尾鷲市と熊野市との間は、つい最近まで(2011年だったか、2012年だったかまで)クルマでは大変な山道をたどらねばなりませんでした。よその人たちから見たら、熊野からオワセなんて、すぐ隣り町じゃないの? というところだし、地図でもそう見えます。ただ、峠を二つ越えなきゃいけなかった。
(クルマでも、長い坂を上り、険しい山を横目に長いトンネルを二つくらい通らねばなりませんでした。目もくらむような高い橋もいくつかでした)、
二つの町をつなぐ走行距離は20何キロというところで、平地であれば朝の通勤でも40分くらいでしょうか。でも、ついこの間まで(自動車専用道路ができるまで)は、相当の覚悟を持って峠越えに向かっていました。住んでる人たちには、相当の負担があったと思います。幸いみんな慎重に走るから、大きな事故など聞いたことはなかったけれど、それなりにあったのでしょうか。
熊野市から長い坂を上って行くと、小坂峠というところがあって、そこまでたどり着くと、長い高地をぬっていく道があって、そこを十数分真面目にたどると、いよいよ山が見えてきて、この巨大な山壁を抜けないと、尾鷲には降りられないのだと言い聞かせて、峠道を抜けることになります。
現代でも相当の覚悟が必要でしたが、ここの旧道というのは、これまたすごいところで、現在の国道42号線のところどころに、ここから旧道に入るのだよというポイントはありましたが、とてもそんなところに入っていける気がしませんでした。
それなのに、1959年の7月までその細い道をバスが走っていたというのです。一度だけ友人に連れられて、この旧道を尾鷲側から入って、峠までたどり着けたことがあったんですが、そこから熊野市側はもう道が通じていないといわれていて、あれから何十年経過したんだろう。30年ほどは普通のままかもしれません。さて、ここを一度通った映画監督さんがいたというのです。
2023.9.28年の朝日新聞から抜き出してみます。
(映画監督の小津安二郎さんの日記の)1959年の6月10日の日付にはこんな短い記述がある。
あれ模様の雨となる。
新宮7:58 →木本(熊野市市街地)8:34 国鉄バス9:00 天の川峠を越へて尾鷲11:40着 駅前にて少憩 13:04発 松阪15:54着 和田金にゆく
川端さん(熊野古道センターの元センター長)によると、この「天の川峠」は小津の書き間違いで、熊野市と尾鷲市の間にある「矢の川峠(やのことうげ)」のことだという。
この時の小津安二郎さんは、映画「浮草」(1959)の取材で、6月の7日に横浜を出て、大阪から新宮を経て、この10日の矢ノ川越えになったということらしいです。
松阪に着いたら、そのまま牛スキでおなじみの和田金というお店に入ったのだから、さすが世界的な監督さんは、行動して食べてたらしいのです。そのあとには志摩市の方にも出かけたというから、小津さんは故郷の三重県を大事にしながら映画の世界で輝いていたらしいのです。
続きは、また明日にでも書こうと思います。