新潟でコツコツ仕事をしていた友人が亡くなったそうです。本人から聞かせてもらった訳ではないけれど、彼とはフェイスブック友だちで、うすーいつながりでした。メッセージも書いたことがあったんですけど、彼から返事はありませんでした。見てもらってたのかどうか……。友だちにしてもらったのに。
まあ、仕事をしていることは確かなので、そのうちにメッセージでも送ろうかとフエイスブックを見ていたら、関係者・知り合いのみなさんたちが、彼がなくなったことを彼のページに書いていました。数日前のことでした。
おくやみ、というよりも、信じられなくて、書き込みしている人たちも確かめ確かめ書いているようでした。でも、それらの内容からすると、彼は亡くなった、としか考えられなくなりました。
悪ふざけで他人のページに書き込むわけはないのだから(それを意図的にやろうとしたらできるから、少し怖い気もしますが……)、そうなのだと思います。
新潟は少しだけ遠くて、この数年、何度か通るチャンスはありましたけど、わざわざ彼に会おうということをしてきませんでした。まあ、忙しかっただろうけれど、結局は私の至らなさで、彼とも会えないままにつながりは切れてしまいました。
だから、会いたいと思ったら、すぐに会いに行かなくちゃいけなかったのに……。私の熱意が足りなかったんです。私の至らなさでしたね。
彼がいなくなったこの世に、私はまだいます。のん気にブログなんかしているし、「明日も仕事だ」と不平を鳴らしている。
どれだけ私は今日一日を大事に生きたのか、そんなことを考えると、すべてが不満であります。完全燃焼で生きてなかったですね。
眠くて、仕事がはかどらず、少しずつミスを直しながら、他の人たちと協力しながら、いつもとかわらない仕事はしていたけれど、思い切り仕事をしたというわけではありませんでした。
ヘトヘトになるまで仕事を全力でやる、というのはもうできないのかな。ほどほどにやるだけで、瞬間ごとに生き生きしている私ではありませんでした。
彼なら、淡々とやるべきことをやり、全体を動かし、まわりの人たちに気を使い、言葉も適度にかけて、「いつも、あなたのそばにいるよ。ちゃんと見ているよ」というのを伝えてくれるし、時には少し大げさにギャグを飛ばしたり、二人でシンミリとお酒飲んだり、そんなことをしてくれた人だったのに、きっと新潟でも変わらずにそんなふうに過ごしていたと思うのに、もうこの世にいないなんて。
時間は止まったままですね。いつでも、彼のやさしい笑顔とことばが浮かんできそうです。それは新潟に行けば、また聞かせてもらえるものだと思っていました。
彼と初めて出会った時、「新潟明訓高校、あのドカベンのモデルになった高校の出身です」と教えてもらって、ビックリしたことがありました。
まるでドカベンの世界から、私たちの世界にやって来てくれたような、不思議なオーラがありましたね。
もう会えないんですね。もう、声を聞かせてもらうこともできないのか。
1 梅雨明けやみんながいい人のフリしてる
2 蝶生まる誇らしげなるツーショット
3 戻り梅雨 僕らの誇りは青臭さ
4 メダカ鉢メダカはおらず雨が降る
5 七夕や 君の紡いだ吹奏楽
まだまだしんみりした気持ちは続くと思います。