日曜日、実家からの帰りに、大仏殿に行く気満々だったのが、突然の進路変更で、国立博物館と春日大社になりました。古本屋さんはサラッと見る程度で、興福寺に、東大寺にも、奈良町散策も何もしなかった。
時間がないということもあるけれど、夏の旅はそんなにどん欲にはなれなくて、行けるところにしっかりと行って、しみじみ味わうというところだったのかな。
奈良公園のシカとお客さんたちの大騒ぎはもういい感じでした。満腹感がいっぱいでした。おそらく、日本のみなさんは、夏の奈良公園なんて行かないのです。暑いし、シカはだらだらだし、木陰はあるけれど、水はあまりないし、川もないし、あるのは猿沢の池と、他にはないのです。
だから、日本人はあまり夏の奈良公園には行かない。昔の夏の奈良は、ガラガラだったような気がするんです。でも、今の奈良公園は、ものすごい人で、駅のコインロッカーはたいてい使用中だし、新しいお土産のブランド大仏プリンは大繁盛だし、東向商店街も、もちいどの商店街も、お餅のパフォーマンスのお店も、たくさんの観光客がいました。
ひょっとしてみんな中国の人だったのかもしれません。あれ、この人はおしゃれで、カッコイ人だし、所帯疲れしていないし、日本人かなと思ってたら、中国語をしゃべってたり、もうだれがだれなのかわからなくなりそうでした。
というか、観光客の七割くらいは中国の人だったのかもしれない。
そんな中で、国立博物館で「源信」さんによる地獄と極楽を見て、ついでに仏像館で、国立博物館に保管されているあちらこちらの仏像さんを見てきました。
ある程度満足して、それでもそんなに地獄・極楽感はなくて、すべて絵に描かれたフィクションの世界として味わってきたんでした。とても、私には地獄・極楽などの世界が信じられなくて、ただおもしろいことを想像して、イメージが豊かなんだなと感心したくらいでした。
前にも書いたかもしれないけど、天女・天人たちの世界が描かれた中で、その世界の殿堂を前にしてくたびれている天人さんが描かれた掛け軸、これはおもしろいなと思いました。
でも、絵も少し歳月が経過したせいか、はっきりとは見えなくて、くすんだ世界の中でくたびれていて、それも味があるなあと思った次第です。
さて、あとは春日大社へまっしぐらで、寄り道なし。トイレさえ行かないし、シカとたわむれる人々は一切無視して、ずんずんとお宮に行きます。
巫女さんは、独特の髪飾りを着けていて、一度この写真を撮りたいと思っているんですけど、簡単に声を掛けられないし、そんな気軽にお願いするものでもないし、何だか失礼だし、借り物の写真ですけど、巫女さんもみんな魅力的です。専門的な雰囲気がプンプンします。
永久就職したわけではないだろうけど、何だか春日大社の巫女さんは特別な感じです。伊勢神宮なんて、巫女さんっていましたっけ? 全然印象がないくらい、伊勢神宮は男の世界という気がします。でも、春日大社は女の世界みたいな感じ。男の人もいるんだろうけど、女性がみんな華やかなのです。
特別拝観ということで、本殿の近くまで行かせてもらい、直江兼続さん寄進の灯籠とか、徳川綱吉さんの灯籠とか、お参りとかさせてもらいました。それで、カーテンで仕切られている建物に入ってみると、まっくらな中で灯籠はどんなふうに光るかを実演したコーナーまであって、まるで春日大社でお化け屋敷気分も味わいます。少し不謹慎かな。
ずっと中国の若い2人の女の子と一緒で、最初はかわいらしい子たちだと思ってましたが、彼女たちまで中国の人なのかと、少しショックでした。日本の若い女の子は、夏の盛りに奈良見物などしない。もっと他の所に行くだろうし、この子たちくらいの子ならば、就活やら婚活やら、何か活動しないといられない。余裕がないのだろうと思われます。
日本で余裕のあるのは中高年だけかな。困りました。
大きな藤のアーチを抜けて、私はおうちに帰ってきたんでした。
時間がないということもあるけれど、夏の旅はそんなにどん欲にはなれなくて、行けるところにしっかりと行って、しみじみ味わうというところだったのかな。
奈良公園のシカとお客さんたちの大騒ぎはもういい感じでした。満腹感がいっぱいでした。おそらく、日本のみなさんは、夏の奈良公園なんて行かないのです。暑いし、シカはだらだらだし、木陰はあるけれど、水はあまりないし、川もないし、あるのは猿沢の池と、他にはないのです。
だから、日本人はあまり夏の奈良公園には行かない。昔の夏の奈良は、ガラガラだったような気がするんです。でも、今の奈良公園は、ものすごい人で、駅のコインロッカーはたいてい使用中だし、新しいお土産のブランド大仏プリンは大繁盛だし、東向商店街も、もちいどの商店街も、お餅のパフォーマンスのお店も、たくさんの観光客がいました。
ひょっとしてみんな中国の人だったのかもしれません。あれ、この人はおしゃれで、カッコイ人だし、所帯疲れしていないし、日本人かなと思ってたら、中国語をしゃべってたり、もうだれがだれなのかわからなくなりそうでした。
というか、観光客の七割くらいは中国の人だったのかもしれない。
そんな中で、国立博物館で「源信」さんによる地獄と極楽を見て、ついでに仏像館で、国立博物館に保管されているあちらこちらの仏像さんを見てきました。
ある程度満足して、それでもそんなに地獄・極楽感はなくて、すべて絵に描かれたフィクションの世界として味わってきたんでした。とても、私には地獄・極楽などの世界が信じられなくて、ただおもしろいことを想像して、イメージが豊かなんだなと感心したくらいでした。
前にも書いたかもしれないけど、天女・天人たちの世界が描かれた中で、その世界の殿堂を前にしてくたびれている天人さんが描かれた掛け軸、これはおもしろいなと思いました。
でも、絵も少し歳月が経過したせいか、はっきりとは見えなくて、くすんだ世界の中でくたびれていて、それも味があるなあと思った次第です。
さて、あとは春日大社へまっしぐらで、寄り道なし。トイレさえ行かないし、シカとたわむれる人々は一切無視して、ずんずんとお宮に行きます。
巫女さんは、独特の髪飾りを着けていて、一度この写真を撮りたいと思っているんですけど、簡単に声を掛けられないし、そんな気軽にお願いするものでもないし、何だか失礼だし、借り物の写真ですけど、巫女さんもみんな魅力的です。専門的な雰囲気がプンプンします。
永久就職したわけではないだろうけど、何だか春日大社の巫女さんは特別な感じです。伊勢神宮なんて、巫女さんっていましたっけ? 全然印象がないくらい、伊勢神宮は男の世界という気がします。でも、春日大社は女の世界みたいな感じ。男の人もいるんだろうけど、女性がみんな華やかなのです。
特別拝観ということで、本殿の近くまで行かせてもらい、直江兼続さん寄進の灯籠とか、徳川綱吉さんの灯籠とか、お参りとかさせてもらいました。それで、カーテンで仕切られている建物に入ってみると、まっくらな中で灯籠はどんなふうに光るかを実演したコーナーまであって、まるで春日大社でお化け屋敷気分も味わいます。少し不謹慎かな。
ずっと中国の若い2人の女の子と一緒で、最初はかわいらしい子たちだと思ってましたが、彼女たちまで中国の人なのかと、少しショックでした。日本の若い女の子は、夏の盛りに奈良見物などしない。もっと他の所に行くだろうし、この子たちくらいの子ならば、就活やら婚活やら、何か活動しないといられない。余裕がないのだろうと思われます。
日本で余裕のあるのは中高年だけかな。困りました。
大きな藤のアーチを抜けて、私はおうちに帰ってきたんでした。