長いブランクがありましたね。もう2024年になりました。また、今年の夏も東北に行くと思うんですけど、今年こそ秋田の温泉に行きたいですけど、どうなることかなあ。三重からだと少し遠いですね。
さて、芭蕉さんの旅は、月山の登山を行ない、湯殿山へ降りてきて、そちらで見たことは一切語らないということでした。そのあと、俳句をいくつか書いていて、残り二つありました。
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山は神秘な山で、その山で見たことは人に語ることは許されません。それだけに有り難さが胸にしみて、涙でそでを濡らすことになってしまうのです。
湯殿山銭ふむ道の泪(なみだ)かな 曾良
湯殿山に参拝すると道のあたりにおさい銭がたくさん散らばっていて、それらを踏んでいかなければならなくなります。その銭には手にふれることもできないし、このお山の有り難さやおそれ多いことがこみあげてきて、涙がこぼれそうになります。
(酒田の最上川近くの山居倉庫です)
羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、長山氏重行(ながやまうじしげゆき)と云ふ物のふの家にむかへられて、誹諧(はいかい)一巻有り。
羽黒山を出立して、鶴ケ岡(現在の鶴岡市)の城下へ来て、そこの長山重行という武士の家に迎えられて、俳諧の連句一巻を作った。
長山さんがどんな人なのか、俳句の心得のある人で、芭蕉さんたちを迎え入れることのできる、それなりに連絡というかネットワークに入っていた人なのでしょう。ある程度は筋を通してあったのでしょう。
山形県に入ってから、出羽三山の案内をしてくれた染物屋さんもずっと一緒でした。彼も一緒になって連句をしたんですね。
左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉(えんあんふぎょく)と云ふ医師の許を宿とす。
羽黒山からずっとともに行動してきた図司の左吉も一緒にここまで送ってくれた。いよいよ日本海側の名所の象潟へ向かうことになるのです。
そこから私たちは川舟に乗って酒田の港へ下りました。そちらでは淵庵不玉という医師のところを宿とすることになります。
このお医者さんは、鶴岡の酒井のお殿様のお医者さんで、伊東玄順という方だそうです。俳号が不玉というらしい。どうしてこうペンネームとか俳号とか、「玉にあらず(完璧ではないよ)」みたいな謙遜したのにしてしまうかなあ。いっそのこと何でもあるよ、みたいなペンネームないのかな。まあ、控えめなのが無難ではありますね。
あつみ山や吹浦(ふくうら)かけて夕すゞみ
暑い太陽が最上川の注ぐあたりの海の向こうに落ちていきます。さあ、鳥海山のふもとの吹浦あたりはもう涼しくなってるかもしれない。夕涼みでもしてみましょう。
暑き日を海にいれたり最上川
ものすごく暑かった一日を、最上川が海に流し込んだみたいな、どこかさっぱりとした夕暮れになっています。