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宣長さんの「菅笠日記」の旅に出てみましょう! 宣長さん42歳の旅です。
ことし明和(みょうわ)の9年(安永元年・1772)といふとし。いかなるよき年にかあるらむ。よき人のよく見て。よしといひおきける。吉野の花見にと思ひたつ。
今年、明和の9年、どんないいことがあるのだろう。昔、万葉集で歌われていた「よき人の吉野の山」、そこへ花見に行こうというのを決めたのです!
【萬葉一に よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見つ】
改めて抜き出してみますと、万葉集第一巻には、「ステキな人がなかなかいいなあとじっと見て、「よし!」と言った吉野のお山、そこをちゃんと見てくださいよ。ステキな人はみんなしっかり見てるんだから。」という「よしよし」尽くしの歌がありましたよ。
そもそもこの山分衣のあらましは。廿年(はたとせ)ばかりにも成りぬるを。春ごとにさはりのみして。いたづらに心のうちにふりにしを。
そもそもこの山へのあこがれは、もう二十年くらいになるけれど、春になると、いつも雑用ができて、行きたい気持ちだけがむやみにあって、あっという間にいくつもの歳月が過ぎてしまっているのです。
さのみやはと。あながちに思ひおこして。出たつになん有ける。さるは何ばかり久しかるべき旅にもあらねば。そのいそぎとて。ことにするわざもなけれど。心はいそがはし。明日(あす)たゝんとての日は。まだつとめてより。麻(ぬさ)きざみそゝくりなど。いとまもなし。その袋にかきつけける歌。
いつまでもこんな状態でいいものではなくて、絶対に行くと決めたので、旅立つことにしましたよ。準備として特に何を用意するでもないのですけど、心は何だか落ち着かないのです。明日出発ということにして、早朝より旅の安全を祈る供え物を作るなどして忙しかったです。その袋に歌を書き付けました。
うけよ猶(なお)花の錦(にしき)にあく神も心くだしき春のたむけは。
さあ、春の旅の手向けをするから、それを受けることにしよう! 桜の花の美しさにうっとりしている神様が私を祝福してくれているのだから。
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ころは三月(やよい)のはじめ。五日の暁。まだよをこめて立ち出でける。市場の庄(いちばのしょう)などいふわたりにて。夜は明けはてにけり。さてゆく道は。三渡(みわた)りの橋のもとより。左にわかれて。川のそひをやゝのぼりて。板橋をわたる。
三月・弥生の五日の早朝、いよいよ出発をします! 松坂から歩いて市場庄というあたりで夜が明けてきました。三渡川を越えて、まっすぐ北に向かうと東海道の方に出てしまうのですけど、川に沿って上っていくと板橋があって、そこを渡ります。
三月・弥生の五日の早朝、いよいよ出発をします! 松坂から歩いて市場庄というあたりで夜が明けてきました。三渡川を越えて、まっすぐ北に向かうと東海道の方に出てしまうのですけど、川に沿って上っていくと板橋があって、そこを渡ります。
このわたり迄(まで)は。事にふれつゝ。をりをり物する所なれば。めづらしげもなきを。このわかれゆくかたは。阿保(あお)ごえとかやいひて。伊賀(いが)の国をへて。はつせにいづる道になん有りける。
このあたりには、何か用事があったりすると訪れることはあり、それほど珍しいということもない。さらに西に向かっていくと、阿保越え(青山峠を越える)ということで、伊賀の国から長谷寺につながる道になっている。
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この道も。むかし一度(ひとたび)二度(ふたたび)は物せしかど。年へにければ。みなわすれて。今はじめたらんやうに。いとめづらしく覚ゆるを。よべより空うちくもりて。をりをり雨ふりつゝ。よものながめも。はればれしからず。
この初瀬街道も一度や二度は通ったことはあるのです。でも、それも昔のことで、みんな忘れてしまっています。まるで初めて歩いているような気分で、何となく珍しい感じがします。昨日の晩から空はくもっていて、時には雨も落ちてきます。旅の風景も晴れ晴れしいものではなくなっていて、
旅衣(たびごろも)の袖ぬれて。うちつけにかこちがほなるも。かつはをかし。津屋庄(つやじょう)といふ里を過ぎて。はるばると遠き野原を分け行きて。小川(おがわ)村にいたる。
旅の衣装も濡れてしまう。そうしたせいで恨めしそうな表情にもなってしまうんですが、そこはそれ、旅をしている味わいというものなんでしょうか。津屋庄という里を過ぎて、野原を分け入って進むと、小川村にたどりつきました。
雨ふればけふはを川の名にしおひてしみづながるゝ里の中道。
雨のせいなのか、今日は小川という名を持つきれいな水の流れる里を歩いているんです。
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この村をはなれて。みやこ川といふ川。せばきいた橋を渡りて。都(みやこ)の里あり。むかしいつきの宮の女房の。言の葉(ことのは)をのこせる。忘井(わすれい)といふ清水は。
小川村を出て、板橋を渡ると、都の里がある。昔、京の都から伊勢神宮への皇族代表として派遣された斎王(さいおう)のお姫様がおられて、そのお付きの女房のことばが残り、「忘れ井」という名所まであるそうです。
【千載集 旅に斎宮の甲斐 わかれゆく都の方のこひしきにいざむすび見んわすれ井の水】
そのことばというのは、千載集に載っていて、「はるばる都から遠ざかり、都の方角が恋しくて見上げてみると、さあ、忘れ井という水があって、その水をくんでみようかしら」という内容です。
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今その跡とて。かたをつくりて。石ぶみなど立ちたる所の。外にあんなれど。そはあらぬ所にて。まことのは。この里になんあると。近きころわがさと人の。たづねいでたる事あり。
今も「忘れ井」という石碑などがあるようですが、それは別の所にあって、本当はこの都の里にあると、うちの近所の人が探し歩いたということでしたが、
げにかの歌。千載集には。群行(ぐんこう)のときとしるされたれど。ふるき書(ふみ)を見るに。すべていつきのみこの京(みやこ)にかへりのぼらせ給ふとき。このわたりなる壹志(いちし)の頓宮(とんぐう)より。二道(ふたみち)に別れてなん。御供(おんとも)の女房(にょうぼう)たちはのぼりければ。わかれ行くみやこのかたとは。そのをり。この里の名によせてこそはよめりけめ。
千載集では都を離れて出て来たような感じで書かれているんですけど、文献などを探してみると、どうやら斎王さまが都に上る時の歌のようで、このあたりに二股に分かれる道があって、たまたま都という地名でもあったので、それにちなんで作った歌というようなことでした。
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なほさもと思ひよる事共おほかれば。年ごろゆかしくて。ふりはへても尋ね見まほしかりつるに。けふよきついでなれば。立ちよりてたづね見るに。まことに古き井あり。昔よりいみしきひでりにもかれずなどして。めでたきし水也(みずなり)とぞ。されどさせるふるき伝(つた)へごともなきよし。里人もいひ。又たしかにかのわすれ井なるべきさま共見えず。いとうたがはしくこそ。なほくはしくもとひきかまほしけれど。こたみ(此度)はゆくさきのいそがるれば。さて過ぎぬ。
ほかにもいろいろと調べてみたいことがあったので、一度都の里を訪れてみたいと思っていたが、今日たまたま立ち寄ってみると、確かに古い井戸があり、どんな日照りの時にも涸れないみごとな井戸のようだが、地元の人にも詳しいことを知る人がなく、なんとなくあやしくなってきて、もっと詳しい調査が必要な気がしたものの、旅を続けなくてはならないので、都の里はやり過ごしてしまった。
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