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ちゃんとした球根たちをこのようなイメージで咲かせようと植えられたスイセンたちは、だいたいイメージ通りに咲いているのだと思います。こんな真冬にしっかり立って、花をつけています。
私は、この強さ、たくましさ、集団で咲く団結力など、とても可能性のある花たちで、時には黄色い花も咲かせるスイセンという植物に対して、あまり敬意も持たず、冬に咲いている花として見ていただけでした。
花が好きというわけでもないし、匂いを感じることもありませんでした。どちらかというと、ニラなのか、スイセンなのか、区別もつきませんでした。うちの庭にはどっちも咲いていて、切ってみたらニラは匂いでわかるし、そもそもどういう利用をしようという訳でもありませんでした。
ニラの花は、先端に緑の線香花火が輝いているみたいで、こちらは花は好きなんですけど、実はスイセンとの違いが分からず、関心を持たないままに、どちらかの花がついて、「ああ、そうだったのか」と思う程度の隣人感でした。
そんないい加減な付き合いをしていて、先日、たまたま朝日が差してるスイセンの花を見たら、少しだけ救われてような気がしました。
こんなに寒いのに、こんなに世の中はグチャグチャなのに、日本だけじゃなくて、世界各地でいろんな問題や戦争だって起こっているのに、うちの庭にはささやかにスイセンが咲く時と思ったのか、咲いていた。
自然は、人がどんなことをしていようとも、来るべき時が来たら、それなりに季節を移り変わらせています。川も、空も、海も、風も、たぶん、流動してどこか行きつく先を求めて動いているんでしょう。
人間だけが、ひとつのところでこだわって、ひと花咲かせようとか、ふるさとを守っていこうとか、私はここに長く住んできたのだから、これからも住むかもしれない、住んでいきたい、なんて思っている。
それは、とても貴重なことだし、そういう気持ちはぜひ生かされるべきだし、みんながお互いの気持ちを気持ちよくあるように助け合っていかなくてはならない。
果たして私たちは、ちゃんとそれができているのか?
疑問を持つとキリがないけど、少なくとも私は、何ができるか考えたい。スイセンは教えてくれます。私がどんなにムチャクチャに扱っても、ちゃんと地面をとらえ、茎をのばしています。残念ながら、花まで至らない茎もあるんですけど、やせっぽちの茎もあるし、土が足りないところもあるし、もとの球根もフラフラだったりするんだけど、とにかく、自分たちの生を精一杯生きようとしている。
あんまりひどい扱いをせずに、ちゃんと植えてあげたいんだけど、ついついゴチャゴチャに植えてしまいます。ああ、ゴメンサナイ。スイセンたちとも対話するようにします。私のワガママだけではダメだねえ。