(今回たまたまホテルがそんなだっただけで、実際に町の人は、三重県と変わらない、当たり前の生活をされてたはずです。それをすべて米子は遅れてるなあとか思った私がアホでした。失礼しました。)
米子のホテルに着いたら、部屋にワイファイがないというのがビックリでした。ちゃんと確認したはずなのに、それは付いてなくて、インターネットはロビーにワイファイがありますから、そこでならできます、ということでした。
ああ、もうネットはあきらめて、のんびりテレビでも見るか、まあ、その前にどこかでゴハン食べなきゃな、とは思っていました。
そして、テレビは、ブラウン管テレビでした。「ああ、米子ではまだ地デジにはなってなくて、みんなブラウン管テレビなのだ。ネットもあんまりしてないの?」とか、考えたのかな(まさか、冷静に考えてみればわかりますが、ここのホテルがブラウン管テレビなだけでしたか……)。
それにしても、今時ブラウン管テレビって、珍しいなあ。珍しいけれど、画面はそんなにキレイではなくて、向こうの番組の中ではもう少しワイドな画面作りがなされているはずなのに、両サイドがカットされているみたいでした。これは今どきのテレビではない感じです。私たちは、横長でクリアーな画面に慣らされてきてたんですね。新鮮ではあるけれど、古ぼけた感じです。
ニュースのアナウンサーはどうだったのかなぁ。何だか切れてたかも……。だったら、テレビでBSに切り替えるには、どのようなリモコン操作をすればいいの? テレビの番組表のコピーみたいなのはもらってきたけど、あれ、民放が二つくらい? これで地元の人は満足しているの?
今時、民放の番組を楽しみにしている人って、そんなにいないと思うし、見たい番組はネットを通してみているのかもしれないけど、あまりに前時代的でした。BSはどうやら見られないようでした。
ああ、テレビも何も見られない。この見慣れないブラウン管を通してみるということが何と苦痛なのでしょう。
ネットも、テレビも見ないで、とりあえずゴハンは中華料理を駅前で食べましたっけ。
たくさんの色紙と、マスター一人で切り盛りする、いつ料理を作ってたのかわからないうちにできてしまう不思議なお店で、ビールを飲んで、ギョーザも食べて、中華に行くとムチャクチャ食べたくなる天津飯も、今まで食べたことがないテイストで、「こんな古い感じのお店なのに、何だかおいしいやないの」と感心しましたっけ。
でも、ホテルに帰れば、ネットのできない、変てこなテレビのある部屋しかなかったんでした。
まあ、それも旅のできごとなのかなと、受け入れて寝てしまったと思います。
家に帰って、奥さんに顔を合わせたら、彼女は開口一番、「米子のホテルを検索したら、ものすごいものが出ていたから、もうその記事は見ないことにした。大嫌いな幽霊云々も書かれていた。オトーサンが何ともなかったから、それでいいけど……。」ということでした。
そうだったのか、そういうホテルではあったのですね。まあ、私は何も見ないで、テレビさえ見ないで、本も読まないで、コテッと寝てしまったみたいでした。まあ、それでよかったんです。
ホテルにもどる前に、近所に素敵な本屋さんを見つけて、そこで買った米子の町並みのことは、その夜のうちに研究して、明日の朝、町を歩いてみよう、というのだけは決めたんでした。
米子は、江戸から近代にかけて、水運で商業を発展させた城下町だったようです。倉吉といい、米子といい、日本海側の町って、あまりになじみがありませんでしたね。たぶん、敦賀もそういう町だったんでしょう。まだまだ知らないことはいっぱいあるし、できたら、そういうところを歩かせてほしいんだけど、それは私のこれからの努力、ということになるんでしょうか。
そりゃ、そうだな。いくらテレビで「こんな町ですよ」と教えてもらっても、たぶん、私はそんなとこには行かないのでしょう。自己満足で、好きなところを歩いて終わりにするはずです。もうそういうスタイルなのかもしれない。