甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

悪意と邪気の時代 

2015年05月18日 22時06分29秒 | 戦争と平和
 松阪市の古い古墳から、風変わりなはにわが出てきて話題になりました。もう何年も前の話です。海から十キロ以上離れた丘陵地帯に古墳らしき小山がいくつかあります。

 そこから船の形をしたはにわが出てきたのでした。どうして船のはにわなんかを埋めたのか、それなら黄金の船とか、ダイヤモンドのかたまりとかを埋めて欲しかったけれど、当時のこの地方の人々には、鉄もなければ、ガラスもないし、木材だったら腐ってしまうし、適当な石はみつからないしで、土をこねて埋葬する物をつくった。せいぜい無理をして、工夫して、技術的にがんばって作り上げた物ですから、埋葬される人はそれで満足したらしい。

 そもそも、どうして松阪で古墳なんか作らなきゃいけないのか、この埋葬された人はだれなのか、文字の記録もないし、そんなサッパリした埋葬品ばかりで、なかなか当時の人々のくらしぶりがわからないような気がします。

 とにかく、奮発して舟形はにわを作り、現在のわれわれは、ここに埋葬された人がそれなりの権力者であったろうと想像したりしています。大和以外のところにいろんな古墳があるというのは聞いたことがあるような気がします。いろんなところに、ある程度の権力者がいて、自らが亡くなったときの巨大なお墓を所望し、それを作る力を持っていた。それはもうたいしたものでした。このサッパリとした松阪にも、権力者が古代にいたらしい。

 それを記念して、レプリカを作り、古墳の公園などに飾っていたらしいです。宝塚古墳というところがあって、近年そこを公園化して、20ほどのレプリカが置かれているということです。



 前置きが長くなりました。その1番の目玉の舟形はにわのレプリカが破壊されたというニュースを夕方聞きました。20ほどのレプリカが置かれているというのもビックリでしたが、壊された舟形はにわのレプリカが四百万ほどかかったものだということにもビックリでした。そんな高価なものを公園に放置してあるということにもビックリです。それほどの値打ちのある物なら、ちゃんとしたところに置いて管理して、そりゃ触ってもいいけれど、管理人の目の前で触らせるようにしなくてはならないと思いました。

 今の住民は、税金の無駄遣いにはうるさいくせに、その微妙な使われ方には無頓着で、ましてそれが壊されようが、四百万がムダになろうが、あまり関心がないようです。でも、よくよく考えてみれば、そんな高価なものを、外に放置するという根本がいけない気がします。



 公園は夜になれば、若者がわるさをするためにあるところです。管理人がいなければ、人の目がなければ、彼らはどんなとんでもないことでもしでかすでしょう。あまり罪悪感はなく、そこにそんなものがあれば、なんだろうと触ってみて、壊れそうな物なら、どれくらいの力でなら壊れるのか、どんどんチャレンジするでしょう。それを平気で設置しているのだから、どうぞ壊してくださいというようなものです。

 私の税金が、四百万もかけてレプリカになっているとは知らなかったし、まして、それが公園に放置してあるのも知らなかった。すべてお金を出した私たちの責任ですね。そんなことを許しているから、当然若者はそんな無意味な税金の無駄遣いはぶっ壊して当たり前だと思います。

 若者は無頓着なのです。破壊することに罪悪感はなく、愉快な気持ちになるだけかもしれない。とにかく自分の責任を追求されない限り、平気で破壊をします。

 だから、あらゆるところに防犯カメラをつけろとは思いません。それよりは無駄な公園作りを反省したいです。壊れるのを覚悟で、なるべく高価なものは放置せず、シンプルで人がムチャしたくなくなる公園を作ってほしい。……ということは、結局草木に頼るしかないかな。



 夕方のニュースでは、壊したヤツが悪くて、もっとこうした公共物をみんなで管理して行かなくてはという調子で報道されていましたが、それは間違いです。人々に公共心はなく、若者は壊れそうな物が放置されていたら、壊すのが当たり前なのです。それを無視して、わざとらしく、さあ見てくださいと昼間に設置していても、夜になればすぐに壊されるのです。



 川崎の簡易宿泊所が火事で二棟全焼したというニュースが今朝流れていました。原因はこれから究明されると思いますが、私はこれは放火ではないかと思いました。真実はどうなのかわかりません。でも、ひょっとしたら、たくさんの身寄りのないお年寄りたちが生活保護を受けながら暮らしている住宅が並んでいるのを見て、これが燃えたら、行く当てのないお年寄りたちはみんな死んじゃうかなと、思う人がいたのではないかと、心配になります。そして、その人たちが亡くなり、苦しむ姿をイメージして、楽しむだけでなく、実際に火を付けてみようと思うヤツがいたのではないか、そんな気がしてなりません。

 私にも、とんでもない空想が働くときがありますが、人が苦しむのを見たいとは思いません。けれども、今の人は意外と人の苦しむのを見てみたいと思う人が、あちらこちらにいるみたいなので、私は怖い気持ちになります。名古屋大学に進学した優秀なお嬢さんも、クラスメートが毒薬で苦しみ、目が不自由になっただけではもの足らず、自室で知り合いになったおばあさんが苦しむ姿を見てみたいと、実にクールに実験をしてしまう時代です。

 これは好奇心ではなくて、ただのイタズラこころです。人が困る姿が見たいのです。彼ら、彼女らは、「殺そう」という殺意はなかった。好奇心もなかった。あるのは、他人の苦しみ見たさです。無邪気じゃなくて、邪気です。恐ろしいことだと思います。

 三重県で、夏祭りに行って、1人で歩いていた女子中学生が殺された事件もありました。どうぞ、変質者であってくれと思っていたら、ごく普通の高校生が、お金を何千円か取って、邪魔だから殺してしまったということでした。



 昔は、もっと事件には深い動機がありました。今は深い動機はありません。道を歩いていて、千円しか持っていなかったとして、それを取られたら、もうお金はないわけですから、「じゃあ、あばよ」でいいのに、何だかバレそうだからと殺してしまう世の中です。千円取られても殺されてしまう。そんなのあげるし、千円くらいとられたくらいで被害届も出さないでしょうに、事件を起こした人は面倒だと殺してしまう。もう盗人の道義心などないのです。ただ面倒だから、口をふさぎたいから殺してしまう。恐ろしい世の中です。

 こうなりゃ、自衛するしかないですし、細心の注意を払って、用心に用心を重ねて生きていくしかありません。そして、お金のかかった物は、道ばたには置かない。税金は無駄遣いしない。もっと、お金を使う人は用心して使って欲しいです。でも、たぶん再びレプリカは作られるでしょう。そして、また壊されるはずです。

 それらを乗り越えるためには社会教育を! という人も出てくるでしょうけど、そういう人にお金を寄付してもらって、作ったらいいと思います。でも、私の願いは聞き入れられないでしょう。かくして社会のムダは続いていくことでしょう。教育は、何度も負け続きです。でも、戦わないわけにはいかない、というところかな?


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