小説の中の人たちなので、漱石先生に運命の糸は握られています。彼らは、やがてすれちがったまま、どんどんそのズレが大きくなって、やがてはその命も失ってしまいます。
私は、どこかでこの登場人物たちが、漱石先生の作った設定を飛び越えて、お互いの交流を果たして、思わぬ和解へとつながらないものかと、いつも漱石の世界が崩れることを期待して読んでいたような気がします。
「こころ」においては、この房州への旅が1つのチャンスではなかったか。いやむしろ、もうこの時に2人は漱石世界を飛び越えて、お互いを理解し合い、いつかは2人とも命としては不自然なカタチで終わるような、そんな2人となっていたのではないか、そういうことを期待して読んでしまったりします。
二人は房州の鼻をまわって向う側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙(だま)されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるでわからなかったくらいです。私は冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮へ漬かりました。その後をまた強い日で照り付けられるのですから、身体が倦怠(だる)くてぐたぐたになりました。
こんな風ふうにして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急にひとの身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどが)えをしたような気分になるのです。
私は平生(へいぜい)の通りKと口を利きながら、どこかで平生の心持ちと離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中(りょちゅう)かぎりという特別な性質をおびる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。
その時の我々はあたかも道づれになった行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。
2人は、やみくもに千葉県をグルリと内房から外房へと歩き続けたそうです。なんというタフ、なんという無謀、なんというガムシャラでしょう。
ずっと歩き続け、適当なところで海に入り、人々と最低限の話をし、お互いはあまり意味のある会話をせず、ロードムービーのように、小事件を繰り返していった。
私に才能があれば、これをスピンオフ小説にしたいくらいです。でも、私自身が千葉県にあまり縁もないし、イメージもあまりないので、それは無理です。でも、なんだかおかしい2人です。デコボココンビだし、なかなかいい感じです。
まだ房州を離れない前、二人は小湊(こみなと)という所で、鯛の浦(たいのうら)を見物しました。もう年数もよほど経っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮(にちれん)の生まれた村だとかいう話でした。
日蓮の生まれた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられていたとかいう言い伝えになっているのです。それ以来村の漁
師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛がたくさんいるのです。我々は小舟をやとって、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
その時私はただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。
ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生まれた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍(がらん)でした。Kはその寺に行って住持(じゅうじ)に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装(なり)をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠(すげがさ)を買ってかぶっていました。着物はもとより双方とも垢(あか)じみた上に汗で臭くなっていました。
私は坊さんなどに会うのはよそうといいました。Kは強情だから聞きません。いやなら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。
ところが坊さんというものは案外丁寧なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKとだいぶ考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起こりませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。
Kという人は、私の中ではオールマイティの存在でしたが、このエピソードを聞かされると、かなり偏っていて、あまり自然や風景に興味を示さない人のようです。それはもう、生きることとは何か? 道のためにすべてを犠牲にして精進するのだ、というスローガンで生きている人だから、あまり広くいろんなことに目を向ける余裕がなかった人ではあります。
それくらい1つのことに集中できる……バカにならないと、学問は究めることはできませんし、昔の人はとても生き方として正直だったのでしょう。自分とは関係のないものごとにはなるべく目をつむり、ひたすら自分の求めるものに忠実であろうとしたのです。
だから、せっかくのチャンスもすべて投げ捨てて、ひたすら哲学的な内容を求めている。観光的な要素には無関心であろうとした。本当はKにもタイが海にうごめくところとか、漁師との会話とかを楽しみたい気分もあったのかもしれないのです。でも、正直だから、すべてに目をふさいでいたのです。
日蓮は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙(まず)いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々(うんぬん)し出しました。私は暑くてくたびれて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先でいい加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
たしかそのあくる晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いてめしを食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。
精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事がわだかまっていますから、彼の侮蔑(ぶべつ)に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。
核心は細部に宿るものであり、日蓮も実は草書の文字の中にあるのかもしれないのに、字が下手くそなKは、そちらに目を向けるどころか、それは関係のないことだと切り捨てていました。
ああ、こんなところに若さが見られる! 何だか微笑ましくなりました。漱石先生は、ちゃんと知っておられたのですね。Kくんをこうしたキャラとして設定している。ちゃんとキャラが立っているのです。
ここでKが日蓮の文字に興味を持ち、日蓮の精神性とその文字を語り出したら、私たちはしらけてしまったことでしょう。Kは若くて、まわりのことに気を回さない人として存在している。
だから、先生(私)が、こんなにお嬢さんが好きだというのを、口では言っていないけれど、間接的というのか、雰囲気的というのか、もう顔に書いてあるようにしているのに、そういうのをまるでくみ取れない人として存在する。
私(先生)は、ここではあまりにえらぶって高飛車でくる、学究的なKの雰囲気(ポーズ?)に抵抗します。それは私からの恋愛宣言でもあったのです。
友だちの2人なのに、お互いがよく見えず、ただ自分の主張だけをぶちまけて、相手のことはおかまいなし。そういうことは私たちもしょっちゅうですけど、こうして漱石先生に見本として提示してもらうと、思わず自分たちの日常を反省し、怖くなったりします。
そうです、私たちは、いくつになっても目の前の人のことなんか気にもとめないで、自己主張ばかりしていい気になっている。それでは、お互いの溝を深め、お互いが見えなくなるだけなのに、それでさも会話・対話をした気分になっている。まるでバラバラで、お互いが空虚なのに、それがともだちだと誤解している。
ここで、もっとKの中に入り込んで、「君が求めている精神的に向上するって、いったい何だよ? それと日蓮はどうつながるんだよ? 日蓮はそんなに高い精神性があるのかい? 君は日蓮に詳しいみたいだから、ボクにでもわかるように教えてくれてもいいだろう。くわしい君になら、それくらいのことができるだろう。それができない中途半端な精神性なんて、あぶなっかしいんじゃないかい? 君は日蓮の書に興味がなさそうだったけれど、書が語れなくて日蓮がわかるのかい? 」
あれこれ訊いてやればよかったのです。そうすると、お互いのカラッポさがわかって、理解が進んだだろうに、それをしないから2人の関係は進まなかったのです。
だらだらと書きました。
小説だから仕方がないけれど、2人は深まることもなく、設定された結末に向かっていくのでした。
私は、どこかでこの登場人物たちが、漱石先生の作った設定を飛び越えて、お互いの交流を果たして、思わぬ和解へとつながらないものかと、いつも漱石の世界が崩れることを期待して読んでいたような気がします。
「こころ」においては、この房州への旅が1つのチャンスではなかったか。いやむしろ、もうこの時に2人は漱石世界を飛び越えて、お互いを理解し合い、いつかは2人とも命としては不自然なカタチで終わるような、そんな2人となっていたのではないか、そういうことを期待して読んでしまったりします。
二人は房州の鼻をまわって向う側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙(だま)されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるでわからなかったくらいです。私は冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮へ漬かりました。その後をまた強い日で照り付けられるのですから、身体が倦怠(だる)くてぐたぐたになりました。
こんな風ふうにして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急にひとの身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどが)えをしたような気分になるのです。
私は平生(へいぜい)の通りKと口を利きながら、どこかで平生の心持ちと離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中(りょちゅう)かぎりという特別な性質をおびる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。
その時の我々はあたかも道づれになった行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。
2人は、やみくもに千葉県をグルリと内房から外房へと歩き続けたそうです。なんというタフ、なんという無謀、なんというガムシャラでしょう。
ずっと歩き続け、適当なところで海に入り、人々と最低限の話をし、お互いはあまり意味のある会話をせず、ロードムービーのように、小事件を繰り返していった。
私に才能があれば、これをスピンオフ小説にしたいくらいです。でも、私自身が千葉県にあまり縁もないし、イメージもあまりないので、それは無理です。でも、なんだかおかしい2人です。デコボココンビだし、なかなかいい感じです。
まだ房州を離れない前、二人は小湊(こみなと)という所で、鯛の浦(たいのうら)を見物しました。もう年数もよほど経っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮(にちれん)の生まれた村だとかいう話でした。
日蓮の生まれた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられていたとかいう言い伝えになっているのです。それ以来村の漁
師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛がたくさんいるのです。我々は小舟をやとって、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
その時私はただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。
ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生まれた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍(がらん)でした。Kはその寺に行って住持(じゅうじ)に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装(なり)をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠(すげがさ)を買ってかぶっていました。着物はもとより双方とも垢(あか)じみた上に汗で臭くなっていました。
私は坊さんなどに会うのはよそうといいました。Kは強情だから聞きません。いやなら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。
ところが坊さんというものは案外丁寧なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKとだいぶ考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起こりませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。
Kという人は、私の中ではオールマイティの存在でしたが、このエピソードを聞かされると、かなり偏っていて、あまり自然や風景に興味を示さない人のようです。それはもう、生きることとは何か? 道のためにすべてを犠牲にして精進するのだ、というスローガンで生きている人だから、あまり広くいろんなことに目を向ける余裕がなかった人ではあります。
それくらい1つのことに集中できる……バカにならないと、学問は究めることはできませんし、昔の人はとても生き方として正直だったのでしょう。自分とは関係のないものごとにはなるべく目をつむり、ひたすら自分の求めるものに忠実であろうとしたのです。
だから、せっかくのチャンスもすべて投げ捨てて、ひたすら哲学的な内容を求めている。観光的な要素には無関心であろうとした。本当はKにもタイが海にうごめくところとか、漁師との会話とかを楽しみたい気分もあったのかもしれないのです。でも、正直だから、すべてに目をふさいでいたのです。
日蓮は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙(まず)いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々(うんぬん)し出しました。私は暑くてくたびれて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先でいい加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
たしかそのあくる晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いてめしを食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。
精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事がわだかまっていますから、彼の侮蔑(ぶべつ)に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。
核心は細部に宿るものであり、日蓮も実は草書の文字の中にあるのかもしれないのに、字が下手くそなKは、そちらに目を向けるどころか、それは関係のないことだと切り捨てていました。
ああ、こんなところに若さが見られる! 何だか微笑ましくなりました。漱石先生は、ちゃんと知っておられたのですね。Kくんをこうしたキャラとして設定している。ちゃんとキャラが立っているのです。
ここでKが日蓮の文字に興味を持ち、日蓮の精神性とその文字を語り出したら、私たちはしらけてしまったことでしょう。Kは若くて、まわりのことに気を回さない人として存在している。
だから、先生(私)が、こんなにお嬢さんが好きだというのを、口では言っていないけれど、間接的というのか、雰囲気的というのか、もう顔に書いてあるようにしているのに、そういうのをまるでくみ取れない人として存在する。
私(先生)は、ここではあまりにえらぶって高飛車でくる、学究的なKの雰囲気(ポーズ?)に抵抗します。それは私からの恋愛宣言でもあったのです。
友だちの2人なのに、お互いがよく見えず、ただ自分の主張だけをぶちまけて、相手のことはおかまいなし。そういうことは私たちもしょっちゅうですけど、こうして漱石先生に見本として提示してもらうと、思わず自分たちの日常を反省し、怖くなったりします。
そうです、私たちは、いくつになっても目の前の人のことなんか気にもとめないで、自己主張ばかりしていい気になっている。それでは、お互いの溝を深め、お互いが見えなくなるだけなのに、それでさも会話・対話をした気分になっている。まるでバラバラで、お互いが空虚なのに、それがともだちだと誤解している。
ここで、もっとKの中に入り込んで、「君が求めている精神的に向上するって、いったい何だよ? それと日蓮はどうつながるんだよ? 日蓮はそんなに高い精神性があるのかい? 君は日蓮に詳しいみたいだから、ボクにでもわかるように教えてくれてもいいだろう。くわしい君になら、それくらいのことができるだろう。それができない中途半端な精神性なんて、あぶなっかしいんじゃないかい? 君は日蓮の書に興味がなさそうだったけれど、書が語れなくて日蓮がわかるのかい? 」
あれこれ訊いてやればよかったのです。そうすると、お互いのカラッポさがわかって、理解が進んだだろうに、それをしないから2人の関係は進まなかったのです。
だらだらと書きました。
小説だから仕方がないけれど、2人は深まることもなく、設定された結末に向かっていくのでした。