
今日も帰りは遅くなりました。家族に迷惑をかけてばかりです。
そういうわけで、突然の鹿沼市です。東武鉄道ではなくて、JRで宇都宮から日光線に乗りました。宇都宮から十数分のところにあります。
今回、本を読みながら、うたた寝しながら、お客を見ながらなどして電車に乗りました。でも、この十数分は初めて乗った区間でもあり、珍しい北関東の風景だったので、一生懸命に外を見ていました。宇都宮を出て一つ目の駅が「鶴田」ここまで四分くらい、次が「鹿沼」で十分くらいかかりました。その間に駅はなく、延々と走っていました。たいしたもんだ。関東って、広大だから駅と駅の間も長いのだと、変なところで感心しましたし、なんと私の乗った電車はこの二駅めで折り返して宇都宮に戻っていきました。そういう運用の仕方にもビックリでした。

どうしてわざわざ鹿沼市というところへ来たのか? それは川上澄生さんという版画家の美術館があるから、一度行ってみようと思ったのでした。小さな美術館なので、全作品を大々的に展示しているということはありませんでした。
所蔵する作品群からをテーマを決めて少しずつ展示していくスタイルで、折にふれて訪れてもらって、いろんな作品を見てもらおうというスタイルの美術館でした。私はてっきりすべての作品が見られるのだと思ってましたが、そうではなかった。第一、作品は版画ですから、それなりに数はあるし、油絵ではないので、年がら年中外に出しておくものでもないようです。
そうなのか、何度も何度も見に来なきゃいけないし、あちらこちら日本各地で展示される機会があったら、その度に行かなければならないのか。何もかもいっぺんに見られるわけではないのだ。
それで、今回は何が見られたんでしょう?
頒布会というのがあったそうです。なじみの画廊とか、先生を慕う仲間たちとか、いろんなサークルがあって、その人たちに月に1回限定150部の作品を届けるから、この会に入ってと募集して、それが成立したらその人たちのお好みの色紙サイズの作品を作って送るというものらしいのです。入会するといくらぐらい払わなきゃいけないのかわかりませんが、そんなにムチャな値段ではなく、それでもそんなに安いものではなく、それなりに奮発して入らなきゃいけなかったでしょう。
そういう頒布会の作品、静物画や旅の思い出やら、南蛮風やら、川上澄生さんの得意のテーマで作品はまとめられていました。
なかなかおしゃれな趣味で、私もお金に余裕があって、好きな作家さんがいたら、頒布会に入るのだけれど、余裕はないし、作家さんもいないし、入会できてないですね。何だかザンネンです。

街にたどり着いたとき、まだ早くて美術館は開いていませんでした。ですから、東武鉄道が走っている中心街まで歩いてみようとテクテク歩いてみました(町の東側を走るのがJRで、西側を走っているのが東武鉄道でした。この形は宇都宮でも同じでした)
すると芭蕉さんが飾られています。どういうわけなんでしょう。
というわけで、「おくのほそ道」を調べてみました。「草加」埼玉から次は栃木の「室の八嶋」、つづいて日光のふもとの町、そしてようやく「日光山」……あらたとう青葉若葉の日の光……という句を残すのでした。というわけで、鹿沼で泊まったみたいなんだけど記述は無しでスルーされています。
曾良随行日記
一 にれ木(にれき)ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼ニ泊ル 。(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)
(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。)
というような曽良さんのメモから、鹿沼で泊まったのは確かなようです。春日部に泊まり、次の日は栃木県小山市に泊まり、3日目は鹿沼だったのに、「おくのほそ道」にはそんなことは一切書かれていません。どういう美学があったのか、どういう選択だったのか、そのあたりは私はよくわかりません。まあ、実際の旅から作品に至るまでに5年の歳月がかかったのですから、それはもうものすごくそぎ落とし、結晶化したものしか載せられなかった。
でも、地元では芭蕉さんが宿泊したことを記念し、ここで作ったとされる句の碑を建てておられました。「入(いり)あひのかねもきこへずはるのくれ」という作品だったようです。
確かに、3月29日の月末で、季節としては合っていますね。でも、本当に鹿沼で詠んだ句なんだろうか。とにかく、句碑が作られていました。
句の内容は、春の末の夕暮れに、このあたりでは夕暮れを伝える鐘の音が聞こえないなあ、という感じみたいです。何だか当たり前というのか、おもしろみが感じられません。
あんまりステキな作品でもないから、「おくのほそ道」本編では不採用にして、鹿沼なんて知らないということにしたんでしょうか。まあ鹿沼にとってはよかったのかなあ。

中心街の庭園では、しだれ梅が真っ盛りで、おだやかな春の感じがしていました。そうか、ちょうど芭蕉さんと同じくらいの感じだったのかな。いや、芭蕉さんの方がもう少し後ですね。あと1ヶ月くらい遅い感じだったかな。

かくして私は、よくわからないままに鹿沼名物「焼きんとん」を買いました。てっきりおいもさんが入っているのかなと思って買いましたが、焼き餅みたいで、とてもおいしくいただきました。
あれ、美術館はどうなっているんだろう。
また、明日書きますかね。もう本読んで寝ます。何ということなのかなあ。
そういうわけで、突然の鹿沼市です。東武鉄道ではなくて、JRで宇都宮から日光線に乗りました。宇都宮から十数分のところにあります。
今回、本を読みながら、うたた寝しながら、お客を見ながらなどして電車に乗りました。でも、この十数分は初めて乗った区間でもあり、珍しい北関東の風景だったので、一生懸命に外を見ていました。宇都宮を出て一つ目の駅が「鶴田」ここまで四分くらい、次が「鹿沼」で十分くらいかかりました。その間に駅はなく、延々と走っていました。たいしたもんだ。関東って、広大だから駅と駅の間も長いのだと、変なところで感心しましたし、なんと私の乗った電車はこの二駅めで折り返して宇都宮に戻っていきました。そういう運用の仕方にもビックリでした。

どうしてわざわざ鹿沼市というところへ来たのか? それは川上澄生さんという版画家の美術館があるから、一度行ってみようと思ったのでした。小さな美術館なので、全作品を大々的に展示しているということはありませんでした。
所蔵する作品群からをテーマを決めて少しずつ展示していくスタイルで、折にふれて訪れてもらって、いろんな作品を見てもらおうというスタイルの美術館でした。私はてっきりすべての作品が見られるのだと思ってましたが、そうではなかった。第一、作品は版画ですから、それなりに数はあるし、油絵ではないので、年がら年中外に出しておくものでもないようです。
そうなのか、何度も何度も見に来なきゃいけないし、あちらこちら日本各地で展示される機会があったら、その度に行かなければならないのか。何もかもいっぺんに見られるわけではないのだ。
それで、今回は何が見られたんでしょう?
頒布会というのがあったそうです。なじみの画廊とか、先生を慕う仲間たちとか、いろんなサークルがあって、その人たちに月に1回限定150部の作品を届けるから、この会に入ってと募集して、それが成立したらその人たちのお好みの色紙サイズの作品を作って送るというものらしいのです。入会するといくらぐらい払わなきゃいけないのかわかりませんが、そんなにムチャな値段ではなく、それでもそんなに安いものではなく、それなりに奮発して入らなきゃいけなかったでしょう。
そういう頒布会の作品、静物画や旅の思い出やら、南蛮風やら、川上澄生さんの得意のテーマで作品はまとめられていました。
なかなかおしゃれな趣味で、私もお金に余裕があって、好きな作家さんがいたら、頒布会に入るのだけれど、余裕はないし、作家さんもいないし、入会できてないですね。何だかザンネンです。

街にたどり着いたとき、まだ早くて美術館は開いていませんでした。ですから、東武鉄道が走っている中心街まで歩いてみようとテクテク歩いてみました(町の東側を走るのがJRで、西側を走っているのが東武鉄道でした。この形は宇都宮でも同じでした)
すると芭蕉さんが飾られています。どういうわけなんでしょう。
というわけで、「おくのほそ道」を調べてみました。「草加」埼玉から次は栃木の「室の八嶋」、つづいて日光のふもとの町、そしてようやく「日光山」……あらたとう青葉若葉の日の光……という句を残すのでした。というわけで、鹿沼で泊まったみたいなんだけど記述は無しでスルーされています。
曾良随行日記
一 にれ木(にれき)ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼ニ泊ル 。(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)
(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。)
というような曽良さんのメモから、鹿沼で泊まったのは確かなようです。春日部に泊まり、次の日は栃木県小山市に泊まり、3日目は鹿沼だったのに、「おくのほそ道」にはそんなことは一切書かれていません。どういう美学があったのか、どういう選択だったのか、そのあたりは私はよくわかりません。まあ、実際の旅から作品に至るまでに5年の歳月がかかったのですから、それはもうものすごくそぎ落とし、結晶化したものしか載せられなかった。
でも、地元では芭蕉さんが宿泊したことを記念し、ここで作ったとされる句の碑を建てておられました。「入(いり)あひのかねもきこへずはるのくれ」という作品だったようです。
確かに、3月29日の月末で、季節としては合っていますね。でも、本当に鹿沼で詠んだ句なんだろうか。とにかく、句碑が作られていました。
句の内容は、春の末の夕暮れに、このあたりでは夕暮れを伝える鐘の音が聞こえないなあ、という感じみたいです。何だか当たり前というのか、おもしろみが感じられません。
あんまりステキな作品でもないから、「おくのほそ道」本編では不採用にして、鹿沼なんて知らないということにしたんでしょうか。まあ鹿沼にとってはよかったのかなあ。

中心街の庭園では、しだれ梅が真っ盛りで、おだやかな春の感じがしていました。そうか、ちょうど芭蕉さんと同じくらいの感じだったのかな。いや、芭蕉さんの方がもう少し後ですね。あと1ヶ月くらい遅い感じだったかな。

かくして私は、よくわからないままに鹿沼名物「焼きんとん」を買いました。てっきりおいもさんが入っているのかなと思って買いましたが、焼き餅みたいで、とてもおいしくいただきました。
あれ、美術館はどうなっているんだろう。
また、明日書きますかね。もう本読んで寝ます。何ということなのかなあ。