大晦日です。お昼過ぎには実家に行きます。17時にはたどり着くかな。
それで、年末大掃除ということで、昔の原稿を発掘してきました!
こんな詩です。詩かな。作文かな。44年ぶりにカムバックです!
坊の津の町
人は住めないのに、住んでいた。
風も吹いていないのに、波立っていた。
そういうわけで、陸の果て
へんてこりんで、へんぴなところに
観光船は奇観を縫って走っている。
崖は、陸の最後の砦なのに、
海と妙に仲がいい。
遠くの島がかすかに見えるが、
ここの人たちと関わりなし。
さいはての荒れくるう海は、人をおびえさせる。
とてもじゃないが、観光船じゃあ走れない。
漁船は入り江の外へ行くだろう。
そして坊の津の人々の生活がつづく。
何もなく、へんぴな入り江にへばりついて、
人は歴史をここに刻む。
そして、波の音にまぎれて歌をうたった。
それはさびしい。大洋の真っただ中に一人でいるみたいな歌。
海に呑まれるまいと必死の覚悟で
陸にへばりついていた。
波の音はいつも辛くて、
でも楽しさもあって、
波たちはお話しながら坊の津を包んでいる。[1975.9.15?]
ああ、表面的なことしか書けていません。そのころ、こちらを親戚のお兄さんのクルマで通り抜けて、かなり印象には残ったんだと思われます。
こんなところにも人は住んでいるのか、ここは昔、薩摩藩が密貿易を進めた秘密の港であり、遣唐使でも使われた港であったのかとか、人の暮らしのすごさを少しだけ感じた場所でした。
好きだった作家の梅崎春生さんが「幻化」でも描いてました。主人公が戦争の後、精神を病んで入院していたのを、突然逃げ出して、戦中に自分がいた場所を訪ねる物語でした。主人公の仲間が、湾の入口にある巨大な岩のところまで酔っぱらって泳いで死んでしまう、そういうエピソードもありました。
また、うちの奥さんのお父さんは、このあたりの島に待機させられて、いつ死んでしまうのか分からない自分というのを感じていたそうでした。そのあと、終戦を迎えるのですが、岩手まで帰る道のりで、広島を見たり、いくつもの戦争の傷跡を旅したということでした。
それは、彼女と付き合って、お父さんが亡くなられて、少しずつ教わったことでした。
そんなこんなの海でした。だから、こんな旅した感想文の詩みたいなものでは、話にならないけど、2020年に向かう自分を見直して、そこから何か生み出せるように、とりあえず貼り付けます。ずっと海の話を書いてますよ!