昨年の12月23日・土曜日の朝日新聞に原武史先生が書いておられた連載から、少しだけ抜き書きさせていただきます。
2009・H21年の3月のダイヤ改正で、東京―熊本・大分を走っていた特急「はやぶさ・富士」がなくなるとき、八代亜紀さんがニュースで思い出を語っておられたそうです。それで、原先生は、八代さんといつかお話しできたら、と思っていたら、チャンスがやってきて、2010年の『中央公論』で対談をされたということでした。
八代さんは、地方コンサートのため乗った夜行で過ごした時間がいかに豊かだったかを力説されつつ、
「東京―九州間の寝台特急を、もう一度走らせることはできないものでしょうか?」
「これからは〝リタイヤ組〟がどんどん増えるわけでしょう。寝台特急で九州に旅したいという人は、たくさんいるんじゃないですか」
などと夜行復活への思いを語られた。
そして、その対談から13年が経過して、2023年の終わりに八代亜紀さんの訃報が入りました。
私は、2024年の世界にいて、寝台特急は間違った方向へ向かっている、というか、閉じられた空間で狭い世界をクネクネ走っていて、ちっとも移動のための手段として生かされていないと悲しくなるだけです。
新潟に実家がある奥さんのお友だちの方が、今はこういう時なんだから、名古屋まで出て、東京・新潟と新幹線でつなげてすばやく移動したらいいんじゃないの? と私たちなら思うんだけど、名古屋から長野、そこから乗り継ぎ乗り継ぎして新潟まで行く、その方が少し運賃が安いとお話されてたというのを聞いてきた最近のことですけど、本当なら、最短距離を簡単に行ける方がいいし、できれば乗り継ぎも少なくて、目的地まで行ける方がよかった。
北陸新幹線がない時代は、大阪から名古屋から、いろいろなアプローチの方法があって、それを利用すれば、時間はかかるけれど、簡単に行けるという道がありました。
今は、新幹線を利用しないとどこへも行けないし、新幹線は夜は走れないし(夜中にずっとメインテナンスをやり続けなきゃいけないから)、新幹線なしで遠くへ移動するということは、飛行機か長距離バスしかありません。
嘆いても仕方がないから、人々はクルマで走るか、不便な乗り継ぎを何度もするか、させられています。
明日夜が明けないと移動できないという人は、どれだけ悶々と眠れない夜を過ごさねばならないんでしょうね。
いくら、いろんな人が提案したところで、会社はなかなか動かないでしょう。今ある路線でじり貧になりながらコツコツ稼いでいけばいいや、困った時は新幹線、ついでにリニアに便乗、みたいな、どこかの経済大国みたいな重厚長大産業を推し進めることを、今もしようとしている。
あとしばらくしたら、誰も夜行列車に乗りたいなんて言わなくなります。けれども、世界を旅する人たちは、欧州で豊かな鉄道での移動の経験をして、まわりの人たちには語るかもしれない。そして、「夜行列車」の時間というのを味わいたい人は、海外に向かって行くしか、もう他に道はありません。
この国で、豊かな鉄道の移動の旅をする、そういうのは「夢のまた夢」になりつつあります。何だか寂しいのです。