原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

2年ぶりに被災地へ その1

2013-06-11 | 徒然なるままに
仙台WSの翌日に、被災地を巡って来た。

震災のニュースが続々と入ってくる中、
WSに来て下さっていた仙台市内や周辺にお住まいの皆さんの様子がずっと気になっていて
その年の6月にやっと訪れることができたのだった。
市内でセッションを行い、有志で蔵王町の「ゆと森倶楽部」に宿泊した。
食事中に大きめの地震があったことをよく憶えている。

その翌日、南三陸は歌津に住んでいたSさんの案内で、南三陸を廻った。
志津川の港に入る手前の街で、風景が変わった。
坂を上っていっても、こんなところまで…という高さのところに津波の痕跡があった。
志津川の街も、通行のためにとりあえずまとめられるがれきはまとめてあるくらいで、
まだまだ破壊のエネルギーが街を覆っていた。
あの有名になった防災センターの鉄骨にも、
網や浮きがひっかかって絡んだままになっていた。
とてもいい天気の日で、潮と腐敗の混じったような匂いも強かった。

歌津の中学校の体育館が避難所になっていた。
Sさんは仮設住宅に入ったばかりだった。
避難所は思いのほかいい雰囲気で、
子供をあやしてくれるひともたくさんおり、
避難所を出るときは少し寂しかったと言う。

遠藤園子さんがクリスタルボウルの演奏を行い、
わたしはその間、避難所の方々にアロマオイルを配っていた。

ある年配の方の隣に行くと、彼女は問わず語りに話しはじめた。
妹さんが流されてしまってまだ見つからないこと。
夜、なかなか眠れない時に、避難所の体育館のテラスに行き
ひとりでそこで泣くこと。
そして、「みんな大変だからね。こんなこと言えん」と呟いた。
わたしのようなよそ者にしか話せないのだな、と思った。

あの日の海の美しさは、本当に忘れられない。

こんなに美しい海が…と何度も思い、
そしてそれが「自然」なのだとも思った。

まだ何もかもが生々しかったあのときから2年。

再び、沿岸部に行ってみようと思ったのだった。


<続く>

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