甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

私と似たようなものを探す 春樹さんの「鏡」

2019年12月06日 03時49分16秒 | 空を見上げて

 私は、私以外の何ものでもないと、私は思っています。ゆえに我ありだと信じてきました。

 でも、それはどうやら怪しい。私以外の何ものでもないと思っていた私は、あちらこちらからの受け売り、切り貼り、安請け合い、何でもかんでも取り付けて、何だかわからないものになっているから、それが何ものでもない私だ、という気になるのだと思う。

 実は、私は、ニセモノの塊であり、実体は何にもない、スッカラカンの唐変木、枯れすすきにすぎない。ものすごくみすぼらしい私なのです。

 でも、ものすごくそのみすぼらしさ、みっともなさ、情けなさを、私は愛していて、それこそ偏愛している。まあ、確かにそこまで自分で育ててきたのだから、それは自分の責任でしょう。



 村上春樹さんの短編に「鏡」というのがありました。三十代の主人公が、若い人たちと一緒にオバケの話か何かをしていました。だいたいみんなが一通り話し終えて、さあお開きか、というところで、ホストのボクも、オバケの話をしなくてはならなくなりました。

 さあ、ボクは困りました。「ボクは今までそういう体験をしたことがないんだよ。一切そういう世界と縁がなかった。」と前置きします。

 だったら、もうお話は終わり?

 いえ、そうではありません。確かに霊魂・金縛り・オバケ・幽霊・怪現象何も経験していなくても、怖かったことはあったのです。

 60年代末、学生運動が盛んな頃、ボクは、大学にも進学せずに、各地を放浪します。といっても、世の中を渡っていくには、労働をしなくてはならないから、ボクはひと夏を肉体労働に明け暮れて、それなりにお金は手に入れました。というわけで、少し楽なバイトを探して、新潟の中学校の宿直さんをすることになりました。

 当時だったら、教員の宿直当番だってあったと思われますが、夏休みですから、先生たちを解放するために、バイトの宿直さんが必要だったのでしょう。書類審査とかもなくて、スンナリとボクのバイト生活が始まります。

 夜の九時と夜中の三時だけ校舎内をまわればいいらしい。そして、風の強い日の夜中、三時に校内をチェックしながら歩いていくと、なんと前日にはなかったところに大きな鏡が据えられていた。玄関だし、そういうのが必要だと判断され、簡単に工事されたようでした。

 「なあんだ。ただの鏡かぁ。」とボクはつぶやきます。

 夜中に、鏡の中の自分に会うなんて、それは少し怖いものがあります。午前二時を過ぎたら、鏡の前に立ってはいけないという話も聞いたことがありました。しかし、ボクはそんなの知らなくて、ただ不思議な形で立っている自分を見つめてしまう。

 そしたら、鏡の中の自分は、本来なら虚像のはずなのに、やたらとあれやこれやと動きたがるのです。当然、現実の自分も同じように動いている。まるで現実の自分が、鏡の中の自分に支配されているような気がした。

 そう思ったら最後、主人公は、手にしていた木刀を鏡に投げつけ、鏡は割れて、ボクは宿直室で震えながら、夜が明けるのを待っていた。

 翌朝、鏡のあった場所に行ってみると、割れた鏡などなく、懐中電灯とタバコの吸い殻だけが落ちていた。それを確認したボクは、自らの中に自分ではない、自らコントロールできないものがあることを知り、それをコントロールするために、普通の大人たちの待つ世界に戻っていかなくてはならなかった。

 ボクが見たものは、ボク自身の虚像であるけれど、ボクの影の(ホントの)声であり、ボクの中にないと思っていた、もう一人の人格であった。ボクは、実はいろんな人格の集まりであり、ボクが我自身だと思っているものこそ虚像であった、というお話でした。



 アルボ・ペルトというエストニア出身の作曲家さん、一つ一つの音の中から違うものを引き出していき、どんどん違う世界に私たちを連れ出して、私がこれこそが私だと思っているものを引っぺがしてくれます。そういう音楽が「鏡の中の鏡」みたいな気がします。(探していた動画は、ツイッターからつながりました。youtubeで検索できるかな)

 このスッポンポンになる感覚、これが楽しいんでしょうね、私は好きなんです。シンミリします。

 訳の分からんことを書いてしまった。ちゃんちゃらおかしい!


 バルト三国って、フィンランドの南の三つの国で、北からエストニア、ラトビア、リトアニア。何だか似ていて、すぐにこんがらがってしまいます。一度遊びに行ったら、絶対に忘れなくなるでしょうけど、そういう日は来るかな。

 知り合いで、クリスマスの度に、学生時代にそうしたからと、フィンランドに行く人がいました。もちろん、ひとりで。何をしてきたの? と訊くと、のんびりヘルシンキあたりで過ごして、年末には帰国する、そういう旅をしている人がいます。

 彼は、年末になると、奈良の室生寺のお寺の鐘を突きまくるんだ、と言ってましたけど、一度、私もつかせてもらいに行こうかな。彼が誘ってくれるのを待ちますかね。いや、たぶん、行かないな。行きたいのはヤマヤマなんだけど、気持ちだけで、実際には行かない。

 どうしてこんなにチグハグなんだろう。私の中にいろいろと引き裂かれているものが今もあるんだろうな。それがつながる時こそが落ち着いている私で、引き裂かれている時は落ち着かない私かな。

 イマイチ、分かってもらえないこと書いている気がします。もう少し研究します。
(2019.12.6 3:49am)

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