一度だけ、彼女を見送りに上野駅に行ったことがあります。1979年の年も押し詰まったときだったと思います。クリスマスを一緒に過ごし、少しだけほんわかして、2人で東京で別れることにしたんでした。
途中は何も憶えていませんね。映画とか、買い物とかしたんだろうか。たぶん、お金もないし、余計なことに時間を費やすことができなくて、何もかも吹っ飛ばして上野駅に着いた。
彼女は、特急はつかりで5時間かけてふるさとに帰ることになっています。私は、3時間で新大阪へ行き、そこから約1時間で実家に着くことになっていました。
私は、昔も今も普通電車でとことこ走るのが好きというのか、お金がないからそれで行くしかなかったのでした。
新幹線は高い乗り物でした。なるべく使いたくなかった。
電車の時間は迫ってくるし、5時間も特急に乗るというのは、それなりに覚悟のいるものでした。今なら長距離バスとかもそんな感じだと思うけれど、昔の特急って、「さあ、乗るぞ」という思いを胸に抱いて乗るものでした。そして、疲れる乗り物でした。
そんなに快適でもなかったんでしょう。
私は、昔は特急って、めったに乗ったことがなかったんでしたね。急行の五百円を払うのさえもったいなかったんだから、昔も今もみみっちい生活スタイルでした。
そして、とうとうお別れしなくてはならなくて、最後に何かつながっていたくて、どちらともなく握手をしました。
あんなにいとおしいと思ったことはなかったですね。あれから、どれくらいいとおしいと思ったことか。「最近はどうなんだよ」と不安になりますね。
最近は、ただ毎日に流され、雨に降り込められ、仕事に流され、やりたいことも見つけられず、自分の大事なモノを見失っているような気がします。
もっと今を大切にしなきゃいけないのに、お酒を飲んだり、パソコンしたりして、時間が過ぎていきます。
そして、彼女は電車の中に消え、時間が来たらはつかりは発車していきました。
冬でした。寒かったでしょう。それで、すぐに駅のトイレに行きました。しみじみサビシイ気持ちがしたものです。今まで一緒にいた彼女は、実家の方へ帰ってしまった。それは当たり前なんだけれど、それがお正月を過ごす学生たちのフツーのパターンなんだけど、悲しかった。
そばにいないという不在感・空白感で急にポッカリと穴が開いたようで、それから東京駅に行き、新幹線で実家に帰ったと思われますが、魂が抜けたみたいにして帰ったのだと思われます。
今だったら、お酒飲んでホイ! なのに、どうして当時はそれができなかったのかなぁ。
わりと素直に人に向き合っていたんでしょうね。今は、向き合ってはいる時もあるけど、たいていは気を抜いているような気がします。長続きしないんだなあ。