に広く存在する移民反対派の受け皿となる政党が存在する米欧諸国の方が(もっとも、その背景については調べる必要がありますが…)、民主主義がまだ健全に機能しているように思えます。

今般の政策は、単純労働者を含む外国人に対して日本国の労働市場を開放するわけですから、長期的には、経済分野を越えて日本社会全体を破壊するほどの影響をもたらします。多民族国家へと日本国民の構成が大きく変化することを意味し、台湾と朝鮮半島を外地としていた期間は別としても、古代より連綿と続く日本列島の歴史を見れば、最大の転換点と言っても過言ではありません。それにも拘わらず、自民党をはじめとした各政党とも、モリ・カケ問題には異常なまでの執着心を見せながら、より国民に身近で直接的な問題である移民政策については素知らぬ顔を決め込んでおり、政府も、国民にその是非を問うどころか、説明責任さえ果たそうとしていないのです。

 加えて、マスメディアに登場する識者たちの見解も、その大半は、あたかも移民受け入れによる日本国の多民族国家化は‘既定路線’、もしく は、‘正しい路線’であるが如くに論じています。移民政策自体の賛否をめぐって生じている国民間の議論についても、これもまた無視を決め込んでいるのです。移民増加によって仮に問題が起きれば、‘悪い’のは、受け入れ態勢の整備を怠った日本国政府か、あるいは、歓迎しなかった日本国民と言わんばかりであると言えるでしょう。正義の仮面を被ることで、ちゃっかりと責任は他者に押し付けるとともに、移民政策に対する国民側からの批判や非難を封じているのです。

 こうした政府やマスコミの傲慢不遜な態度は、批判を浴びている日大アメフト部の内田元監督と然して変わりはありません。‘勝つためには手段を選ばず’は、‘人口増加、あるいは、利益のためには手段を選ばず’であり、批判されれば、‘このぐらい当然のことでしょう’と嘯くか、‘移民増加によるリスクは知らなかった’としらを切るのでしょう。そして、その結果に対する責任を引き受ける覚悟もないのです。選手達が如何に酷い目に遭おうともお構いなしの思考も、日本国民を‘主権者’ではなく‘被支配者’としてしか見ない日本国政府やマスメディアの態度と共通しています。一般の日本国民は、まさに‘まな板の上の鯉’と見なされているのです。

 戦略の世界では、‘攻撃は最大の防御’とも言われております。リベラルによる所謂‘ポピュリズム批判’とは、‘変革’という名のもとに破壊を容認するリベラリズムに内在する非民主的な思考の存在を隠し(民主主義とは、国際的には民族自決や内政不干渉を意味し、国内的には国家と国民との間に法的権利・義務関係が存在する国家において成立する価値…)、自らに対する批判を躱すための防御のための攻撃かもしれません。

そして、日本国の政界を見渡してみますと、リベラル(破壊者)か、保守を装ったリベラル(破壊者)しか存在しないかのようです。自国の運命を国民自らで決めることこそ民主主義の本質であるならば、独断で国を開放した日本国政府の方針は、日本国民に対する背任であると共に、民主主義に対する悲しき裏切りなのではないでしょうか。日本国も、民主主義を具現化させることができる真の保守政党が必要とされる時期が訪れているように思えるのです。

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