例によって仕事帰りの信号待ち写真だった。右手に雲がすーっと伸びていた。柔らかくてクリームのように見えた。そして、できたら飛行機でその雲の中に飛び込んでみたくなるけれど、飛行機はないし、もし雲の中に突っ込んだら、気流があるだろうし、穏やかな状態ではいられないだろう。
柔らかな雲は、外から見る分にはいいけれど、中に入り込んでいくものではないようだ。
そういうことって、よくあるような気がする。入り込んだら、とんでもないことって、山ほどあるはずさ。それを知ってか知らないでか、見かけ・雰囲気・うわさ? なんかにほだされて、私たちは飛んで火にいる夏の虫になるらしい。
おバカなことだが、これも私たちらしい行動なんだろう。
そんな皮肉なことを言わないで、私たちの頑張っているところを確認しなくちゃ! おバカは承知。だけれども、私たちは日々努力し、酷暑に耐え、仕事もし、やるべきことを見つけて、一歩ずつ何かに向かっているのだから。
たどり着いたところは、平和なところでなくてはならないし、危険なものは排除しなくてはならない。人々が落ち着いて、しっかり生き、体の不安もなく、豊かに老いていく社会でなくてはならない。
ガリガリ亡者はいくらでも出現するだろうけれど、その度に追いやっていかなくてはならない。
「あいつらは他人を食い物にする、おのが利益のことしか考えないガリガリ亡者なのだ。やつらはゾンビみたいにいくらでも出て来るし、やつらを倒す方法はない。ただ、やつらから遠ざかり、やつらにいろいろと委ねないことが大事! やつらは生きることは上手だから、平気な顔してテレビに出てたりするだろうな。本人が優勝していなくても、オープンカーに便乗したりするんだから、あれこそ厚顔無恥なんだよな。」
空の星たちは、私たちを見ている。私たちは、いつも他者の存在のあることを意識して、ピンと背筋を伸ばして生きていきたい。
なんて言ってるくせに、気持ちはそうだけど、自分に目を向けたら、だらしないし、いろんなことに無関心で、ボンヤリしすぎているんだけど、それでも、気持ちは、心構えとして、ピンとして生きていきたい。