福祉のお仕事をしている若い人と話をする機会がありました。その人が持っていた本は「昭和時代」というタイトルで、これからお年寄りを相手にするので、わからない時代のこととはいえ、ひととおりのことを知っておかなくてはいけないということで、勉強している、ということでした。
そして、1970年のページには、日本万国博覧会、太陽の塔などの写真がでかでかと載っていて、「こういうのがあったのですね」と過去形で語っていました。
私たちにとって、太陽の塔は象徴的な存在です。そして、今も千里の万博公園に行けば、すっくと立っている姿を望むことができます。足もとまで行けるかどうかわかりませんが、近々内部を限定的に公開できるようにしていくということだったので、40数年ぶりに内部に入れる機会がもしめぐってきたら、喜んで参加したいと思うくらい好きな存在です。過去形ではなく、現在進行形であり、私たちとともに存在していく不滅の塔なのです。
あと数十年が経過して、私たちの世代がいなくなっても、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂のように立ち続けてほしい存在ですし、たぶん大丈夫ではないかと思っています。
そこで、気になったことは、もうすぐ私たちの世代の人々が、
「おじいちゃん、万博好きやったの?」とあやされたり、
「太陽の塔って、すてきな顔をしてるね」とくすぐられたりするのだなと思ったのです。
これは確実に何年後かにやってくる事態です。
そして、私たちは「そうやねん。めちゃくちゃ暑かったけど、何度も行ったんやで」とか、
「ボクはね、三菱未来館が好きやってん。好きやから、ここには2時間以上並んで2回も入ってんで」
とか、そんな話を聞いてもらって、時間を過ごしていくのでしょうか。
いくら話しても、相手が共感してくれないし、あの熱狂を伝えることができないのだなと思うと、心を閉ざすかもしれませんね。将来の私が一瞬見えたような気がしました。私の老後もあまり明るく見えません。
友だちも少ないし、あまり話すこともないし、私自身の思い出話も、ポカンとしたもので、何もないような気がします。
そうです。思い出話をしてもダメ! もっと今を生きなくてはいけません。……そう思いました。
別のことも考えました。今の20代の人たちに太陽の塔のようなものってあるんだろうかと、ひょっとして何もないのではないかと思ったのです。
三重県にはありそうにない感じです。名古屋なら、駅前のビル群でしょうか。どれも印象薄いし、シンボルではないですね。大阪のハルカスは太陽の塔になれるでしょうか。なれないですね。京都は、京都タワーとか、京都駅とか、それぞれの年代の人にはシンボルになれるでしょうか。なれそうな気がします。
神戸は、ポートタワーはある年代の人たちにはなれるかもしれない。でも、今の神戸の若い人には、何があるのでしょう? 明石大橋かな? とにかく、建造物が、それを見上げた人々の心に強く残ることってあるような気がします。私は、小学生の時に見た太陽の塔にあこがれ続け、今に至っています。
そして、今の若い人たちには、それがないかもしれないと、少しかわいそうな気持ちになりました。みんな何かを見上げたいのに、対象物はたくさんあるけれど、そういう気持ちを受け止めてくれるモノがないような気がするのです。
建築家の人も、商売ばかり考えないで、若い人の気持ちを受け止めてくれるモノを作って欲しいです。
★ ナゴヤの駅前のビル群も、若い人には懐かしいような、ホッとするようなものになっているようです。そういうため息みたいなのをこの夏聞いたような気がします。ああ、そうなんだ。若い人たちは、このビル群に郷愁みたいなものを感じているのだと、少し驚いたくらいです。
いろんなものが、若い人には郷愁を起こさせ、そこでの日々を想起させるらしいです。そりゃ、思い出の場所は人それぞれでいいんですね。だから、何だっていいわけです。松阪なら三交デパート、伊勢なら……? 津ならチャムとか、駅前デパートしか思い出せないですね。いろんな人に聞いて回らないとダメですかね。
そして、1970年のページには、日本万国博覧会、太陽の塔などの写真がでかでかと載っていて、「こういうのがあったのですね」と過去形で語っていました。
私たちにとって、太陽の塔は象徴的な存在です。そして、今も千里の万博公園に行けば、すっくと立っている姿を望むことができます。足もとまで行けるかどうかわかりませんが、近々内部を限定的に公開できるようにしていくということだったので、40数年ぶりに内部に入れる機会がもしめぐってきたら、喜んで参加したいと思うくらい好きな存在です。過去形ではなく、現在進行形であり、私たちとともに存在していく不滅の塔なのです。
あと数十年が経過して、私たちの世代がいなくなっても、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂のように立ち続けてほしい存在ですし、たぶん大丈夫ではないかと思っています。
そこで、気になったことは、もうすぐ私たちの世代の人々が、
「おじいちゃん、万博好きやったの?」とあやされたり、
「太陽の塔って、すてきな顔をしてるね」とくすぐられたりするのだなと思ったのです。
これは確実に何年後かにやってくる事態です。
そして、私たちは「そうやねん。めちゃくちゃ暑かったけど、何度も行ったんやで」とか、
「ボクはね、三菱未来館が好きやってん。好きやから、ここには2時間以上並んで2回も入ってんで」
とか、そんな話を聞いてもらって、時間を過ごしていくのでしょうか。
いくら話しても、相手が共感してくれないし、あの熱狂を伝えることができないのだなと思うと、心を閉ざすかもしれませんね。将来の私が一瞬見えたような気がしました。私の老後もあまり明るく見えません。
友だちも少ないし、あまり話すこともないし、私自身の思い出話も、ポカンとしたもので、何もないような気がします。
そうです。思い出話をしてもダメ! もっと今を生きなくてはいけません。……そう思いました。
別のことも考えました。今の20代の人たちに太陽の塔のようなものってあるんだろうかと、ひょっとして何もないのではないかと思ったのです。
三重県にはありそうにない感じです。名古屋なら、駅前のビル群でしょうか。どれも印象薄いし、シンボルではないですね。大阪のハルカスは太陽の塔になれるでしょうか。なれないですね。京都は、京都タワーとか、京都駅とか、それぞれの年代の人にはシンボルになれるでしょうか。なれそうな気がします。
神戸は、ポートタワーはある年代の人たちにはなれるかもしれない。でも、今の神戸の若い人には、何があるのでしょう? 明石大橋かな? とにかく、建造物が、それを見上げた人々の心に強く残ることってあるような気がします。私は、小学生の時に見た太陽の塔にあこがれ続け、今に至っています。
そして、今の若い人たちには、それがないかもしれないと、少しかわいそうな気持ちになりました。みんな何かを見上げたいのに、対象物はたくさんあるけれど、そういう気持ちを受け止めてくれるモノがないような気がするのです。
建築家の人も、商売ばかり考えないで、若い人の気持ちを受け止めてくれるモノを作って欲しいです。
★ ナゴヤの駅前のビル群も、若い人には懐かしいような、ホッとするようなものになっているようです。そういうため息みたいなのをこの夏聞いたような気がします。ああ、そうなんだ。若い人たちは、このビル群に郷愁みたいなものを感じているのだと、少し驚いたくらいです。
いろんなものが、若い人には郷愁を起こさせ、そこでの日々を想起させるらしいです。そりゃ、思い出の場所は人それぞれでいいんですね。だから、何だっていいわけです。松阪なら三交デパート、伊勢なら……? 津ならチャムとか、駅前デパートしか思い出せないですね。いろんな人に聞いて回らないとダメですかね。