甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記07 不思議な地名 

2018年03月09日 23時08分23秒 | 宣長さんの旅

 だいぶ前から(おととし?)始めていたのに、また今年も宣長さんに抜かれてしまいました。とはいうものの、今日は3月9日の金曜で、旧暦だと1月22日だそうです。だったらあと1ヶ月半あるから、ぜひこの間に吉野まで行って、ふたたび三重県に戻らなくてはなりません。ちゃんともどれるかどうか……。

 実際にあと1ヶ月半したら、地上のソメイヨシノは咲き切って、吉野のお山に行くと2週間遅れの桜が満開ということなんでしょう。1993年に岩手の満開の桜、桜のトンネルをバスでくぐりなから、ゆっくり坂を下っていき、もうとても不思議で、なおかつかなしいくらいにキレイだったのを見ましたけど、あれから何年経ったろう。とにかく、吉野のお山と岩手の桜はリンクしているんですね。

 吉野のお山に行くのか、それとも東北の桜を見に行くのか、私にできるのは、たぶん、吉野だろうけど、それさえ行けていないのです。

 ぜひチャンスを自分でつかまえて、宣長さんみたいにステキな仲間と遊びに行きたいです。

 旧暦の3月7日の朝が来たようです。



三月七日

  七日。あけがたより雨やみて、おき出て見れば雲もやうやううすらぎつゝ、はれぬべき空のけしきなるに、家あるじの心のうらはまさしかりけりといとうれし。

 三月七日。明け方から雨はやんで、起き出してみると雲もようやく薄くなってきて、晴れそうな空の気配になってきました。宿屋の主人のお祈りが空にも通じたのだとうれしい気持ちになりました。

 日頃の雨にゆくさき道いとあしく、山路にはたあなりときけば、今朝はたれもたれもみなかごといふ物にのりてなん出でたつ。さるはいとあやしげにむつかしき物の、程さへせばくてうちみじろくべくもあらず。

 この何日かの雨で道は悪く、山道もあるということなので、今朝はみんなが駕籠(かご)という乗り物で出かけることにしました。とはいうものの、なかなか大変な乗り物で、座席は狭く、全く身動きがとれないどころではなく、あまり居心地のよいものではありませんでした。

 しりいたきに朝寒き谷風さへはしたなう吹き入りていとわびしけれど、ゆきこうじたる旅ごゝちにはいとようしのばれて、かちゆくよりはこよなくまさりて覚ゆるもあやしくなん。

 お尻も痛くて朝の冷たい風が容赦なく吹き付けてとても心細いのです。でも、歩き疲れた私たちには何とか我慢ができて、徒歩でゆくよりも確かに楽かも知れないという気がしたのはどうだったでしょうね。

 もとよりあひともなふ人は、覚性院(かくぞういん)の戒言(かいげん)ほうし、小泉の何がし(見庵 けんあん)、いながけの棟隆(稲掛むねたか)、その子の茂穗(大平)、中里の常雄(長谷川常雄)とあはせて六人、同じ物にのりつれたる、まへしりへよびかはしては物語などもし、やゝおくれさいだちなどもしつゝゆく。

 さて同行の人というのは、覚性院の戒言ほうし、小泉の何がし、いながけの棟隆、その子の茂穂、中里の常雄で、私を入れると合計六人になります。同じような駕籠に乗り、前から後ろから声を掛け合い、おしゃべりをして、遅くなったり速くなったりしながら街道を進んでいくのでした。


 西たうげ・角柄(つのがら)などいふ山里共を過ぎて吉隠(よなばり)にいたる。こゝはふるき書どもにも見えたる所にしあれば、心とゞめて見つゝゆく。猪養(いかい)の岡、又御陵(みささぎ)などの事〔萬葉歌に吉隱のゐかひの岡、式に吉隱陵。光仁天皇の御母也。〕、かごかけるをのこにとへどしらず。

 西とうげ、角柄などという山里を過ぎて吉隠というところにたどり着きます。猪養の岡や御陵のことなどを、駕籠をかつぐ人々に訊ねてみましたが、何も知らない様子です。

 里人にたづぬるにも、すべてしらぬこそくちをしけれ。又この吉隱を萬葉集にふなばりといふよみをしもつけたるこそいとこゝろえね。

 里の人に訊ねたとしても、すべて知ることはできないでしょう。また、この吉隠という文字を「ふなばり」とよみをつけていることもわからないかもしれません。

 もじもさはよみがたく、又今の里人もたゞよなばりといふなる物をや。そも旅路のにきにかゝるさかしらはうるさきやうなれど、筆のついでにいさゝかかきつけつる也。

 吉隠という文字も「よなばり」と読むのは難しく、ここに住む人々はただ「よなばり」と読むものなのだと思っているでしょう。それを旅の日記に書くのは少しひけらかしすぎという感じです。でも、ことのついでに書き添えておきましょう。


 何十年も三重県に生きておりますが(あまり誇れる年数ではありませんけど)、奈良の境を越えると、「吉隠」というところがあるそうです。

 この不思議な地名の由来は何なのか、そりゃ、土地の人に聞かせてもらいたかったでしょう。宣長さんは本当は知っておられたんだろうか。

 ひょっとしたら知っていて、わざと知らんぷりをされているのか、それも味ではありますね。自分が調べたことをとうとうと述べ立てても、読む方は「あっ、そう」と感心するばかりです。

 でも、私は読み方も、場所もわかりません。何度も近鉄で、何年かごとにクルマで通ることはあるけれど、そういう地名を見たことがありませんでした。

 今度、花粉が飛ばなくなったら、ということはあと2か月後、吉野の桜も終わってしまったというころに、行かせてもらったらいいのかな。

 いや、そう言わず、いつでもいいから、行ってみます。もったいぶらずに、行きたいときに行けばいいのだ。そうだ。18キップももういけるみたい。早く買いに行かなくちゃ!

 でも、昨日、今日の強風をクルマの中から見ているだけで、もうどこにも行きたくなくなるのでした。 


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