甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

象潟 その1 芭蕉さんの夏の旅

2024年07月21日 05時15分04秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 半年ぶりで「おくのほそ道」にもどってきました。いつになったらゴールにたどりつけるのか、ほんとに薄っぺらな本なのに、私にはハードルが高いですね。そして、これをゴールまでたどり着けたとしても、それが果たしてゴールなのか、わからないのです。

 そんなことを言ってたら、いつまで経ってもゴールにたどり着けないし、すべてはなかなか当てにならないものだと思って、とりあえず行けるところまで行きたいです。あれこれ考えても、私の俳句は深まらないんだから、諦めの思想で、ボンヤリ歩いていくことにします。酒田からポンと象潟に芭蕉さんはいます。実際には歩いたはずですけど、例によって途中は省略してあります。芭蕉さんの文学の旅だから、日記・記録ではないんですね。 

 江山水陸(こうざんすいりく)の風光(ふうこう)数を尽くして今象潟(きさかた)に方寸(ほうずん)を責む。

 たくさんの川や山、水辺や陸地などの風景を数知れず見てきて、今やっと象潟という土地にたどり着こうとしていて、私の心は責め立てられています。

 方寸とは三センチ四方のものって、心臓はもう少し大きいと思いますけど、小さな心みたいな感じで「方寸」ということばを使ったでしょうか。

 酒田の湊より東北の方(かた)、山を越え、礒(いそ)を伝ひ、いさごをふみて、その際十里、日影やゝかたぶく比(ころ)、汐風(しおかぜ)真砂(まさご)を吹き上げ、雨朦朧(もうろう)として鳥海の山かくる。

 酒田の港町から東北の方角、山を越えて、磯を伝って、砂地を歩いて、その間は四十キロほどになるくらいで、日の光が少し傾くころなのですが、潮風が浜辺の砂を巻き上げ、雨も降り下ろしてきて鳥海山はかくれてしまっています。

 酒田の町にいるのなら、鳥海山を見あげたい。富士市にいたら富士山、盛岡市にいたら岩手山、弘前市にいたら岩木山、倶知安町にいたら羊蹄山、町と独立峰はつながっていたりします。でも、年がら年中見られるわけではないですね。わかってはいるんだけど、いつもその町にいられる訳ではない旅人には残念な感じがしてしまう。それも人情です。



 闇中(あんちゅう)に莫作(もさく)して、雨も又(また)奇也(きなり)とせば、雨後(うご)の晴色(せいしょく)又(また)頼母敷(たのもしき)と、蜑(あま)の苫屋(とまや)に膝をいれて雨の晴るるを待つ。

 薄暗がりの中を手さぐりでものを探すように、雨の風景の中に鳥海山を想像してみるのも面白いとするのであれば、雨の後で晴れた空が見られたら、これこそ素晴らしいものだろうと、漁師さんの苫ぶきの小屋に入り込んで、雨が止むのを待ってみるのでした。

 なかなか引っ張りますね。ドラマチックになるには、最初はうまくいかないのが、突然スカッと見えたりすると、感激もひとしおになります。さあ、どうなるんだろう。晴れるのかな。それとも相変わらずの雨かな?

 その朝(あした)、天能く霽(はれ)て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。

 その翌日、空はきれいに晴れて、朝日があざやかに差し込むようになり、象潟に舟を浮かべることにしました。

 いよいよ象潟に漕ぎ出したんですね。当時のこの辺りの海がどんなだったのか。たぶん、奇跡的な美しさがあったでしょうね。それが今となっては想像するしかなくて、それが残念ではあるんですけど。



 先ず能因嶋(のういんじま)に舟をよせて、三年幽居(ゆうきょ)の跡(あと)をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念(かたみ)をのこす。

 最初に能因法師がいたという島に舟を寄せて、三年隠れ住んだという家の跡を訪ね、向こう岸にあがると、「花の上を漕いでいく天のつり舟」と詠まれたサクラの老木があって、今のそのまま西行さんの記憶をとどめているような感じがしました。

 象潟は、芭蕉さん憧れの西行さんも、能因法師さんも訪れたところだったそうです。歴史的には能因さんの方が古く、西行さんがあとから能因さんの旅したところを歩いたということになっています。

 二人の先人の訪れたところを、今、自分で旅してみた芭蕉さん。いよいよ俳句を作る気分は盛り上がってきますね。

 どんな俳句ができたんだろうな。



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