マヤ人の集落へ遠足に行ってきた。
現場の親方のお父さんがそこの出身だそうで、近隣の村に出る人もいるので、常住してるのは30人くらいだという。東京ドーム50個くらいの土地に、一族が住んでいる。日本では過疎化の問題や最近は地震もあったんで高齢化や限界集落のイメージが強いだろうが、そこは全然違う。親戚たちとの行き来も頻繁だし、親方のように集落には住んでないが行ってインフラ整備などする親戚もいる。
平らなユカタン半島に住んでると、こういうアップダウンが新鮮。村の南西部は小山が連なっていて、州の自然保護区になっている。
放牧されてる牛が通るので…と言われたが、牛ってジャングルを進めるんだ!
シュルはマヤ語で終わりを意味するらしい。ユカタン州の南端まで20キロくらいで、スペイン侵攻以前から最果ての村だった。
シュルを出ると穴だらけの酷い道で途中から未舗装なんだが、この看板から先は新しく舗装されていた。村を出て成功した親方みたいな人がソーラーパネルを設置したり採石場を作ったり、実家に手を入れるというか金かけるというかそんな感じで、ときに先住民支援の補助金なんかも上手いこと利用している。集落へ入る道もそうらしい。道路整備を自慢する連邦政府の看板があった。
居住エリアだけで東京ドーム1個くらい。
登ったら地平線が見えた。
そのあちこちにポツポツと、マヤの家や新たに建てたブロック造の家がある。ワンルームの小さな建物で、壁に沿って棚が少し、ハンモックがベッドと椅子代わり。
ついでにシャワー&トイレだけの建物を3棟造っていた。
隣のマリアの実家と同じく、とうもろこしの実を煮るところ(つまり最初)から手作り。それも毎日。めっちゃ美味しい。鶏肉のスープをご馳走になった。
一族だけのため。州政府から教師が派遣される。
ドーム50個分の土地は、居住エリアの周りに小山、小山を超えるととうもろこし畑や果樹園、牛豚を育てるエリアなど、その他はジャングルである。3キロくらい先に遺跡があるという。一応連邦政府に登録されてるが、特に保存や観光地化などの指示はない。一族がたまに遊びに行く以外は放ったらかしてある。この日は朝から集落に行く予定にしてたが、隣のヒルベルトが急に子どもをメリダの病院に連れて行かなくてはならなくなって車を貸したので、彼らが戻ってきてから出たら時間が遅くて行けなかった。電気は居住エリアにつけたソーラー発電のみ、そこを離れるとまったく灯りがない。日が暮れると遭難してしまうのである。
何か不便なことやほしいものはないのかと聞いたら、特にないとの返事だった。家電など現代的な物が少ないので、パッと見は先住民保護界隈がいじりたそうな貧困マヤ人の生活なんだが、広大な土地といい、豊かな農産物といい、メリダで物価高にヒーヒー言ってる若者なんかよりずっと余裕がある。せいぜい自分たちが住むところを買う程度の我々は、「親方、ボンボンじゃん」と笑ったくらい。
今はネットでいろんなことが可能なんで、高等教育は問題なかろう。困るとしたら、子どもが何らかの事故に遭って急いで病院に運ばなければならないなど、物理的距離か。先進医療を受けようかってなケースなら、米国でもどこでも行って入院するための余裕はありそう。
実際、実家に嫌気がさすか夢を見るかしてメリダへ出て行った者は苦労してるらしい。そうなると、マヤ文化の幼少期を懐かしがったり、あるいは逆に先住民であることを恥じたり…ということになる。この一族は大家族が上手く機能している例なので、住んでる人達にも親方一家にもほとんど不満はなさそうだった。
少なくともこれだけは言える。能登と同じく国の中心から遠く離れた半島の奥地だが、ここで地震があって道路が分断されたら困るのは食料が届かなくなるメリダの方だ。
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