8月は6日と告知しておりましたが変更します。
WSにおいてベースとなる考え方は以下のようなものです。
その時にいらした方が携えてくるものが一番大切なことであり
それらの集まったもので場の流れができていきます。
私が何か答えを提示するものでもありません。
全てはその方の身体が知っていると思うのです。
そこに手がかりを見出していく身体技法や方法を提案し
行なっていきます。
以下の文章は2018/7/28に書いたものです。
参考までに。
それにしてもこんなに雨の降らない梅雨はなかった。
それにしてもこんなに雨の降らない梅雨はなかった。
雨が恋しいです。
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2018/7/28
本日のWSは
窓を叩く雨の音、
時折吹きつける風の音、
廊下で遊ぶ子どもの声がBGM。
静かに自分の身体や深い意識と
対話する方たちに、
なんと寄り添ってくれたことか。
内界と外界が
静かに融け合った時間。
首都圏での毎月のWSでは
私は本当に、
ほとんど何も持ちかけない。
来た人の気分を変えるために
喜ばせるようなことはしていない。
いつからなのか。
来た人たちの話を聞きながら
こういうことが必要かな?と思い
そのためにはこういうワークがいいかな、
と提案するだけ。
身体的にほとんど動かない場合もあるし
心が忙しく動く場合もある。
わけもなく涙やくしゃみや鼻水やあくびが
止まらなくなることもある。
浅かった呼吸が深くなったり、変わらなかったり。
突然ニコニコしたり、泣いたり。
いろんなことが起きてくる。
しかし、
それらのことをそのままに
場で受ける。静かに。
このWSの意味がもしあるとしたら
そういうところなのだろうと思う。
生産性はもちろんない。
ただその人がそこにいる、ということを全うしてもらう場だ。
神の声も聞こえないよ、もちろん。
神や自然に祈ることも強要しない。
ひとつの答えを導き出そうとしない、という場は
あまりないのかもしれないから
それでいいのかなあ…とぼんやりと窓の雨を見つめる。
窓も雨も何も答えないけれども。
窓を伝う雨は何かを洗ってくれているようできれいだった。
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