茨木のり子さんの詩、明日にでも打ち込みます。先日わざわざ本屋さんで、岩波文庫版の詩集を買いましたよ。茨木のり子さんは大好きな詩人です! それで、「根府川の海」打ち込みたいんですけど、今日は何だか気分が乗らなくて、打ち込みません。何だか気力がありません。
昔、何度か、快速や普通で通り抜けた神奈川県の箱根あたりの海を走る路線、気にはなっていました。乗りたかったし、本当なら降りてみたかった。でも、東北で遊びまくったあとだったので、ただ通るだけの東海道線の旅でした。とても残念だし、気分もわりと散漫になっていました。
御殿場線に乗りたかった。でも、時間が許さない。もっとゆっくりした日程でこなくてはならない。小田原城も見たかった。でも、まだ工事中じゃないの。もう見られるの? どっちかわからないまま、気持ちはあるのに、ただそこにいるだけで、電車をとっかえひっかえしなくてはなりません。私は普通に乗って三重県まで帰らなくてはならなかったのです。
小田原を過ぎたらすぐ、海が車窓に迫ってきました。あんなにたくさんいたお客さんたちも、もうそんなに目立たなくなりました。春の初めのおだやかな海が見えます。
私はたまたま山側に座っていました。海側には電車オタク風の、中学生みたいな子が座っていました。他の海側の席はぜんぶ埋まっていましたし、仕方ないので、あまり興味なさそうにチラチラ海側に目をやっていました。
たまたま根府川で、後続の特急踊り子号をやり過ごさねばならなくて、数分停車することになりました。私は手持ちぶさたなので、駅の看板を撮ったり、同じような中高年の人びとをながめたり、駅のまわりのよくはわからない木々の花などを見上げていました。
一人旅の男の子が、リュックからプラレールを出しました。どうやら、今私たちが乗っている電車と同じ型のおもちゃのようでした。そして、プラレールの向こうは何もない海でした。海をバックに男の子は、写真を撮りました。スマートフォンで撮っています。これが彼の作品作りのようでした。
私はたまたま彼の作品づくりの現場に居合わせた。家族連れで小さい男の子のいる家族はもう釘付けです。「おにいちゃん、何をしているのかな。わざわざ窓に飾って、それを写真に撮っているんだね」と母親が見たまんまをことばにしています。
男の子はそんな説明よりも、おもちゃを持参して電車で一人旅をしているおにいちゃんに尊敬のまなざしです。何も言えないみたいでした。一人旅の子も家族連れとも同じ空間にいる私は、悠然と写真を撮る男の子の余裕に感心しました。もうすべて計算ずくでやっている。
「ああ、私も海側に座りたかった。そこでカンカンを窓枠にのっけるとか、つまらない写真を撮りたかった。でも、すべてが負けている。計算もないし、適当だし、行き当たりバタリだし、テーマ性もないし、私はこの子に負けている」
そう思ったら、写真を撮る気力はなくなって、しばらくは本を読むしかありませんでした。電車はしばらくして熱海について、私はとにかく島田行きに乗ったんでした。