昨日、夜中に目が覚めて、1984年に出たドナルド・キーンさんの『百代の過客』を少しだけ読みました。この本は、日本の日記文学のあれこれを取り上げ、世界的にも珍しい、日本の日記文学を概観する本でした。私の家に最近デビューした本だったのです。ドナルド・キーンさんって、ずっと信用してなかったのに、何だかニセモノみたいに思ってたのに、私なんかよりもずっと本物だし、日本の文学を世界に発信してくれたとても有り難い人でした。
私個人としては、少しだけ紫式部ブームになっているので、キーンさんが『紫式部日記』をどのように書いておられるのか、興味がありました。
源氏のモデルは道長だったという説が、これまで時々出てきている。だが『紫式部日記』には、この説を立証するようなものは、おそらくなにも見つからない。それよりも私たちは、源氏という人物はむしろ反道長的、すなわち、ほとんどあらゆる意味で、道長とは正反対の人間として考えたくなるのである。
そうですね。道長さんはとても政治的な人だし、統治にしても、結果としては確実に成果を上げ、娘たちは天皇の妻とし、息子たちは政治の中枢に送り込むことができました。おのれの栄華を極めつくした人でした。本人がどのような気持ちで政治をしていたのか、そんなのはわからないし、彼の日記である『御堂関白記』にも載っていないでしょう。
一方の光源氏さんは、ひたすら母の影を探して生きた人ではなかったでしょうか。家族には恵まれなかった。恵まれないからなのか、たくさんの女性たちと結ばれる行動をとった。そして、それらは報われることがなかった、のかもしれないのです。
(入内した彰子さんが)男子出産と分かった時の道長の喜びは、単なる祖父としての喜びではなく、未来の天皇としての喜びだったのである。
という記述が『紫式部日記』にはありました。
それに反して源氏の方は、そのような喜びとは無縁であった。彼の父(桐壺帝)に愛された藤壺との、秘密の愛によって得た最初の息子は、認知さえできず、その子のことを思うと、源氏の心には、誇りとは裏腹の、恥の情がわき起こるだけであった。彼の別の息子夕霧は、その子の母の葵上が、悪霊に取りつかれている間に生まれる。そして母親は出産の直後に、六条御息所の生霊(いきりょう)によって殺される。
源氏が最も深く愛した女性は紫上(むらさきのうえ)であったが、彼女にはついに子供ができなかった。なるほど明石君に生まれた彼の娘は、天皇の妃となる。だがこのことからは、源氏は何らの利益も受けていないのである。また源氏が孫とたわむれているというような記述は、この物語のどこにも見当たらない。
光源氏を取り巻く人々の物語である『源氏物語』は、家族的には不幸な主人公が、生涯ずっと母の影を求め、愛する人としあわせな時を求めたのに、報われなかったわけですね。
それと比べると、家族的にも、政治的にも、すべてを獲得しつくした道長さんとは違っていたわけで、同じように宮廷の中の中心として、現実と物語にそれぞれに存在した二人(光源氏と道長さん)は、正反対であったということでしたか。
紫式部さんは、取材は宮廷生活で行ったけれど、内容的には現実を離れて、ひとりの愛の求道者の光源氏というキャラクターを作り上げた。物語は物語だし、日記は現実を取り上げている。あたり前のことなんだけど、私たちはごっちゃにしてしまいがちなんですね。