[これ、3/7の昨日書いたんですけど、下書きのまま提出したので2月のどこかに埋もれておりました。失礼しました。]
実は、月山に早く行きたいと気持ちは焦っていました。でも、なかなか行けなくて、自分の中でもモヤモヤしていました。とりあえず、その手前まではいこうと思います。
芭蕉さんは、羽黒山のお参りするところの少し南のお寺に泊めてもらっています。ちゃんと関係する人つながりでお山に入りました。この南谷をベースに出羽三山を巡り、それから北に向かって、象潟まで行かなくてはならないんです。そこがこの旅の二番目のピークでした。
一つ目は、平泉でした。有名な作品も作りましたもんね。
月山・湯殿(ゆどの)を合はせて三山とす。当寺、武江東叡(ぶこうとうえい)に属して、天台止観(てんだいしかん)の月明らかに、円頓融通(えんどんゆづう)の法(のり)の灯(ともしび)かかげそひて、
この羽黒山に、月山・湯殿山を合わせて出羽三山と呼ばれています。このお寺は、武蔵の国江戸の東叡山に所属して、天台宗の行法たる止観の観法は月のくもりなきがごどく明らかに輝き、円頓融通を教義とする天台の法統をいよいよ盛んに継承して、
上野の寛永寺が「東叡山」というのは知りませんでした。天台宗だったんですね。「天台止観」とは、根本の行だそうですが、何をするんだろう。無になるのかな。「円頓」とは、「円満頓悟」の略だそうで、サトリを素早く身につけるんですね。「融通」は「融通無碍」のことだそうで、さまざまな理論・理屈を自在に操るということなんでしょうか。
そんな、理屈臭いことを言うんでしょうか。イマイチわからないなあ。芭蕉さんは、仏教に詳しいんだろうか。だれか種本を貸してもらったりしたのか、にわか勉強なのか。そう、お寺のお坊さんにあれこれ教わったというところかな。
僧坊棟を並べ、修験行法(しゅげんぎょうほう)を励まし、霊山霊地の験効(けんこう)、人貴(とうと)び且(かつ)恐る。
僧房が棟を並べて建ちつらなり、修験道の行法をいっそうはげしく勤めて、その霊山霊地としての霊験効力は、人々が尊び、かつ畏れるところです。
繁栄(はんえい)長(とこしなえ)にして、めでたき御山(おやま)と謂(い)つつべし。
繁栄は永久に続くべく、まことに立派なお山というべきである。
出羽三山は、今では三つの神社があることになっているけれど、芭蕉さんの頃は、お寺と神社が混然一体となった宗教空間でした。
だからこそ、この山のあちらこちらには自らも極楽へ行くため、即身成仏をめざした僧侶たちのミイラがたくさんあったはずです。みんな仏教的な高みをめざしてこのお山に入りました。
今では、単なる観光地であり、参拝する神社になってしまったけれど、かつてはそこで生活し、修行し、悟りを開いたり、自らをホトケにする考えられない宗教活動が行われていました。
今の観点で見るから、愚かしいことに見えるかもしれないけれど、お坊さんたちはまわりにいる人たちの平安としあわせを祈り、無謀とも思える行動に出ました。
そして、人々は自分にはできないことをしてくれた人たちとして、敬ったことでしょう。そんな宗教空間に芭蕉さんは入り込んでしまった。
だから、わけのわからない漢字を並べて、私たちを混乱させようとしていますけど、芭蕉さんも聞き書きだったんでしょう。とにかく、そういうところとして紹介した。
羽黒山は、「お寺」だと芭蕉さん紹介されています。今は、全くそういうものは排除されていることでしょう。
地図も借りてきたんですけど、イマイチ全体像が見えてきません。でも、次はいよいよ月山です。
私は、ここでの芭蕉さんの句は、もう理屈じゃなくて、ずっと惹かれています。そちらに行ってみましょう!