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お城が焦げ茶色なのは、セピア色にしようと思ったからです。
毎日新聞が出していた「一億人の昭和」という写真集をもらって、そこから好きなのを描こうとしていたのです。もうやることが懐古的です。ちっとも前を向いていません。
そんな私が描く絵だから、西郷さんを描いたつもりだけど、ふざけているようにしか見えません。
とても戦争で必死になっている姿ではなかった。
でも、まあいいです。これが私の実力ですもんね。
そうでした。今年の正月の九州旅行で、初めて田原坂というのは熊本より北にある土地なのだというのを知りました。
熊本城を落とすことができなかったのに、薩軍は北をめざしたなんて、せめてどんどん北に攻めあがる姿勢だけは示したくて、とりあえず北をめざしたんだろうか。
計画がすでに破綻していましたね。気持ちで攻め込んでいるから、とりあえず戦国時代の島津氏のように、九州全土を支配下に置くみたいな気分でいたのかな。
肝心の熊本城が落とせないのでは、それはもうじり貧は見えていたんでしょうけど、それでも攻めていったんだなあ。