甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

璧(へき)をめぐる騒動 中歴69-2

2019年04月19日 18時24分44秒 | 中国の歴史とことば

 藺相如(りんしょうじょ)さんは秦の都・咸陽へ入り、秦の昭襄王と対面することになりました。よくもまあ、どこの馬の骨ともわからない人物と会見したものだと思いますが、一応、国と国との正式交渉でもあり、ちゃんとした使者だから、相手の格とかは関係なく、とりあえず会ってあげたのでしょう。相手がミスをしたら、攻撃の材料にはなるし、こちらが欲しいとおねだりした「和氏(かし)の玉」を持ってきていますからね。それを実況見分しないといけなかった。

 「王様、これが当方からお持ちした和氏の璧でございます。どうぞ、ご覧になってください。」

 「ほう、これが楚に伝わったという宝玉か。見れば見るほど素晴らしい。

 よくぞ、今に伝わり、はるばるわが国にやってきたものだ。さあ、皆の者、一度チラッとでも見せていただけ。見事なものよのう。これが我らの宝になるのだから、ありがたいものだ。ああ、見事だ。」

 昭襄王さんは、まわりの者に見せこそするけれど、手に取らせて見せることはしません。自分が手に入れた宝は、自分だけのものであり、誰かの手に渡るのも許せない。それほどに、権力者は強欲で、自分の欲望にだけ忠実で、他人の思いなんか関係ありません。

 もちろん、目の前の得体の知れない男なんて、眼中にありませんでした。


 さあ、藺相如さん、どうします? このまま宝物は取られたまんまだし、十五のお城と交換といったって、秦が簡単にそれらの領土を投げ出すわけがありません。ただ、欲しいというだけで、相手にイヤがらせをしただけのことです。それに載ってきた相手がアホウというものです。まんまとだまされにきたわけですから。

 藺相如さんは近づいて言いました。
 「王様、その宝玉ですが、実は小さい傷があるのです。よく言われる玉にキズというものです。よろしければお教えいたしましょう。どうぞ、お貸しくださいませ。」

 藺相如さんは、サッと一瞬で王様に近寄って璧を奪い取り、柱の側へ駆け寄りました。みんなとっさの出来事に反応することができません。この男は何をしようというのでしょう。

 「私がおりました趙の国では、王様のことを疑う者がおりました。

 けれども、私は『庶民ですら誰かを欺くのを恥とするのに、ましてや大国の王様が人を欺くなど、絶対にありえません』と言い続けて参りました。

 私の提案を趙王様は採用されて、大国・秦に敬意を払い、五日間身を清めた後に和氏の璧を渡されました。この趙王様の信義に対し、秦王様は余りにも非礼で粗雑な扱いをなさっています。

 私は、趙王様に合わせる顔がありません。信義も何もないこうしたやりとりが天の神様もお許しになるはずがないのです。

 もう私がすべての責任を取らなければなりません。秦の王様を信じた私の罪、趙の王様を裏切った私の罪、もうこうなりましたら、この璧も自分の頭も、この柱で叩き割って見せまする。どうぞ、バカな私を笑ってやってください。」

と、言い切ってしまいました。


 ああ、玉が割られてしまう。藺相如さんは命を投げ出すつもりです。ここでみんなに串刺しにされてもかまわないという気持ちでいたでしょう。まさに怒髪天をつく形相で宣言しました。

 「藺相如殿、落ち着きなされ。もう一度お話を聞こうではありませんか。」

 「この宝玉には、それを受け取るための礼儀というものがあるのでございます。私は、それを貫き通したいと思います。」

 「わかりました。あなたの言うとおり、私も宝玉を受け取るための礼儀を尽くそうではないか。だから、少し待ちなさい。」

 わからずやの秦の王様なのに、宝物が惜しくなったのか、この空気に呑まれてついつい言ってしまったというべきか。気合いで負けていたのです。それとも、宝が惜しくなっただけなのか。

 それから五日間、秦の王様は、それらしい儀式をして、宝玉を受け取ろうとしました。藺相如さんは、他の者に宝玉を趙に持って帰るように指示して、自分ひとり秦にとどまりました。あとは自らの死だけです。そのつもりでいたはずなのですが、楽観的な気分でいたのか、自分が殺されたとしても何の利益もないということも計算済みだったかもしれない。

 秦の王様の前に再び進み出た藺相如さんは言いました。
 「歴代の秦の王様で、約束を固く守った王を聞きませんでした。前回、私が宝玉をお持ちしたとき、王様には城を渡すつもりが無いように見えました。

 ですから、欺かれることを恐れて既に趙へ持ち帰らせてしまいました。十五の城を先にお渡しいただくなら、趙が璧を惜しむことなどありません。

 しかし、私の重ね重ねの無礼の償いとしては、私には死罪を賜りたいのです。」

 さあ、殺されるなんて思っていないけれど、迫真の演技で「死罪をください」と言ってしまいました。


 結果は、藺相如さんの剛胆さに感嘆した昭襄王さんは、
 「殺したところで何も得られず、趙の恨みを買うだけである。」
と、これを許し、璧も城も渡さないということで収まり、藺相如も饗された後に無事帰国したのでした。

 趙では、恵文王さんが秦から帰って来る藺相如さんの遺体を国葬で迎えようと準備していたそうです。

 そりゃ、秦に飛び込む人なんですから、死ぬのは当たり前です。ところが、生きて帰ってきたので、仮の家臣としていたのを正式に自らの家臣にしたそうです。

 藺相如さんは胆力と知恵だけを武器に、強国秦に一歩も退かずに璧を守り通し、趙の面子も保つことができました。だから、現代まで彼のお話が残り、ことばも永遠に残っていくことでしょう。たいしたものでした。

 ということで、
80・パーフェクト、何もかもうまく収まったというエピソードの記念に「完璧」ということばが生まれました。中国語では「完璧帰趙(かんぺききちょう)」というそうで、意味としても、うまくもとのさやにおさまる、みんながうまく納得する、大団円みたいな感じですね。


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