日本の生活においては、サウンドスケープは常に重要な役割を担って来た。
「茶の宗匠は釜で音楽を奏で、庭師は水の戯れを耳に心地よく響かせるために庭に水車や共鳴壷を仕掛けると言う。
このような感性がどのようにして培われたかをあれこれ考えているうちに、おそらくそれは、和紙を使った壁と窓で出来た家に住んでいる為だろうという結論に至った。
和紙の窓は、ガラスの窓とは全く違う。
ガラスは音を遮る。
けれども紙ならば漏れ聞こえてくる。
紙の窓には耳の意識が働いているのだ。
西洋音楽は、石とレンガの壁によってサウンドスケープから遊離されて来た。
これに対し、日本の精神は今なお音楽と環境の融合を味わうことが出来る。」
(「世界の調律 サウンドスケープとは何か」R.マリー・シェーファー:著、鳥越けい子他:翻訳、p22-23より抜粋)
シェーファーが分析した様に日本では環境の中に音を取り込む文化を持っていた。
日本人が元来持っている感性を発揮するためにも、西洋文化で育った我々が聞く現在の環境音楽が必要ではないのか。
=次回に続く= by きしかなん
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