甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宗教とは石のことか……?

2016年03月09日 21時36分22秒 | 海と水辺と船と

 日本の小説家の堀田善衛(ほったよしえ)さんは、晩年、スペインに住み着いて、そこでの体験やそこで取材したことを作品に書かれていました。

 今年の1月末、たまたま古書市で見つけて、1ヶ月半かかってやっと読み切って、その最後のところでおもしろい一節に出会うことができました。

 おれは家を出て、シチリア島をくまなく歩いてみようと思い立った。そのときはじめて、シチリアがおれの故郷だった、と思ったのだ。何しろ片足はなくなったが、それで塩田労働者には戻らずにすむし、従って一生失明をすることもあるまい、と思われたから、目が見えているあいだに、見るべきものは見ておきたい、と思ったのだ。

 君はシチリアへ行ったことがないそうだから、地名をあげて言うことはすまい。とにかくロバを一匹買って、島じゅうをまわってみて、おれは有史以来の遺跡の多いことに、つくづく呆(あき)れたものだ。

  ギリシャ、フェニキヤ、ローマ、ノルマン、アラゴン、宗教で言うとすれば、ギリシャの宗教に、ローマの宗教、それからキリスト教にイスラム教等々が、そこらじゅうに石を積み上げた。時には一つ所にこいつら全部が、石の積み上げごっこをしていたところさえあった。宗教とは石のことか、とさえおれは思いかけたよ。


 堀田さんがバルセローナで出会った老人は、75歳くらいで、毛のふさふさした犬を連れていたそうです。スペインで出会ったのだけれど、老人と仲良くなって話をするようになると、どうやら彼はイタリアのシチリア島出身だというのです。

 シチリアの人が、どうしてバルセロナに住み、犬と一緒に暮らしているようだけど、どういういきさつがあったのか、少し知りたくなったのです。それで少しずつ仲良くなって、あれこれと話をするようになり、この引用部分は、最後の方に彼からまとまって聞いた話になります。

 どうして、老人はスペインに住んでいるのか?

 スペインから帰るまでは、他のシチリアの連中と同じく、そんなものはおれたちと何の関係もないものだ、と思って来たのだ。けれども今度は、一つ一つそういう古跡を見てまわって……何しろロバと松葉杖でだから、ゆっくりとしかまわれないのだ……、考えが変わったと思った。

 はじめは、いろいろな神やら宗教やらがごたまぜになって来て、それはもう糸がもつれにもつれて、どこが糸口だったのかさえもわからぬようになってしまった。それでそのときは、こういう大混乱混沌(カオス)こそが人間なのだと思うことにした。シチリアには“カオス”という名の町さえあるんだぜ。

 カオスは、神による天地創造以前の状態のことを言うことは、君の方が先刻ご承知だろう。けれども、しばらくして、そういう遺跡に慣れてきて、一目でどれがギリシャ、ローマ、フェニキヤ、あるいはカルタゴのものかとということがわかってきた頃には、石がただの石ではなくなって来て、人間だけでは頼りないと思うに至った人間の手で、彼らの望んだ世界を表現しようとしたものだ、ということがわかって来た。

 現実そのものではなくて、彼らがかくあって欲しいと望んだ世界を……。青い空も、残酷な白昼の光線も、夕陽もが、その世界の表現に協力しているのだ、ということもわかって来た。それならば……、とね。

 しかし、こんなことの表現も、おそらく君の仕事の領域のはずだ。わかってくれるか。

  それで、おれには、生きる希望が帰って来た、と思ったのだ。逆向けに、だ。そのときからおれには、後ろ向きに、背中で生きることにした。人間の歴史が、いかに愚劣きわまりない愚行の歴史だとしても、人間は人間でしかありえないのだ。

 老人は、スペイン内乱に参加した兵士でした。自由軍ではなくて、フランコ側の兵士でした。フランコをサポートしたのは、ヒトラーであり、ムッソリーニなどの独裁者でした。

 老人は、家業が塩田労働で、あまりに強烈な太陽光線の下で働くので、年を取るとみんなが失明したそうで、自分もいつか失明する老後がやってくるものと思っていました。そこへたまたま兵士の募集があり、参加したら、すぐに負傷して、片足が義足になってしまった。

 失明はしなくて済んだかもしれないけれど、兵士としての年金をもらえる立場にはなったけれど、片足を失ってこれからどう生きていくのかわからなくなったというのです。

 そこで、シチリア島を2ヶ月歩いてみた、ロバを連れて。そして、悟ったというのです。人間の歴史も世界もずっと混沌が続いていて、愚かなことの繰り返しがつづいている。何も前向きに生きるだけが人生じゃなくて、何にもしない後ろ向きの人生というのがあるんじゃないのと気づいたというのでした。



 島じゅうを二タ月ほどかけて、ぐるりとまわってマルサーラの町へ帰ってきたら、ファッシスト党の秘書がやって来て、おれに勲章(メダル)をくれると言った。おれは黙ってもらっておいた。その勲章(メダル)と年金は不可分なものだと言うのだ。それからしばらくして、国家公務員の職を、同じ秘書がさがして来てくれた。といっても、パレルモの税関の夜警の仕事だった。

 国家公務員のお仕事をしながら、やがてムッソリーニがつるしあげられるのを確認し、そういうものだと確信し、ふたたび片足を失ったスペインにやってきて、あちらこちら歩いて生活しているというのです。

 この出会いが、堀田さんには忘れられず、ペンを執ったということになっています。実話なのか、創作なのか、どういう取材をしたのか、それは全くわからないけれど、ヨーロッパの人たちが歴史を背負いながら、流れの中でもみくちゃにされつつ生きていく様子がチラッと見られた気がしました。

 だから、どうなんだというものはないのですが、堀田さんがスペインで定点観測をしたくなった理由はわかる気がします。私も、語学ができたなら、イタリアでも、スペインでも、ドイツでも、住んでみたいです。でも、私なんかが行っても、だれも相手にしてくれないですからね。それが残念です。



★ 本当は、語学力がカベなんじゃなくて、もともと壁を感じていて、それを乗り越える勇気がないだけなんでしょう。そりゃ、オッサンですからね。簡単にホイホイ行けるわけではないのです。少しザンネン。(2019.8.23)


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