(残念ながら、この最上川の写真は借りものです。いつか、自分で行きたいです。)
最上川に行こうと思います。私は、2019年の夏、酒田から瀬見温泉(新庄市)に向かった時に、突然に山が迫ってきて、今までは広大な庄内平野を走っていたのに、山とその山を切り裂く最上川に出会いました。クルマで走りながら見下ろす最上川は水量が豊かで、たぶん、熊野川よりも深くて流れは速いような感じでした。
今まで、そんな川をどれくらい見たのかなあ。静岡の新幹線で見る川たちは、みな一瞬だし、川に沿って走るルートはありませんでしたね。天竜川も大井川も安倍川も富士川も、みんな大きな川なのに、川に沿って走ったことはなかった。身延線に乗ったり、大井川鉄道に乗れば、川を感じることはできたのかなあ。また、いつか乗りたいですね。
最上川は、川に沿った鉄道はないようで、道路はありました。私はそこをチョコっと通してもらった。
風車は庄内平野で、山の迫った最上川と、新庄の町。その南に尾花沢はあったみたいで、こちらに芭蕉さんたちはしばらく滞在したようでした。いよいよ最上川下りに挑戦します。
最上川のらんと、大石田(おおいしだ)といふ所に日和(ひより)を待つ。
最上川を舟で下ろうと、大石田という所で天気の良くなるのを待つことになりました。
ここに古き俳諧(はいかい)の種こぼれて、忘れぬ花の昔をしたひ、芦角一声(ろかくいっせい)の心をやはらげ、この道にさぐり足して、新古ふた道に踏みまよふといへども、道しるべする人しなければと、わりなき一巻(ひとまき)残しぬ。このたびの風流ここに至れり。
この土地にふとした縁から古風の俳諧が伝わり、それがもとになって現在でも昔に伝わった俳句のスタイルを忘れないで、芦笛や角笛などの田舎風の習慣を持つ人々の心を俳諧によって風流に導き、まるで暗い夜にさぐり足をしながら歩くような調子で、俳諧の古風と新風のいずれに進もうかと迷っている人たちが、ちゃんとした指導をしてくれる人がいないので、とにかく芭蕉さんお願いしますと依頼されて、やむにやまれず巻いた一巻の連句を残すことになりました。福島の須賀川の歌仙に始まる今度のみちのくの旅の風流は、この素朴で熱心な人々の集まりにおいてきわまった、というところでしょうか。
最上川はみちのくより出(い)でて、山形を水上(みなかみ)とす。碁点(ごてん)・隼(はやぶさ)などいふおそろしき難所(なんじょ)あり。板敷山(いたじきやま)の北を流れて、果ては酒田の海に入る。
最上川は陸奥(みちのく)に源を発し、山形領を川上としています。碁点・隼などという恐ろしい難所もあります。歌枕で知られた板敷山の北を流れて、しまいには酒田の海にそそぐということです。
隼と呼ばれる川のポイントがあるのであれば、それは恐ろしいですけど、碁点というのは、どのようなポイントだったんでしょう。浅瀬にでもなっているのかもしれないな。
左右山覆(おお)ひ、茂みの中に船を下す。これに稲つみたるをや、稲船(いなぶね)といふならし。
左右には山が覆いかぶさるように迫り、樹木の茂みの中に舟を漕ぎ出しました。この舟に稲を積んだのを、古歌では稲舟という風に取り上げたものがあったようです。それくらいにコメどころとして知られていたのですね。
白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎつて舟あやうし。
白糸の滝は青葉の間のあちらこちらに落ちていて、仙人堂は川岸に臨んで立っています。水は満々とみなぎり流れて、舟はいまにも転覆しそうでした。
五月雨をあつめて早し最上川
近ごろずっと雨が続いています。それは梅雨時だから仕方のないことですけれど、このみちのくで有名な最上川は、それらの雨水をすべて受け入れて、ものすごい速さとなって流れています。
★ 芭蕉さん、中七を「あつめてすずし」から「あつめてはやし」に変更したそうです。何がすごいって、風景描写から川舟に乗っている人たちの運命も一つかみにしてしまいました。こんな荒業ができるのが俳句のすごさでした。こんな雄大な風景をごっそり詰め込む技があるんですね。